もう「才能がない」とは言わせない!―苦手意識に隠された“天与の才能”を見つける方法


公開日:2015年2月14日( 最終更新日:2018年12月3日 ) [ 記事 ]
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あなたは、いったいどんな才能をもっていますか?
こう聞かれたとき、あなたの頭には何が思い浮かびましたか……?

もし、この質問に自信をもって即答できたとしたら、あなたはかなり自分自身のことを知っている人でしょう。

多くの方は、こんな質問を受けると、困ってしまうのではないかと思います。



では次に、質問を変えてみましょう。

あなたの苦手なことは何ですか?
おそらく、この質問になると、多くの方が自信を持ってたくさんの項目をあげてくれるのではないかと思います。


では、世の多くの人々は、苦手なことだらけで、何か秀でた才能など持っていないのでしょうか……?

私は、そうは思いません。
才能がない人など、一人もいないと思っています。

今回の記事では、そんな、あなたがまだ気付いていない才能を見つける方法について書いていきたいと思います。

「やっと気付いた!これこそ、きっと私の才能」と、自分の才能が見つかって喜ぶ女性

“問題解決”志向と“問題発見”志向 ― 仕事が遅い人、覚えが悪い人ほど……。

ところで、このテーマについて考えるにあたって、先に読んでおいて頂きたい記事が1つあります。

それは、「仕事が遅い人に朗報!?―「問題発見能力」や「創造性」が高い人ほど仕事が遅い?」という記事です。

その記事では、たとえ何かを覚えたり、上達したり、完成させたりするのが遅かったとしても、必ずしも心配すべきことではないということについて書きました。

なぜならば、“問題発見”志向の人ほど、仕事にしても、勉強にしても、趣味の活動にしても、あれこれ考えてしまって上達に時間がかかってしまい、器用な人にどんどん置いて行かれているような気持ちになってしまうことがあるからです。

しかし、実のところ、そんな苦手意識の裏には、心配がないどころの騒ぎではなく、あなたの人生にとって記念すべき一大事だといってもいいくらいの喜ばしいことが隠されていることがあるのです。

そう、そんな苦手意識に裏に、あなたに与えられた“天与の才能”が潜んでいることがあるのです。


その記事では、「決まったやり方を覚えてこなすのは速いけれど、探究は浅い傾向がある“問題解決”志向」と、「あれこれ考えてしまって、決まったやり方を身につけるのには時間がかかるけれども、探究が深く創造性が高い傾向がある“問題発見”志向」の2つのについて説明しました。

そして、その2つの志向は、どちらが良いとか悪いとかの問題ではなく、状況に応じた対応が必要だと書きました。

適切な対応を選ぶための1つの方法は、以前の記事で紹介した緊急度や重要度から対応を選ぶ方法です。

また、その方法とは別に、「 好き / 嫌い 」「 得意 / 不得意 」から選ぶ方法があるとも書きました。

もう少し具体的に言えば、「好きなこと、得意なことは自分でやって、苦手なことや嫌いなことは、それを好きで得意な人に任せる」という考え方です。

そして、この「 好き / 嫌い 」「 得意 / 不得意 」から選ぶ方法こそが、あなたの人生を、そしてあなたの住む世界を、素晴らしいものに一変させてしまう可能性を秘めているということも書きました。

才能とは、いったい何なのか?

どうゆうことなのでしょうか?順を追って考えていきましょう。

まず、ある特定の誰かについて考えるとき、その人の全体的な傾向としての“問題解決”志向、あるいは“問題発見”志向があるでしょう。

例えば、「あの人は何をやらせても器用に直ぐ覚えてしまうけど、ちょっと応用が弱いね」とか、「あの人は何をやらせても、自分でよく考えて納得しながら覚えていくね」といったような具合です。

しかし、全体的な傾向はあったとしても、どんな時でも必ず“問題解決”志向だとか、いつでも必ず“問題発見”志向だという人もちょっと想像しにくいものがあります。

その時々で、“問題解決”寄りだったり、“問題発見”寄りだったりということがあるはずです。

例えば、既に書いた重要度や緊急度やその他の理由から、意図的に“問題解決”と“問題発見”を使い分けている場合があるでしょう。

あるいは、それとは別に、特に何も考えなくとも無意識のうちに“問題解決”と“問題発見”を使い分けている場合もあるでしょう。

例えば、数学の時間には、意味など考えずに機械的に公式をあてはめて問題を解くだけの“問題解決”志向の人がいたとしましょう。

しかしその同じ人が、音楽の時間には「なぜ、こういう演奏法をするんだろう?」と、ただ与えられた方法通りに演奏するのではなく、“問題発見”志向で、その背景を探究しようとするかもしれません。

あるいは、歴史の時間になると、「もし自分がこの人だったら、このときどうしただろう?」、「この事件が起こらなかったら、その後の歴史はどうなっていたんだろう?」というように“問題発見”志向に変身する人もいるかもしれません。

地理の時間に地図帳を眺めながら「なんでこの国は食料自給率が高いんだろう?」、「この国くらいまで日本の自給率をあげるには?」、「この海底ケーブルがなくなったら、世界にどんな影響を与えるんだろう?」と考える人。

家庭科の時間には食品成分表を眺める人に、国語の時間に資料集の和歌に夢中になる人漢字の成り立ちに興味を示す人体育の時間になると突然元気になってしまう人……。

授業以外の場面でも、たとえ同じ競技をしている部活動の中にだって、たくさんの視点があります。

自分の技術を高めたいというプレーヤー的視点、ひとりの選手の立場でありながらもチーム全体を見る監督的視点、縁の下からチームを支えたいというマネージャー的視点、雰囲気が暗くなったときに明るくしようとするムードメーカー的視点、後輩を育てようとする指導者的視点、あるいは、傍から見ればちょっと行き過ぎてしまったその部独特の文化や習慣にブレーキをかける冷静な視点

それぞれのメンバーが、自分独自の視点を持っているはずです。

そして、例えば、自分の技術を高めたい人は、いつも「取り組んでいる練習法の意味や、より良い練習法がないだろうか?」という方向に“問題発見”能力を発揮しているかもしれません。

一方でムードメーカーは、いつも「今なにを言えば場が盛り上がるのか?」という方向に“問題発見”能力を発揮しているかもしれません。

部活動以外でも、例えば文化祭であれば、企画の立案で、スケジューリングで、衣装や小道具の準備で、買出しで、予算管理で、学校や他のクラスとの交渉で、意見の対立でギスギスした雰囲気になったときに場を和やかにしようとする場面で、誰にも気づかれないような地味な作業で、それぞれ違った人が、違った“問題発見能力”を発揮することでしょう。

みんなそれぞれが、その人なりの視点で、ある時は“問題発見”を志向し、ある時は“問題解決”を志向しているはずです。

そんなとき、“問題発見”志向は、誰に強制されることもなく自然に生きているだけで当然のように発揮されています。

そして、そうやって自然に“問題発見”を志向してしまうことこそが、あなたの“天与の才能”だと言えるでしょう。

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あなたの人生を取り戻す、8つの質問 by 和楽の道

才能は、自然と探求してしまうことに隠されている

思い出してください。

“問題発見”を思考する人は、“問題解決”を志向する人に較べて、その分野をより深く探求して、自分のものにしていける傾向があるということは既に書きました。

もっとわかりやすく言い換えれば、その分野の能力が高まりやすい傾向があるということです。

そして、誰に強制されることもなく自然と“問題発見”を志向して探究してしまうということは、その分野に取り組むことが好きで、苦にならないということです。

言い換えれば、“楽”に、“楽”しみながら取り組めるということです。

なぜならば、もし取り組むことが苦痛で、退屈であれば、誰に頼まれることなく自然に取り組んでしまうはずがありません。

嫌なことに取り組む時には、誰かに強制されるか、自分で自分自身を強制して頑張ったり努力する必要があるはずです。


考えてみてください。

誰かに強制されたり、自分で頑張って努力したりしなくても、自然に、人よりも深い探求を“楽”に、“楽”しく出来てしまうこと。

(もちろん、本人にとっては“楽”しんでいるだけでも、他人からは物凄い努力をしているように見えてしまうことはあるかもしれません。)

そんな分野のことは、悲壮感が漂う努力などしなくても、自然と能力が高まってしまいます。

それはまさしく、その人が生まれ持った個性であり才能です。

そう。生まれながらに与えられた“天与の才能”と呼ぶにふさわしい才能なのです。

“才能がない人”なんて、存在しない!

もちろん、“天与の才能”といっても、それは決して大げさなことではありません

例をあげて説明しましょう。

例えば、社会の授業でパラパラと地図帳をめくっていたら、ついつい食料自給率のページに目が止まってしまい、あれこれ考えながらしばらく見つめてしまったことがあるという人がいたとしましょう。

こんな地図ですね。

世界の穀物自給率マップ(2013年) 出所:“世界の穀物自給率マップ” by 社会実情データ図録

そんな人は、まず間違いなく、その問題について探求する才能を持った人だと言えるでしょう。

なぜならば、もし才能がなければ、そもそも食料自給率のページで目が止まってしまうということがないからです。

その才能を持っていない人であれば、たとえ先生から食料自給率マップを見るように言われたとしても「へー、そうなんだー。」でお終いです。

「試験に出すよ」と言われたとしたって、自給率が高い国と低い国を丸暗記するくらいのもので、“問題発見”志向で、自然にあれこれと探究してしまうということはないでしょう。

そうです。授業中に退屈して、ついついボーっと眺めてしまったページすら、その人の才能を見つけ出す重要なヒントになるのです。


さらに、その時にあれこれ考えている内容から、さらに深くその人の才能の方向性を探ることも出来てしまいます。

例えば、まったく同じ自給率マップを見ても、「国によってにこれだけある自給率の差を埋めるために、いったいどうやって食料を輸送しているんだろう?」と考える人は流通や貿易に才能があり、「水が少なそうなこの国ではどうやって作物を育てているんだろう?」と考える人は農業や治水に才能があるのかもしれません。

あるいは、貧富の格差による食糧問題に想いを馳せる人だっているでしょう。

デザイナーの才能がある人なら、その地図の形や色遣いに心躍らせるかもしれません。

それ以外にも、経済の視点異文化交流の視点料理人の視点安全保障の視点旅行者の視点子供を健康に育てたい母親の視点国の将来を案じる指導者の視点……。

その人が持つ“天与の才能”次第で、まったく同じ自給率マップであったとしても、まったく見え方が違ってくるのです。


そんな風に考えると、「“才能がない人”なんて存在しない」、と思えてきませんか?
誰だって一度くらいは、他の人からは「何が楽しいの?」としか見えないようなことに、無意識に探求の目を向けてしまっていたことがあるはずです。

“天与の才能”を覆い隠す苦手意識

しかし、ここで厄介なのは、その本人がなかなか自分の“天与の才能”に気付けないということです。

なぜならば、「地図帳を眺めてあれこれ考える」ということが本人にとってあまりにも自然である場合には、「みんなもそうなんだろう」と勝手に思い込んでしまうからです。

運良く、隣の席の人から「さっきから、ずっとその地図見てるけど、面白いの?」と聞かれたりすれば、地図帳を眺めることが誰にとっても楽しいわけではないのだと知ることが出来るかもしれません。

ですが、そのことから自分の“天与の才能”に気付くことが出来る人は少数派でしょう。

多くの場合は「地図帳を眺めるのが好きじゃない人もいるんだな」で終わってしまうのではないかと思います。

自分にとってはあまりにも自然なことだったために、自分ではそれに気付いていないことが多いのです。


そして、それだけで済めばまだマシな方で、悪い場合には苦手意識をもってしまうことすら少なくないのです。

なぜならば、既に書いたように“問題発見”志向の人は、“問題解決”志向の人に比べて、上達や作業が遅いことがあるからです。

深い探求をしたり、マニュアル通りの対応ではなく自分独自の何かをしようとすれば、教えられた手順どおりに行動する人に比べて、上達が遅いように見えることは少なくありません。
上の例で言うならば、自給率マップを見て、自給率上位5カ国を器用にパパっと暗記してしまう人と、地図を見ながらあれやこれや考えている人を思い浮かべてください。

もしその二人がテストを受ければ、暗記した人の方が短い勉強時間で高い点数だったということは珍しくないでしょう。

“問題発見”志向の人が、例えば、「どうやれば日本の自給率を上げられるだろう?」と思いを馳せていたような場合には、「自給率上位5カ国を答えなさい」という設問に回答することすらできないかもしれません。

仮に正解を答えられた場合でも、器用に暗記してしまう人に比べて、“余計なこと”を考えている分だけ、覚えるまでに長い時間がかかってしまいます。

そして、「あんなに速く、世界の食糧事情を“理解”してしまうなんて、あの人はなんて凄いんだろう。それにくらべて、私なんて……」と苦手意識を感じることになるのです。

しかし実際には、“問題解決”志向の人は“覚えた”だけで、“理解”したわけではありません

しかし、自分が「なぜ?」を繰り返して理解してから覚える“問題発見”を志向しているときには、「“覚えている”ということは“理解している”」という風に映りがちなのです。


そしてこのことは、他の多くの分野でも当てはまります。

例えば、初めてプログラミングに触れた“問題発見”志向の人が、「なんでこんな書き方をするんだろう」と頭を悩ませているうちに、教科書を丸写しして器用に課題を終わらせてしまった“問題解決”志向の人を見て、プログラミングに苦手意識を覚えてしまうこともあるでしょう。

もちろん、客観的に見ればどちらの方がプログラミングの才能があるかは明らかです。

教科書を丸写しして器用に課題をこなす人よりも、時間はかかっても理解しようとする人の方が、長い目で見ればプログラミングの能力を伸ばしていくであろうことは間違いないでしょう。

それでも当の本人は、「たった10分でこの課題を“理解してしまう”なんて、あの人はなんて凄いんだろう」と落ち込んでしまうことも珍しくないでしょう。

思い込みの苦手意識に惑わされない

しかし、それは喜ぶべきことであることも少なくありません。

なぜならば、それは自分自身の個性や才能の発現かもしれないからです。

自分があれこれ考えてしまっているうちに、器用に上達していく人を見て、「自分は置いて行かれているのではないか?」と悩んで苦手意識を感じてしまった……。
そんな瞬間こそ、あなたが“天与の才能”との運命の出会いを果たした瞬間なのかもしれないのです。


もし、誰かに比べて上達が遅いと苦手意識を持ってしまったとしても、それは、目に見える結果が人に比べて遅かっただけのこと。

しかし、目に見えない部分では、“問題発見”のために大きなエネルギーを注いでいるのかもしれません。

もちろん、すぐに目に見える結果が重要でないというわけではありません。

けれども、それと同時に、目に見える結果にはすぐにつながらない部分にすらエネルギーを注がずにはいられない自分自身に意識を向けることも大切なことだと思います。

なぜならば、それは、あなたが自然とエネルギーを注いでしまわずにはいられない、あなたという存在にとって“特別な何か”に出会ったサインかもしれないからです。

自分の“天与の才能”と付き合うときには、苦手意識に惑わされないことも大切なのです。

あなたの“才能”と、“和楽の道”

ところで、あなたが自分の“天与の才能”をはっきりと気付くことができたとして、その才能をどのように活かしていけばいいのでしょうか?

このテーマは、詳しく扱おうと思えば、それだけで何記事もかけてしまうようなテーマですので、ここでは深くは書けませんが、簡単に説明しておきましょう。

(「あなたの人生を取り戻す、8つの質問(“和楽の道”がお届けする無料のメール講座です)」に答えてみることも、その役に立つでしょう。)

結論から言ってしまえば、“天与の才能”を、他のすべてと調“和”しながら、あなたにとって“楽”で、“楽”しめる方法で活かしていくことが大切です。

もう少しわかりやすく説明しましょう。

「他のすべてと調“和”」というのは、例えば、あなたの“天与の才能”を、人の役に立つようなかたちで発揮させることが挙げられます。

なぜならば、もし人の迷惑になるかたちで才能を発揮する人がいたとしたらどうでしょう。

そんな場合には、おそらく、「やめろ」と抗議する人が現れたり、最悪の場合には警察沙汰になったりするなどの形で、あなたが才能を発揮するのを妨げようとする力が働くことでしょう。

あるいは、とても生活を維持できない程のお金を浪費しながら才能を活かそうとしたらどうでしょう?

説明するまでもなく、自分の経済状態との調和を無視すれば、生活が破綻して才能などと言っていられる状況ではなくなります。

このように、他との調和のとれない方法で才能を発揮すれば、その才能を発揮するのが難しい状況に追い込まれることになります。

ですから、お金や人間関係、健康などを含めた人間としての生活と調和的に“天与の才能”を発揮する必要があります

(これは、あえて難しい言い方をするなら、「秩序レベル」を上げるということです。詳しくは、「秩序の進化 ― 誰も犠牲にならない世界」を読んでみてください。)


もちろん、このように書くとものすごく難しいことのように見えますが、私たちが人間である以上、完璧ということはありませんので、100%完璧でなければならないということではなく、方向性としてその方向に進むことが大切なのだと理解して頂ければと思います。

現実的に地に足をつけて、無理のないペースで、けれども力強く進んでいけばいいでしょう。
もし、無理をすれば、それは自分自身との“和”を乱すことであり、本末転倒になってしまいます。


次は、後半の「あなたにとって“楽”で、“楽”しめる方法」について説明しましょう。

これまでに書いてきたように、“天与の才能”というのは、本来、何も考えなくても自然に、“楽”で、“楽”しめてしまうもののはずです。

しかし、例えば、音楽が大好きで得意な、まさに音楽が“天与の才能”だというような人であっても、なぜか音楽をするのが虚しく感じられてしまうような場合があるのです。

それは、“天与の才能”に対する探求が不足していることや、その表現方法が一因だったりするのですが、長くなりすぎてしまうので、ここでは触れません。

何にしても、「あなたにとって“楽”で、“楽”しめる方法」で“天与の才能”を発揮するのではなく、無理をしていれば、それはやがて破綻してしまうでしょう。

だから、“天与の才能”を、他のすべてと調“和”しながら、あなたにとって“楽”で、“楽”しめる方法で活かしていくことが大切なのです、

そうやって、“和”と“楽”を両立していくことが、このサイトの名前である“和楽の道”が象徴しているひとつの側面です。

そして、“和”と“楽”を両立させることができれば、それは、あなたの人生に喜びをもたらすだけでなく、神話と形容されるほどの奇跡や、地球と人類、そして何よりもあなた自身を救うことにもつながります。


ここで思い出していただきたいのは、この記事の最初に書いた「好きなこと、得意なことは自分でやって、苦手なことや嫌いなことは、それを好きで得意な人に任せる」という考え方です。

これは、「誰もが楽しみながら“天与の才能”を活かし、それを与えあうことで、全体を成り立たせる」ということであり、まさに“和”と“楽”を両立させることです。

好きなこと、得意なことは自分でやって、苦手なことや嫌いなことは、それを好きで得意な人に任せる

この理想を、現実的に成り立たせていくことこそが、あなたの人生、さらには世界をも大きく変えることにつながるのです。

あなたの隠された才能に出会う道

しかし、上でも書いたように、無理は禁物です。

なんといっても、まず最初の一歩は、あなたの“天与の才能”に気付くことです。

もしあなたが、自分の“天与の才能”に気付きたければ、「あなたが誰かに強制されたわけでもなければ、頑張って努力することもなく、自然な流れでついつい探求してしまったこと」が、そのヒントになるはずです。

自分がその状態にあると気付いた時や、過去を振り返ってその状態になっていた自分を思い出した時には、それをメモに書き留めておきましょう。

そして、そのリストを眺めていれば、その共通点から“天与の才能”や、それを惑わせている苦手意識が見えてくるでしょう。


これまでのあなたを振り返るときには、ひとつの効果的な視点として、次のような軸を意識してみるといいかもしれません。

小学校、中学校、高校、……という時間軸。

趣味、学業、仕事、部活、文化祭や体育祭などの学校行事、地域の活動、人づきあい、お気に入りの本・映画・場所、……などなどの活動内容の軸。


その際に特にお勧めしたいのは、昔の写真を見返したり、気に入っていた本や映画、あるいは卒業文集や卒業アルバムを見てみたり、可能であれば実際に通学(通勤)した道を久しぶりに歩いてみることなどです。

そうやって、当時の空気感やエネルギーを味わうことで、思いもよらなかったことが思い出されたりします。

そうやって、あなたの内面を深く探り、自分自身と触れあってみてください。

実際にやってみることが大切です。

胸に手を当て、自分の内面を見つめ、自分自身と触れあう女性

しかし、注意していただきたいこともあります。

それは、素早い行動は大切なことですが、今回のテーマは、浅い探求で「わかったつもり」になってしまうと非常にもったいない内容だということ。

よろしければ、ある程度まとまった時間が取れるときに、もう一度この記事を読み返して、実際に探求に取り組んでみてはいかがでしょうか?
<初めての方へ : 和楽の道について


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