楽しい「やる気」、ツラくなる「やる気」―内発的動機と外発的動機


公開日:2018年2月27日 [ 記事 ]
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気持ち良さそうにバレエを踊る女性


この記事について

この記事では、主に、これまでに“和楽の道”で公開してきたモチベーション(動機づけ)についての記事をまとめています。

“和楽の道”では、「外発的動機付け」や「内発的動機付け」という言葉が、重要なキーワードになっていますが、“和楽の道”が考える「内発的動機」と「外発的動機」の全体像を把握するためには、まずは、この記事から読むのが最適だと思います。

この記事では、大枠での考え方や全体像を扱いますので、あまり細かい説明までは書くことが出来ません。

それぞれのテーマの詳細については、リンク先の記事を読んでいただければと思います。

また、今後新しく「外発的動機」や「内発的動機」についての記事を書いた場合には、この記事にもその内容を反映していくかもしれません。

では、さっそく説明をはじめていきましょう。

「内発的動機付け」とは何か? ― その定義と、具体例。

まずは、言葉の説明からはじめましょう。

意味がわかっている人にとっては退屈な説明だと思いますので、斜め読みでも問題ありません。

「内発的動機」というのは、ものすごく単純に言ってしまうと「楽しいから、やるんです!」という状態です。

具体例としては、次のようなものがあるでしょう。


“内発的動機付け”の具体例

  • パズルを解き始めたら、楽しくなってきて熱中してしまった。
  • 爽快な気持ちよさが魅力で、週に1回はテニスをしている。
  • 自分の考えが言葉になっていく快感の虜になってしまい、毎日のように、文章を書くことを楽しんでいる。
  • 自分が満足できる作品をつくるために、絵を描いている。
  • 踊るのが気持ちいいので、踊っている。


どれもこれも、「その行動そのもの」から得られる喜びや楽しさを味わうために、その行動に取り組んでいますね。

ですから、「内発的動機付け」は、次のように説明することができるでしょう。


“内発的動機付け”の説明

「その行動そのもの」から得られる、“喜び”や“楽しさ”などの内的な報酬によって、その行動に駆り立てられること。



そして、その行動そのものから喜びを感じられる行動をするということは、その人自身が純粋に好きなことをしているのだと考えられるでしょう。

ですから、“内発的動機づけ”について、もう少し拡大解釈すると、次のように表現することができます。


“内発的動機付け”の拡大解釈

その人が、飾らない素の部分で純粋に進みたいと思っている方向へと進ませようとする力。自分に正直に生きたいという動機。



「外発的動機付け」とは何か? ― その定義と、具体例。

つぎは、「外発的動機」についてです。

まずは、具体例をあげてみます。


“外発的動機付け”の具体例

  • 「1時間勉強したら、お小遣いに100円あげる」と言われた子供が、お小遣い欲しさに勉強をはじめた。
  • お金のために、やりたくもない仕事をしている。
  • 急いでいたし、他の車も来てなかったので、信号無視して交差点を渡りたかったけど、「万が一、警察にバレたら……」と心配になって、衝動をグッと押し殺して我慢した。
  • みんなに「すごいっ!」と思われたり、チヤホヤされたりしたかったのでスポーツの練習を頑張った。
  • ダイエットのために、毎日、30分間のジョギングをしている。


これらの具体例の共通点は何でしょう?

色々な共通点が思い浮かぶかもしれませんが、1つ共通していることとして、「その行動をしたいからではなく、その行動をした結果のために行動している」ということがあげられます。

たとえば、最初の子供が勉強をしたのは、勉強そのものをしたいからではなく、お小遣いが欲しいからです。

もちろん、「勉強すれば、いい大学に入れるから」というような理由で勉強している場合にも、それは外発的動機付けによる勉強になります。

(もし、「パズルを解くみたいで、算数の問題を解くのが楽しくて仕方ないから」という理由で勉強しているような場合には、それは内発的動機付けになります。)

つまり、「勉強という行動そのもの」の“外”から動機づけられているので、「外発的動機付け」と呼ぶのですね。

“アメとムチ”によって人を動かそうとうすることが、典型的な外発的動機付けです。


ですから、「外発的動機付け」は、次のように説明することができるでしょう。


“外発的動機付け”の説明

純粋にその行動から得られる内的な報酬以外の目的のために、その行動に駆り立てられること。

(たとえば、その行動をした結果として「得られる利益」や「避けられる不利益」のために行動したような場合。)



ところで、内発的動機づけを拡大解釈すると、その人が自分に正直に生きる方向へと進ませようとする力でした。

言い方を変えれば、内発的動機づけの方向性は、その人が完全に自由であれば、放っておいても進んでしまう方向性です。

たとえば、あなたは絵を描くことが大好きだったとしましょう。

そんなあなたに、生活に必要なお金や自由な時間、そして誰からも邪魔されない環境を与えたらどうでしょう?

きっと、誰に頼まれなくても絵を描くことを楽しみ始めることでしょう。

しかしそこに、「お金を稼がないと生活が成り立たない」、「家族に『遊んでばかりだ!』と批判されたくない」、「みんなに認められたい」というような外発的動機づけが登場すると、様子が変わってきます。

たとえば、絵を描くことよりもお金が儲かることがあれば、そちらの方向に進もうと思うかもしれません。(それが悪いことだと言いたいのではありません)

このように考えると、外発的動機づけは、次のように拡大解釈できるでしょう。

“外発的動機付け”の拡大解釈

その人が純粋に進みたいと思っている方向に反して、別の方向に進ませようとする力。


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楽しい「やる気」、ツラい「やる気」―内発的動機と外発的動機

さてさて。

ここまで「内発的動機付け」と「外発的動機付け」について説明してきましたが、結局のところ、この記事で伝えたいことは何なのでしょうか?

結論から言ってしまうと、「日々の生活の中で、内発的動機付けの割合を増やして生きていこう!」。

これが、この記事で伝えたいことです。

というよりも、“和楽の道”というサイトを通して、何度も何度も伝えていきたい内容です。

ではいったいなぜ、内発的動機の割合を増やした方がいいのでしょうか?

これからそのことについて説明していくのですが、簡単に言ってしまえば、次のようになります。

内発的動機には、あなたと周囲を楽しくさせる力が秘められていて、外発的動機には、あなたと周囲をツラくさせてしまう傾向があります。

もちろん、細かく見ていくと、かならずしもそうとは限らないのですが、大枠ではそのような傾向があります。

詳しいことは、これから説明していきましょう。

まずは、外発的動機の大きなデメリットについて、1つずつ見ていきましょう。

外発的動機のデメリット1:能力を引き出しきれない

まず、外発的動機付けの大きなデメリットの1つが、「人の能力を十分に引き出すことが出来ない」ということになります。

たとえば、「成功する芸術家と、成功できない芸術家。その運命をわけるものは?」の記事では、外発的動機付けを中心に作品をつくる芸術家は成功する可能性が低いと書きました。

では、いったいなぜ「外発的動機付け」メインの芸術家は成功する確率が低いのでしょうか?

この記事の中では、おおよそ、次のような理由を挙げました。




簡単にいえば、作品をつくるプロセスを楽しむことよりも、作品が評価されることに意識が行き過ぎてしまい、質の高い作品をつくる実力がなかなか身に付かないということでしょう。

また、作品づくり自体はあまり楽しめていないので、作品が評価されないと、創作活動を続けるモチベーションが保てなくなってしまうのです。

そして、さらに悪いことに「外発的動機付け」に意識が行き過ぎてしまうと、本来は持っていたはずの「内発的動機付け」まで失ってしまう傾向があります。

たとえば、絵を描くのが好きだった子供でも、お小遣いのために絵を描くようになると、絵を描くことがつまらなくなってしまうという現象です。

(この調査結果については、次の参考記事で紹介しています。)

【 参考記事 】

よく言われる、「趣味を仕事にすると、その趣味が嫌いになる」というやつですね。

ですから、お金や評価といった外発的動機に目をとられ過ぎたアーティストは、作品をつくる楽しみが見えにくくなくなってしまい、ますます作品をつくるためのモチベーションが下がってしまうのです。


一方で、作品づくり自体を楽しんでいる「内発的動機づけ」タイプの人は、“探求の道”を楽しんでしまいます。

周りの人からは「ストイックに努力している」ように見えても、本人は、ケロッと「いや、楽しく遊んでいるだけですよ(笑)」と言えてしまったりするのです。

このように考えると、芸術分野に限らず、なにかしらの分野で高い能力を身につけたいと思ったら、「内発的動機」がポイントになるでしょう。

もっとわかりやすく言えば、私たちは、自分が楽しめる分野でなければ、高い能力を身につけることは難しいということです。

私は、夢中になって“探求”を楽しめることこそが、その人に与えられた“天与の才能”だとすら思っています。

【 参考記事 】


もう1つ例をあげてみましょう。

現在、多くの会社では従業員に「やる気」を出させるために「成果主義」を導入しています。

しかし私は、成果主義は人のモチベーションを十分に引き出す仕組みだとは思っていません

正確に言えば、成果主義がうまくいく場合もあります。

たとえば、次のような4つの状態を考えてみてください。


内発的動機付けの高低、外発的動機付けの高低の組み合わせで4つの領域に分けて考えるためのマトリクス



この図は、内発的動機付けと外発的動機付けの視点から、モチベーションを4つのレベルにわけた図です。

この中でもっともやる気が低いのは、内発的動機も低ければ、外発的動機も低い領域でしょう。

これは、考えるまでもなく明らかです。

本人にやりたいという気持ちもなければ、強制的にやらされるわけでもないので、そもそも何の行動も起こらない領域でしょう。

では、もっともモチベーションが高くなるのが内発的動機と外発的動機の両方が高い状態かと言えば、そう単純にはいきません

なぜならば、上でも説明したように、外発的動機が活性化すると内発的動機が失われてしまう傾向があるからです。

内発的動機と外発的動機を両立できれば最強のように思えますが、それはあまり現実的ではなさそうです。

現実的ではない領域のことを考えても仕方がありませんから、この領域のことは忘れてしまいましょう。

【 参考記事 】

(ただし、参考記事にも書いたように、内発的動機から行動した結果として、外的な報酬をうけとるような場合には、内発的動機への悪影響は小さくなります。)


さて。

難しいのは、ここからです。

内発的動機か、外発的動機のどちらか一方だけが高い場合には、いったいどうなるのでしょうか?

これは難しい問題ですが、私は、内発的動機が高い状態の方が、より高いモチベーションとパフォーマンスが引き出されると思っています。

たとえばイスラエルで行われたある調査結果によれば、内発的動機のみが活性化した状態の方が、外発的動機が活性化した状態よりも高い成果を叩きだすということがわかったそうです。

この調査結果については、下の参考記事を読んでみてください。

【 参考記事 】

このことは、わざわざ難しい研究結果を参考にしなくても、ちょっとイメージしてみれば当たり前といえば当たり前です。

たとえば、やらされ仕事をしている人と、趣味のように仕事に打ち込んできた職人のような人では、どちらの能力が高いかは明らかです。

あるいは、子供が好きなゲームをしている場合と、やりたくもないゲームを「アメとムチ」でムリやりやらせた場合で、どちらの方がやる気を持って取り組み、ゲームの腕が上がるでしょうか?

考えるまでもないですよね?

【 参考記事 】


もちろん、外発的動機から行動した場合でも、外発的動機と内発的動機の両方が低い状態よりはマシと言えます。

しかし、その人の最高の能力を引き出そうと思ったら、外発的動機よりも内発的動機の方が優れているのです。


外発的動機のデメリット1

「外発的動機」は、人の能力をある程度引き出すのには役に立つことがあるが、最高レベルまで引き出そうと思うとむしろ邪魔になる




AIの発展でやってくる、誰もが芸術家として生きる時代

少しだけ余談ですが、最近は、「AIに仕事を奪われる!」という論調が増えてきています。たしかに、比較的単純な作業から順に、人間がやっていた仕事がAIに置きかえられていくということはあるでしょう。

そして、AIに仕事を奪われたくなければ、人間にしかできないクリエイティビティの高い仕事が出来るようにならなければならないでしょう。このような、誰もが創造性の高い、まるで芸術家のように生きることを求められる時代には、内発的動機を大切にした生き方が、ますます大切になってくるのかもしれません。

【 参考記事 】


とはいえ、私は、これまで人間がやっていた仕事をAIが肩代わりするようになることについては、そこまで危惧していません。

ただし、そのためには条件があります。

それは、私たちの社会の中心的な秩序レベルを「【 秩序3.0 】―思いやりの結晶」まで引き上げることです。もし「【 秩序2.0 】―綱引きの均衡」以下の秩序レベルがベースの社会でAI化が起これば、もしかしたら、私たちはかなり悲惨な状況に陥ってしまうかもしれません……。

その意味でも、社会全体の秩序レベルの引き上げに貢献することは、“和楽の道”にとっての重要なミッションの1つだと思っています。

このテーマについては、また機会を改めて書きたいと思います。

外発的動機のデメリット2:人間関係がギクシャクする

外発的動機付けの2つ目のデメリットは、「人間関係がギクシャクする」ことです。

簡単にいうと、外発的動機は信頼関係を契約関係に変えてしまいます。

【 参考記事 】

たとえば、上の参考記事では、ある保育園での調査結果を紹介しています。

その保育園では、子供のお迎えの時間に遅れてくる親に困り、遅刻した親から罰金をとる制度を始めました。

するとどうでしょう?

なんと、罰金を導入すると、遅刻してくる親の数が増えてしまったのです。

その理由について、その調査をした研究者は、罰金を導入したことによって「お金を払えば遅れてもいいんでしょ?」という意識が芽生えたことにあると分析しています。(詳しくは、参考記事を参照)

これまでは、「保育園に迷惑をかけないように、遅刻しないようにしよう」と相手を思いやる気持ちから動いていた関係性(信頼関係)が、「〇分あたり〇分で延長保育してもらえる」という契約的な関係性に変わってしまったのです。

そう。人間味のある温かい信頼関係を結んでいた人とでさえ、外発的動機による関係性が持ち込まれると、冷徹で味気ない契約関係になってしまう傾向があるのですね。


また、外発的動機付けによる関係性を維持するためには、ものすごく莫大なコストや手間が必要になります。

外発的動機付けによる関係性は、典型的なものに次の2種類があります。

〇〇が欲しかったら、□□してください(アメ)
××が嫌だったら、△△しないでください(ムチ)


して欲しいことをしてくれたらアメを与えて、して欲しくないことをしたらムチを与えるということですね。

このように書いてしまうと単純ですが、このアメとムチを実際に行おうと思うと、ものすごい手間がかかります。

たとえば、次のようなことが必要になるでしょう。

  • 何をしたらアメがもらえ、何をしたらムチを受けるのかのルールをつくりメンテナンスする
  • 誰がルールを守っていて、誰がルールを破っているのか監視する
  • 本当にその人がアメやムチを受けるのにふさわしいことをしたのかを確定させる
  • 実際にアメやムチを与える

もちろん、圧倒的な独裁者が、その場の思い付きでアメやムチを与える場合には、ここまでの手間は必要ありません。

ですから、かけなければならない手間やコストは、場合場合で変わってくるはずです。

しかし程度の差こそあれ、典型的には上に書いたような手間とコストが必要になるでしょう。

これだけの説明では実際にかかるコストがいかに莫大なのかをイメージしにくいと思いますので、詳しくは、次の参考記事を読んでみてください。

【 参考記事 】

あまりにも現実的で生々しい例で書くのが躊躇われたので、あえて「チャーハンの味付けにルールをつくったら?」という滑稽な例で書きましたが、外発的動機付けによる関係性を維持するためには、いかにコストと手間が必要なのかはイメージできると思います。

また、もう少し身近な例として、子供に勉強をさせたい親などについても同じ記事に書いてあります。


と、ここまで色々な例をあげて設営してきましたが、小難しいことを考えなくても、外発的動機付けベースの関係性が人間関係をギクシャクさせるのは、ある意味当然です。

だって、考えてみてください。

外発的動機付けというのは、その人が本来、放っておいても勝手に進みたくなるなるような方向性に進まないように外からプレッシャーをかけて進む方向を変えさせることです。

もちろん、それが必要悪であることは多いのでしょう。

ですが、進みたい方向に進めない本人にとっては、そのことがストレスになるのは避けられないでしょう。

外発的動機付けベースの人間関係がギクシャクしやすい傾向にあるのは、ちょっと考えてみれば当たり前のことなのです。

また、相手の進みたい方向を外からの力で無理やり変えようとすれば、必然的に“綱引き”のような状態が起こります。

“綱引き”をしながら、相手を引きずって進まなければならないのだとすれば、莫大な手間やコストがかかるのも当然です。

これは「秩序2.0 ― 綱引きの均衡」の記事でも説明しています。


外発的動機のデメリット2

「外発的動機」は、大きな手間やコストがかかるうえに、人間関係をギクシャクさせる傾向がある




「いじめ」をなくす一番簡単な方法

少しだけ余談ですが、私は、「いじめ問題」を解決するための最重要ポイントは内発的動機にあると思っています。

だって、考えてみて欲しいのですが、「いじめ」よりも楽しいことに夢中になっている人が、わざわざ人をいじめることに貴重な時間やエネルギーを使うでしょうか?

本当はやりたくもない勉強や仕事をしなければならない環境に、外発的動機付けによってムリやり閉じ込めているから、いじめなどの問題が起こるのだと思うのです。


外発的動機のデメリット3:目標達成しても満たされない

人間だれしも、「こんな風に生きたい」、「○○を実現したい」というような夢や目標のようなものを持っていると思います。

夢や目標というと大げさすぎるなら、願望や欲望、妄想などと言い換えてもいいかもしれません。

そして私たちは、そのような自分の目標や願望を実現することで、幸せに近づくことができると無邪気に信じてしまったりしています……。

たとえば、あなたが「私は○○を実現する!」という目標を立てて、努力の末にその目標を見事に達成したとしましょう。

あなたは「夢を叶えた人」であり、「目標を達成した成功者」です。

普通に考えれば、あなたは、夢を叶える前よりも幸せで充実した毎日を送っていると思いますよね?

ところが、これが一概にそうとも言えないのです。

夢を叶えた結果、その夢をかなえる前よりも不幸になってしまうという、まさに悪夢のようなことが普通にあり得るのです。

実は、このことについて、ある調査が行われたことがあります。

その結果わかったこと。

それは、「外発的動機」にもとづく目標は、たとえ達成したとしても満足感が得られないだけでなく、不安や落ち込みが強まる傾向があるということです。

詳しくは、下の参考記事を読んでみてください。

【 参考記事 】


ところで先ほど、内発的動機と外発的動機を少し拡大解釈すると、内発的動機は「飾らない自分の素の部分が望んでいる自分に正直な生き方に向かわせようとする力」で、外発的動機は「純粋な自分が望む方向とは違う方向へと進ませようとする外からの力」と考えられると書きました。

言い方を変えれば、外発的動機付けによる目標は「純粋な自分ではない誰かになることを望む目標」なのです。

詳しくは次の参考記事の物語を読んで欲しいのですが、たとえば、あなたが「手」に生まれたとしましょう。

そんなあなたが「足」や「口」になることを望んだらどうでしょう?

これはもう、満足感が得られるわけなどなく、努力すれば努力するほどに不幸になっていくのは当たり前なわけです。

【 参考記事 】


この記事では、一応、信憑性という意味で真面目な調査結果にも触れたりもしました。

ですが、そんなに難しいことを考えなくても、自分が本来進みたい方向にも進めず、その上、人間関係までギクシャクしていれば、幸せが遠ざかっていくのは、ある意味当たり前のことなのです。

というわけで、ポイントです。


外発的動機のデメリット3

外発的動機付けがベースの夢や目標は、たとえ達成したとしても満たされないだけでなく不幸になる傾向がある


で、結局どうすればいいの?

ここまで、外発的動機づけのデメリットについて書いてきました。

これらのことから考えると、「外発的動機はダメ。内発低動機は素晴らしい!」が、この記事の結論なのかと言えば、必ずしもそうは言い切れません

たとえば、犯罪の予防のためには外発的動機づけは有効に機能しています。

もし人に暴力をふるっても、何かを盗んでも警察に捕まることがないとしたら、犯罪件数は間違いなく増えるでしょう。

あるいは、金銭的なインセンティブによる外発的動機づけがなくなれば、少なくとも現状の社会構造のままでは、経済活動は停滞してしまうでしょう。

それは、計画経済の失敗を見れば明らかです。

このように考えると、一概に、外発的動機を否定することは出来ません。


また、内発的動機にはデメリットが存在しないわけでもありません。

その中でも最大のものは、おそらく、「内発的動機付けだけでは現実的な生活を送ることが出来ない」というものでしょう。

たとえば、絵を描くことが大好きな人がいたとしても、「絵を描くことでは生活できないから他の仕事をしている」ということは珍しくないでしょう。

あるいは、電力会社や鉄道などは、もはや私たちにとっては無くてはならない重要なインフラです。

そのインフラを、内発的動機で働く人だけで支えることが出来るかと言えば、かなり疑問が残ります。

このように、外発的動機には色々なデメリットがあるにしても、少なくとも現状は、私たちの生活を支えるためにはどうしても必要不可欠になってしまう動機付けだと言えるわけです。

誰もが内発的動機にしたがって生きることが出来ればもちろん理想的なのですが、それだけでは生活が成り立たないので、外発的動機付けが必要になるのです。

あえて極端な言い方をするなら、外発的動機は「必要悪」なのかもしれません。


では、私たちは外発的動機のデメリットを知った上で、仕方なく受け入れるしかないのでしょうか?

そこでポイントとなるのが、「100%純粋な外発的動機」や「100%純粋な内発的動機」というものは、まず存在しないという事実です。

たとえば、心の底から絵を描くことを楽しんでいる芸術家でも、0.0001%くらいは報酬の事が気になっているかもしれません。

「この仕事は好きでやっているんです!」という人でも、「じゃあ給料なしで働いて」と言われれば、「何言ってんだコイツ!?」と思うかもしれません。

逆に、お金のためだけに仕方なく働いている人でも、自分の得意な仕事では少しくらい楽しみを感じているというようなこともあるでしょう。

ですから、「内発的動機で働く人」というような表現をすることはありますが、「内発的動機付けを中心として働く人」というような表現がより正確な表現になります。

ある人が、ある1つのことをする場面でも、内発的動機と外発的動機は混ざり合って同居しているのですね。

私が提案したいのは、この「混ざり合っているバランス」の中で内発的動機の割合を、出来る範囲で少しづつ増やしていこうということです。

最後に少しだけ宣伝ですが、生活の中で内発的動機の割合を増やすためには、「あなたの人生を取り戻す、8つの質問」に答えてみるのが良いヒントになるかもしれません(笑)


まとめてみましょう。


外発的動機には大きなデメリットがある。

たとえば、

  • 「外発的動機」は、人の能力をある程度引き出すのには役に立つことがあるが、最高レベルまで引き出そうと思うとむしろ邪魔になる
  • 「外発的動機」は、大きな手間やコストがかかるうえに、人間関係をギクシャクさせる傾向がある
  • 外発的動機付けがベースの夢や目標は、たとえ達成したとしても満たされないだけでなく不幸になる傾向がある

など。

同じことをするなら、外発的動機よりも内発的動機から行動した方が、本人にとっても、周囲にとっても望ましい。

かといって、すべてが内発的動機だけでうまくいくとは限らない(外発的動機付けが必要な場面もある)。

可能な範囲で、内発的動機の割合を増やしていくことが大事。

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