文章力を磨かず起業した人が抱える、7つのハードル
こんにちは。わらくです。
少し前の話になりますが、ある読者の方(Kさん)から、メールを頂きました。
メールは後ほど紹介しますが、Kさんは今、起業塾などで学びながら、「本当にやりたかったこと」を仕事にする道を歩んでいるということでした。
“和楽の道”の読者さんの中には、同じような境遇にある方が、たくさんいると思います。
そこで今回は、自分のビジネスを持とうと思っている方に向けて「文章力を磨かず起業した人が抱える、7つのハードル」というテーマで記事を書いてみたいと思います。
なにはともあれ、まずはKさんから頂いたメールの紹介をしていきましょう。
まずは、このような価値ある内容を丁寧な言葉で届けてくださったことにお礼を申し上げたいと思い、メッセージを書いております。
実は私も同じような疑問を幼少期から持っており、「私の人生における使命とはなんだろうか」と考えながら生きてきました。心からやりがいを感じ、楽しめることを仕事として、世の中に貢献しながら生きていけたらどんなに幸せでしょうか。
しかし私は大学を出るまでそのような視点に基づいて自分を深く内観する機会も方法も知らず、「食べていくため」にそれほど興味はないが安定と言われる医療資格を取り、なんとなく病院勤務する道を選びました。
そのような動機で勤めた職場は地獄のようでした。そもそも医療職は強い意欲のある人ですら心が折れることが珍しくない過酷な場です。私はあっという間に心も体も壊してしまいました。
そのことをきっかけに自己の探求を始め、様々なセミナーや自己啓発本などに手を出してきました。それと並行して病院を辞職し、科学者になる道を歩み始めました。私は本当は科学者になりたかったのですが、頭もよくないし才能がないからと逃げていたんですね。今年ようやく博士課程を修了し、現在研究者一年生としてスタートしたばかりです。
私はこのように第一段階として「本当にやりたかったことにシフトする」を経てきましたが、まだまだ道半ばと考えています。研究をするにしても「その価値を届けたい相手」が全く見えないという壁にぶつかっているためです。
私はただ実験したり論文を書くだけの研究者になるよりも、人々に価値ある情報をメッセージとして届けたいというような思いもあるのです。ただ、その形が今は漠然としていて、そこを追求するために現在もセミナーや自己内観のための教材で学んでいるところです。
今回メルマガに登録させてもらったのも、そのような経緯から興味を持ったからでした。
また私は現在「志から事業を興す」ことをモットーにした起業塾で学んでおり、そこでもやはり今回いただいた質問と同じようなテーマで自己探求をしています。
自分が人生をかけてやり遂げたいことを明確にし、それに沿った事業を展開していくことを目標に、それぞれが自己探求をしながら事業計画に落とし込んでいます。
私はまだ具体的な方法が見えずにさまよっているような段階ですが、「真実の人生」のストーリーを読ませていただき、週末起業のような方法もあるのか、価値を届けたい相手に心からのメッセージを送ることが大事なのか、などヒントをいただけたように感じます。
私は両親が公務員なこともあって「安定=幸せ」という価値観で育てられました。しかし世界の情勢を見るにつけても今は大きな転換期を迎えていると思いますし、米国や欧州も迷走を続ける中、日本が世界に果たすべき役割もますます大きくなっていくだろうと感じます。
そんな時代ですから、今後は終身雇用でコツコツと働き続けるような人よりも、自ら社会に変革を起こしていけるような意識ある人材が求められていくのでしょう(もちろん前者の存在も必要と思いますが)。私もこの時代に生まれた日本人として、そのような人材の一人になりたいと思っています。
今回、メルマガと書籍を読ませていただき、同じような考えで動いている人もいるのだと勇気をいただきました。ご縁に感謝いたします。ありがとうございました。
過去のKさんは、安定を求めて(それもとても大切なことだと思います)医療の道に進みました。
しかし、その現場の過酷さは、医療の道に特別の思い入れがあったわけでもなかったK さんにとって、地獄のようなものだったといいます。
そのような環境の中で、心や体を壊してしまったKさんは、現在は博士の学位をとって、本当に取り組みたかった科学者としての道を進んでいるそうです。
しかも、ただ実験をしたり論文を書いたりを繰り返すだけではなく、世の中に価値あるメッセージを届けられる研究者を目指しています。
私も世の中にメッセージを発信している人間のひとりとして、世の中に価値あるメッセージを届けたいという気持ちはとてもよくわかる気がします。
まずは、Kさんの素晴らしい“志”に応援の気持ちを送りたいと思います。
是非、世の中に価値あるメッセージを届けることを、心の底から楽しむ毎日を満喫してください!!
というのも、私も、修士課程までではありますが科学技術系の研究室に所属していたからです。
短い時間でしたから、ほんの数回ではありますが、私も学会発表をしたり、論文を書いたりという経験をしていました。
そんな日々の中で、たくさんの葛藤を経験しました。
「自分が取り組んでいる研究は、論文のための研究になってしまっていないだろうか?」
「これは、ほんとうに自分の貴重な時間を投入するだけの価値のある研究なのだろうか?」
というような疑問や悩みが、次々に襲ってきていたのです。
そんな悩みの中でも一番大きかったのは、「研究が楽しく感じられなかった」ということです。
決して、研究が苦手だったわけではありません。
その研究室の中では、どちらかと言うと得意な方で、博士課程の学生や、博士号を取得している助手の方とも対等に議論できる程度の発言力は頂いていました。
実験計画を立てることも、段取り力も、とったデータの統計処理も、発表用のスライド作成能力も、研究室の中では誰にも負けないくらいの自信も持っていました。
ですが、ほとんど楽しさが感じられなかったのです……。
自分がもっている限りある時間を使い続けるほどの意義を感じられなかったと言った方が正確でしょうか。
医療系の仕事をしていた時のKさんも、もしかしたら、こんな葛藤を抱えていたのかもしれませんね。
この私の葛藤の原因は、今になって振り返ってみると、なんとなく原因がわかるような気がします。
それは、結局のところ、当時の私も「いかにして【 秩序3.0 】以上の世界を実現するか?」ということを無意識のうちに考えていたのだと思います。
(秩序レベルの考え方については、「秩序の進化 ― 誰も犠牲にならない世界」を読んでみてください。)
もちろん、当時の私がここまでのことを言語化できていたわけではありません。
しかし漠然とした感覚として、つぎのようなことを感じていました。
科学技術というのはあくまでもツールであり、それを使う人間しだいで便利な道具にも、危険な凶器にもなりえる
競争をベースにした世の中で、技術の力で競争が激化すれば、人々は競争に縛られ不幸になるのではないか?
その満たされない感覚・渇望感が、新たな対立や競争の火種になるのではないだろうか?
「争い」や「対立」の意識から技術を使えば、技術が凶器になる可能性は高いだろう
いま、このことを言葉にするなら、
「【 秩序3.0 】以上の秩序レベルを中心にした社会は、どのようにしたら実現できるのだろうか?」
ということでしょうか。
(秩序レベルについては「秩序の進化 ― 誰も犠牲にならない世界」と、その記事のリンク先の記事を読んでみてください)
結局のところ、今考えていることも、当時の葛藤も、深さの違いはあれど本質は同じだったということです。
思い返してみれば小学校のころからクラス運営の矛盾について考えているような変わり者でしたから、もうかれこれ数十年は向き合っているテーマではありますが、まったく飽きる気配がありません(笑)
私にとっては、逃げることが出来ない人生のテーマなのかもしれません。
おそらく、このような人生のテーマを自分でハッキリ自覚できる程に気付けたことはとても幸運なことなのだと思いますが、私もこのことに気付くまでは悩んだり、葛藤したりを繰り返していました。
上に書いた大学院生時代のエピソードも、その一部ですね。
自分が取り組みたいテーマは他にあると無意識で感じていたからこそ、自分が人生を通して果たすに値する役割は、研究室での日々の先にはないだろうと感じて※1しまっていたのだと思います。
そんな風に悩んだり、葛藤したりしていた私。
そんな私が、いったいなぜ「逃げられない」と観念する程の人生のテーマに出会えたのでしょうか?
これから説明する「ある能力」に、その秘密が隠されているのです……。
まずは、先を読み進めてみてください。
もしかしたら、Kさん以外にも同じような壁にぶつかっている読者の方がいるかもしれませんので、余計なお世話ながら、私からのアドバイスを書いてみたいと思います。
ただし、“和楽の道”の基本方針は読者に強制しないこと※2です。
ですから、Kさんに対しても、Kさん以外のこの記事を参考にしているあなたに対しても、「こうすべきだ!」というような強制はするつもりはありません。
そのことを大前提にしたうえで、私がおススメしたいのが、文章を書いてメッセージを発信するということです。
文章というのは、“和楽の道”のようにブログ形式でも構いませんし、メルマガでも、TwitterのようなSNSでも構いません。
あるいは、YoutuberやVtuberのように動画での情報発信をしても構いません。
動画は文章ではないと思われるかもしれませんが、動画の中で喋る言葉、表示する文字、全体のシナリオなどを文章だと捉えてもらえばいいでしょう。
では、いったいなぜ、文章を書いて発信することが役に立つのでしょうか?
それは、文章を書いてメッセージを発信することには、次のような効果があるからです。
なぜならば、 文章を書くことは、自分と向き合うことなしにできることではないからです。
ある言葉を選んだ時のちょっとした違和感や、しっくりとする感覚。
書いていると、時間を忘れるほどに集中して、次から次へとアイデアが止まらなくなるテーマ。
それとは逆に、頑張って書こうとしても、どうしても義務感から書いているような感覚から抜け出すことができないテーマ。
このような感覚のひとつひとつから、あなたの魂は何を表現することを望んでいるのか――?
あなたは何を表現する時に喜びを感じるのか――?、を知ることができるのです。
詳しくは、「」好きなことを見つける文章力!を読んでみてください。
ちなみに私自身も、“和楽の道”を始める前に、いくつかのブログやメルマガを運営していたことがありました。
その中には、今思えば、私が本当に表現したいことから外れたテーマのものもあったというのが現実です。
しかしそのような記事であっても、気がつくと、いつも同じようなテーマに脱線していることに気づくことが何度もありました。
それが、「一人ひとりの“個”としての幸せと、“個”が集まった“集団”としての幸せの両立」というテーマです。
( 一人ひとりが“楽”しく生きること + 集団としての“和”の両立 → 和 + 楽 で、“和楽の道”です )
本当に面白いくらい、文章を書いていると、いつのまにかこのテーマについていることが何度もありました。
たとえば、「仕事術について書いていたのに、いつのまにか脱線してこのテーマについて書いていた」というような具合です。
私の場合は、このような経験を何度も繰り返すうちに、「このテーマからは絶対に逃げられないのだな」という、ある種の「諦めの境地」に至りました(笑)
“和楽の道”は、2012年から何年間続も続けていますが、今でもこのテーマは自分の中心に据えるべきテーマだと感じています。
自分でビジネスを起こそうと思った時、そのスタートのタイミングでぶつかる最大級の壁が「集客」です。
この集客に失敗すると、歴史に名を残すような天才がつくった品であったとしても、全く売れないということが実際にありえるのです。
もし、ブログでのメッセージの発信を通じて、あなたの世界観に共鳴する読者さんと繋がることができれば、それは、あなたがビジネスを始める際の見込み客と繋がることができたということでもあります。
もちろん、読者さんのことを「金づる」を見るかのような目で見てブログを運営することはお勧めしません。
読者さんが必要としている価値を提供して、その対価としてお金をいただくという健全な関係は大前提です。
読者の方からの質問を見て、あなたは、自分のメッセージのどこが分かりにくいのかに気づくことができるかもしれません。
あなたの読者(≒見込み客)が、何に悩んでいるのか(≒何に価値を感じているのか)を知ることができるかもしれません。
このような生の情報は、あなたの今後のビジネス展開にとって、そう簡単には手に入らない貴重な情報となるでしょう。
ビジネスとして何かをする以上は、 誰かに何かしらの価値を提供することは絶対条件です。
いくら自分がやりたいことをビジネスにすると言っても、独りよがりでは、そのビジネスは破綻してしまいます。
「自分の喜びを表現すること」と「誰かに価値を提供すること」を両立しなければならないのです。
ですから、本格的にビジネスをスタートさせる前に、あなたの見込み客が、いったいどんなことに価値を感じているのかを知ることは、とても貴重な経験になるでしょう。
たとえば、あなたが将来誰かとコラボ企画をしたいと思ったとします。
そんな時に、そのコラボ相手が、 あなたのビジネスの裏側に込められた理念やミッション、世界観などを全く知らない人だったらどうでしょう?
チラシを1枚つくるだけでも、 選ぶ言葉、挿れるイラストの雰囲気、配布方法など、何をするにもお互いに違和感が残ってギクシャクしてしまうかもしれません。
ところで、もしそのコラボ相手が、 あなたのブログを読んで「一緒に何かやりませんか?」と声をかけてきてくれた人だったらどうでしょう?
そんな場合には、理念やミッション、世界観などが共有できているでしょうから、このようなトラブルが起こる可能性は、ぐっと低くなるはずです。
あるいは、将来あなたがもっとビジネスを拡大させようと思い、従業員を雇おうと思った場面を想像してみてください。
そんな時に、あなたのブログの熱心なファンで、あなたのビジネスの理念や世界観に深く共感している読者さんからスタッフを雇うことができたらどうでしょう?
それとは逆に、求人誌に出した広告を見て応募してくれた人を雇った場合ではどうでしょう?
あなたなら、どちらの人と一緒に働きたいでしょうか……?
このように、あなたがメッセージを発信することは、見込み客を集めることだけではなく、一緒に仕事をする仲間を引き寄せてくれる力も持っているのです。
これは、決して難しい話ではありません。
たとえば、「人を蹴落としてでも勝ち上がることが大切だ」という価値観を第一に置く人は、当然、争いに明け暮れる人生を送ることになるでしょう。
それとは逆に、「人と仲良くすることが大切だ」という価値観を重要視する人は、自分から争いを仕掛けるような行動をとることは無いでしょう。
単純な話です。
私たちの行動は、“観念のプログラム”によって支配されている側面があるのです。
詳しいことは「知らなかったら損をする! ― 私たちを影から操る“プログラム”の正体を探る」という記事を読んでみてください。
沢山の例を挙げながら、私たちがいかに“観念のプログラム”に支配された存在なのかを説明してあります。
ところで、もし、このことが正しいとするとどうでしょう?
そうだとすると、あなたの人生や事業は、あなたが持っている“観念のプログラム”に よって支配されているということになってしまいます。
あなたの人生がどんなものになるかも、あなたの事業が成功するかも、あなたを支配している“観念のプログラム”次第なのです。
これは、ハッキリ言って、あまり気持ちのいいことではありません……。
ですが、このような側面があることは認めなければなりません。
私たちが“プログラム”に支配される存在で居続ける限りは――。
そう。
私たちが“観念のプログラム”に支配される存在である限りは、あえて過激な言い方をすれば、私たちは“プログラム”に支配される奴隷です。
しかし、プログラムが存在するということは、そのプログラムを作ったプログラマーが存在するはずです。
もしあなたが、この“プログラマー”になることができれば、 あなたが望まない現実をつくっている“観念のプログラム”を書き換えることができるのです。
実は、文章を書くことは、この“プログラマー”としての能力を磨くことにつながるのです。
すでに書いたように、文章を書くことは、強力な「内観」のツールになります。
「内観」というものは、言い方を変えれば、自分自身がどのような“観念のプログラム”を持っているのかを見抜く行為だと言えます。
あなたが無意識のうちに支配されている“観念のプログラム”を見つけることができれば、 もはやそれは無意識的に支配されている状態ではなく、あなた自身が意識的に選ぶことができる選択になります。
あなたがメッセージを発信して、そのメッセージに共感した読者が集まってくると、あなたと読者の間には、共通の世界観が共有されるようになります。
この世界“観”というものは、 「世界をどのようなものとして“観”ているのか?」という“観念”ですから、当然、“プログラム”としての機能を発揮します。
つまり、あなたが発信するメッセージは、あなたと読者の関係(≒ビジネス)をつくりだす“プログラム”であり“ソースコード”なのです。
そのように考えると、あなたがどのようなメッセージを発信するのかを、自分自身と向き合いながら考える時間は、あなたのビジネスを設計している時間だということもできるのです。
そして重要なのは、このようなメリットを、ほとんど「リスクなし」で受け取ることができるということです。
ブログのような情報発信というのは、最初に踏み出す「小さな一歩」としてかなり優秀でなのす。
たとえば、無料ブログであれば、文字通り無料で始めることができます。
自分でサーバーをレンタルして WordPress のサイトを運営する場合でも、月額数百円から1千円くらいの金額を出せば、十分に運営することができます。
(長くなるので詳細は解説しませんが、真面目にやるのであればこの方法がおすすめです。)
とはいえ、全くリスクがないわけではありません。
これは当然です。
もしあなたが、著作権違反や法に触れるようなメッセージを発信すれば、あなたの信用は地に落ちてしまうでしょう。
人の道から外れたような発言や、読者を騙すような発言をすれば、誰もあなたのメッセージに耳を傾けなくなるかもしれません。
ですから、誠意をもった情報発信をすることは絶対条件です。
あるいは、ブログの運営会社の利用規約に違反すれば あなたのブログは削除されてしまうかもしれません。
秘匿性の高いアイディアを発信してしまえば、あなたがアイディアを形にする前に、誰かに模倣されてしまう可能性もあります。
ですから、当然のことながら、ゼロリスクとはいきません。
それでも、大きな資本が必要なわけでもなく、誰でも始められる情報発信は、小さなビジネスを始めようと思っている人にとって強力な力となるでしょう。
「大怪我をしないだけの準備が出来たら、まず踏み出してみる最初の一歩」に、とても適しています。
それに、思い出してみてください。
上に書いたように、自分自身と向き合い、メッセージをつくり発信することは、ビジネスを運営していくうえで、極めて重要な役割を果たしています。
だから、もしビジネスを始めれば、嫌でも「自分と向き合うこと」「メッセージをつくり発信すること」と向き合わなければならない時がくると思います。
その訓練を、早いうちからしておくことは、決して損にはならないでしょう。
仮にですよ。
もしブログの運営をしばらくやってみた結果、そのブログを閉鎖することにしたとしましょう。
そんな場合でも、その間にした努力は決して無駄になりません。
文章を書こうと思えば、特に慣れないうちは、思考錯誤に苦しむことになるでしょう。
多くの人は、この試行錯誤がやってくるものだから、自分は文章が苦手だと勘違いしてしまいます。
でも、違うんです。
この試行錯誤の時間こそが、文章を書く価値なのです。
試行錯誤を通して、あなたは自分自身と向き合い、内観をすることになります。
あなたが誰とつながることを望んでいるのかを、気付かせてくれます。
あなたと、あなたの事業を動かすプログラムである世界観の構築を助けてくれます。
もし、あなたがより自分の本質からのメッセージを書こうと思えば思うほどに、大きな試行錯誤に直面することになるでしょう。
それでいいのです。
試行錯誤が大きければ大きいほどに、あなたは、より深く自分を知ることが出来ます。
書きあげた記事も大切な財産ですが、その記事を書きあげるプロセスも、それに負けないほど大きな財産なのです。
この財産は、たとえブログを閉鎖することになったとしても残り続けます。
上にも書いたように、私も“和楽の道”を始める前に、いくつものブログやメルマガを運営してみたことがありました。
その大半はもう閉鎖されていますが、そこで経験した試行錯誤は、いまも財産として残り続けています。
文章を書くときは、試行錯誤が訪れるのが当然です。
だから、試行錯誤が訪れても、文章に苦手意識を持たず、その試行錯誤こそが価値なのだと思って文章を書いてみてください。
そうすれば、仮に、ブログを閉鎖することになったとしても、その経験はあなたの財産となります。
その心構えさえあれば、失敗はあり得ないことなのです。
そして、そのメールをきっかけに、ビジネスや人生をより良いものにするためのツールとしての「言葉の力」について説明しました。
もう1度おさらいすると、次のようになります。
文章力を磨くことには、これだけの効果があるのです。
(もっと考え始めれば、いくらでもメリットが見つかるでしょうが…)
Kさんが抱えていた、「価値を届けたい相手」が見えてこないという壁を越えるためにも、文章を書くための試行錯誤のプロセスは、きっと役に立つことでしょう。
ちなみに、当サイトで公開していた物語「真実の人生」は、このあたりのことを理屈ではなくストーリーから感じ取ってもらいたいと思って書いた物語だったりします。
ところで、ちょっと考えてみてください。
文章を書くことには、これだけのメリットがあります。
と、言うことはですよ。
「文章なんて書けない。情報発信なんて出来るわけがない。」
という状態の人が、起業を志したとすると、上に書いたような武器を持たずに戦場に立つようなことになるということです。
つまり、それだけのハードルを背負うことになるのです。
これは、とても、もったいないことです。
もし、あなたが自分の事業を持つことを考えているのでしたら、まずは最初の一歩として情報発信をしてみてはいかがでしょうか?
(ただし、ここで言う文章力というのは、文学的に美しい文章を紡ぎだすような技術とはまったく別の話なので、その点はご注意を)
そして、最後に!
もしよろしければ、あなたの感想もお聞かせください。
すべてのメールに返信したり、記事に取り上げたりすることは出来ませんが、他の読者さんにとっても役立つメールを頂いたような場合には、今回のように紹介させて頂くこともあるかもしれません。
<初めての方へ : 和楽の道について >少し前の話になりますが、ある読者の方(Kさん)から、メールを頂きました。
メールは後ほど紹介しますが、Kさんは今、起業塾などで学びながら、「本当にやりたかったこと」を仕事にする道を歩んでいるということでした。
“和楽の道”の読者さんの中には、同じような境遇にある方が、たくさんいると思います。
そこで今回は、自分のビジネスを持とうと思っている方に向けて「文章力を磨かず起業した人が抱える、7つのハードル」というテーマで記事を書いてみたいと思います。
なにはともあれ、まずはKさんから頂いたメールの紹介をしていきましょう。
Kさんからのメール
こんにちは。メルマガに登録し、「真実の人生」まですべて読ませていただきました。まずは、このような価値ある内容を丁寧な言葉で届けてくださったことにお礼を申し上げたいと思い、メッセージを書いております。
実は私も同じような疑問を幼少期から持っており、「私の人生における使命とはなんだろうか」と考えながら生きてきました。心からやりがいを感じ、楽しめることを仕事として、世の中に貢献しながら生きていけたらどんなに幸せでしょうか。
しかし私は大学を出るまでそのような視点に基づいて自分を深く内観する機会も方法も知らず、「食べていくため」にそれほど興味はないが安定と言われる医療資格を取り、なんとなく病院勤務する道を選びました。
そのような動機で勤めた職場は地獄のようでした。そもそも医療職は強い意欲のある人ですら心が折れることが珍しくない過酷な場です。私はあっという間に心も体も壊してしまいました。
そのことをきっかけに自己の探求を始め、様々なセミナーや自己啓発本などに手を出してきました。それと並行して病院を辞職し、科学者になる道を歩み始めました。私は本当は科学者になりたかったのですが、頭もよくないし才能がないからと逃げていたんですね。今年ようやく博士課程を修了し、現在研究者一年生としてスタートしたばかりです。
私はこのように第一段階として「本当にやりたかったことにシフトする」を経てきましたが、まだまだ道半ばと考えています。研究をするにしても「その価値を届けたい相手」が全く見えないという壁にぶつかっているためです。
私はただ実験したり論文を書くだけの研究者になるよりも、人々に価値ある情報をメッセージとして届けたいというような思いもあるのです。ただ、その形が今は漠然としていて、そこを追求するために現在もセミナーや自己内観のための教材で学んでいるところです。
今回メルマガに登録させてもらったのも、そのような経緯から興味を持ったからでした。
また私は現在「志から事業を興す」ことをモットーにした起業塾で学んでおり、そこでもやはり今回いただいた質問と同じようなテーマで自己探求をしています。
自分が人生をかけてやり遂げたいことを明確にし、それに沿った事業を展開していくことを目標に、それぞれが自己探求をしながら事業計画に落とし込んでいます。
私はまだ具体的な方法が見えずにさまよっているような段階ですが、「真実の人生」のストーリーを読ませていただき、週末起業のような方法もあるのか、価値を届けたい相手に心からのメッセージを送ることが大事なのか、などヒントをいただけたように感じます。
私は両親が公務員なこともあって「安定=幸せ」という価値観で育てられました。しかし世界の情勢を見るにつけても今は大きな転換期を迎えていると思いますし、米国や欧州も迷走を続ける中、日本が世界に果たすべき役割もますます大きくなっていくだろうと感じます。
そんな時代ですから、今後は終身雇用でコツコツと働き続けるような人よりも、自ら社会に変革を起こしていけるような意識ある人材が求められていくのでしょう(もちろん前者の存在も必要と思いますが)。私もこの時代に生まれた日本人として、そのような人材の一人になりたいと思っています。
今回、メルマガと書籍を読ませていただき、同じような考えで動いている人もいるのだと勇気をいただきました。ご縁に感謝いたします。ありがとうございました。
ご丁寧なメール、ありがとうございました!
「メール講座」や「真実の人生」を、とても丁寧に読んでくださっていたことがわかるご感想で、とてもありがたく思います。過去のKさんは、安定を求めて(それもとても大切なことだと思います)医療の道に進みました。
しかし、その現場の過酷さは、医療の道に特別の思い入れがあったわけでもなかったK さんにとって、地獄のようなものだったといいます。
そのような環境の中で、心や体を壊してしまったKさんは、現在は博士の学位をとって、本当に取り組みたかった科学者としての道を進んでいるそうです。
しかも、ただ実験をしたり論文を書いたりを繰り返すだけではなく、世の中に価値あるメッセージを届けられる研究者を目指しています。
私も世の中にメッセージを発信している人間のひとりとして、世の中に価値あるメッセージを届けたいという気持ちはとてもよくわかる気がします。
まずは、Kさんの素晴らしい“志”に応援の気持ちを送りたいと思います。
是非、世の中に価値あるメッセージを届けることを、心の底から楽しむ毎日を満喫してください!!
学生時代の私が抱えていた葛藤と、やっと見つけた人生のテーマ
ところで、このメールを読んでいて、少しだけ懐かしい気持ちになりました。というのも、私も、修士課程までではありますが科学技術系の研究室に所属していたからです。
短い時間でしたから、ほんの数回ではありますが、私も学会発表をしたり、論文を書いたりという経験をしていました。
そんな日々の中で、たくさんの葛藤を経験しました。
「自分が取り組んでいる研究は、論文のための研究になってしまっていないだろうか?」
「これは、ほんとうに自分の貴重な時間を投入するだけの価値のある研究なのだろうか?」
というような疑問や悩みが、次々に襲ってきていたのです。
そんな悩みの中でも一番大きかったのは、「研究が楽しく感じられなかった」ということです。
決して、研究が苦手だったわけではありません。
その研究室の中では、どちらかと言うと得意な方で、博士課程の学生や、博士号を取得している助手の方とも対等に議論できる程度の発言力は頂いていました。
実験計画を立てることも、段取り力も、とったデータの統計処理も、発表用のスライド作成能力も、研究室の中では誰にも負けないくらいの自信も持っていました。
ですが、ほとんど楽しさが感じられなかったのです……。
自分がもっている限りある時間を使い続けるほどの意義を感じられなかったと言った方が正確でしょうか。
医療系の仕事をしていた時のKさんも、もしかしたら、こんな葛藤を抱えていたのかもしれませんね。
この私の葛藤の原因は、今になって振り返ってみると、なんとなく原因がわかるような気がします。
それは、結局のところ、当時の私も「いかにして【 秩序3.0 】以上の世界を実現するか?」ということを無意識のうちに考えていたのだと思います。
(秩序レベルの考え方については、「秩序の進化 ― 誰も犠牲にならない世界」を読んでみてください。)
もちろん、当時の私がここまでのことを言語化できていたわけではありません。
しかし漠然とした感覚として、つぎのようなことを感じていました。
いま、このことを言葉にするなら、
「【 秩序3.0 】以上の秩序レベルを中心にした社会は、どのようにしたら実現できるのだろうか?」
ということでしょうか。
(秩序レベルについては「秩序の進化 ― 誰も犠牲にならない世界」と、その記事のリンク先の記事を読んでみてください)
結局のところ、今考えていることも、当時の葛藤も、深さの違いはあれど本質は同じだったということです。
思い返してみれば小学校のころからクラス運営の矛盾について考えているような変わり者でしたから、もうかれこれ数十年は向き合っているテーマではありますが、まったく飽きる気配がありません(笑)
私にとっては、逃げることが出来ない人生のテーマなのかもしれません。
おそらく、このような人生のテーマを自分でハッキリ自覚できる程に気付けたことはとても幸運なことなのだと思いますが、私もこのことに気付くまでは悩んだり、葛藤したりを繰り返していました。
上に書いた大学院生時代のエピソードも、その一部ですね。
自分が取り組みたいテーマは他にあると無意識で感じていたからこそ、自分が人生を通して果たすに値する役割は、研究室での日々の先にはないだろうと感じて※1しまっていたのだと思います。
そんな風に悩んだり、葛藤したりしていた私。
そんな私が、いったいなぜ「逃げられない」と観念する程の人生のテーマに出会えたのでしょうか?
これから説明する「ある能力」に、その秘密が隠されているのです……。
まずは、先を読み進めてみてください。
※1 本文を読むと、どうしても「技術」に取り組むことよりも、「秩序レベル」に取り組むことの方が重要なことだと見えるかもしれませんが、これは私にとっての優先順位です。全員が同じでは世の中は回りませんので、科学技術の研究に取り組む人も絶対に必要な存在です。
わざわざこんな補足をする必要は無いかもしれませんが、せっかく研究者の道を歩き始めたKさんの出鼻をくじくようでは良くありませんので、ハッキリと明記しておきます。
結局は、いつも書いている通り、本人が楽しめることで誰かに貢献することが、本人にとっても世界にとっても大切なことだと思うのです。【 秩序3.0 】以上の関係性を築くことも、本人の内発的動機なしには不可能です。
わざわざこんな補足をする必要は無いかもしれませんが、せっかく研究者の道を歩き始めたKさんの出鼻をくじくようでは良くありませんので、ハッキリと明記しておきます。
結局は、いつも書いている通り、本人が楽しめることで誰かに貢献することが、本人にとっても世界にとっても大切なことだと思うのです。【 秩序3.0 】以上の関係性を築くことも、本人の内発的動機なしには不可能です。
【 参考記事 】
私からのアドバイス
ところで、Kさんは今、「価値を届けたい相手」が見えてこないという壁にぶつかってるといいます。もしかしたら、Kさん以外にも同じような壁にぶつかっている読者の方がいるかもしれませんので、余計なお世話ながら、私からのアドバイスを書いてみたいと思います。
ただし、“和楽の道”の基本方針は読者に強制しないこと※2です。
ですから、Kさんに対しても、Kさん以外のこの記事を参考にしているあなたに対しても、「こうすべきだ!」というような強制はするつもりはありません。
そのことを大前提にしたうえで、私がおススメしたいのが、文章を書いてメッセージを発信するということです。
文章というのは、“和楽の道”のようにブログ形式でも構いませんし、メルマガでも、TwitterのようなSNSでも構いません。
あるいは、YoutuberやVtuberのように動画での情報発信をしても構いません。
動画は文章ではないと思われるかもしれませんが、動画の中で喋る言葉、表示する文字、全体のシナリオなどを文章だと捉えてもらえばいいでしょう。
では、いったいなぜ、文章を書いて発信することが役に立つのでしょうか?
それは、文章を書いてメッセージを発信することには、次のような効果があるからです。
- 文章を書くことは、最強の内観ツール!?
- 見込み客とつながる効果
- 小さな軌道修正を繰り返すことが出来る
- 共にビジネスを拡げる仲間とつながる効果
- あなたの人生と事業の設計図を磨き上げる
- ほとんどリスクのない最初の一歩に最適
- 決して失われることのない財産を手に入れることができる
※2 これは、あなたと「自立した個と個」という関係を築くことを望んでいるからです。
文章を書くことは、最強の内観ツール!?
もしかしたらイメージしにくいかもしれませんが、文章を書くことは非常に強力な内観のツールとして利用することができます。なぜならば、 文章を書くことは、自分と向き合うことなしにできることではないからです。
ある言葉を選んだ時のちょっとした違和感や、しっくりとする感覚。
書いていると、時間を忘れるほどに集中して、次から次へとアイデアが止まらなくなるテーマ。
それとは逆に、頑張って書こうとしても、どうしても義務感から書いているような感覚から抜け出すことができないテーマ。
このような感覚のひとつひとつから、あなたの魂は何を表現することを望んでいるのか――?
あなたは何を表現する時に喜びを感じるのか――?、を知ることができるのです。
詳しくは、「」好きなことを見つける文章力!を読んでみてください。
ちなみに私自身も、“和楽の道”を始める前に、いくつかのブログやメルマガを運営していたことがありました。
その中には、今思えば、私が本当に表現したいことから外れたテーマのものもあったというのが現実です。
しかしそのような記事であっても、気がつくと、いつも同じようなテーマに脱線していることに気づくことが何度もありました。
それが、「一人ひとりの“個”としての幸せと、“個”が集まった“集団”としての幸せの両立」というテーマです。
( 一人ひとりが“楽”しく生きること + 集団としての“和”の両立 → 和 + 楽 で、“和楽の道”です )
本当に面白いくらい、文章を書いていると、いつのまにかこのテーマについていることが何度もありました。
たとえば、「仕事術について書いていたのに、いつのまにか脱線してこのテーマについて書いていた」というような具合です。
私の場合は、このような経験を何度も繰り返すうちに、「このテーマからは絶対に逃げられないのだな」という、ある種の「諦めの境地」に至りました(笑)
“和楽の道”は、2012年から何年間続も続けていますが、今でもこのテーマは自分の中心に据えるべきテーマだと感じています。
事業のスタートで最大級の壁を超える
次に、あなたが喜びを持って表現するメッセージに価値を感じる見込み客とつながることができるという効果があります。自分でビジネスを起こそうと思った時、そのスタートのタイミングでぶつかる最大級の壁が「集客」です。
この集客に失敗すると、歴史に名を残すような天才がつくった品であったとしても、全く売れないということが実際にありえるのです。
もし、ブログでのメッセージの発信を通じて、あなたの世界観に共鳴する読者さんと繋がることができれば、それは、あなたがビジネスを始める際の見込み客と繋がることができたということでもあります。
もちろん、読者さんのことを「金づる」を見るかのような目で見てブログを運営することはお勧めしません。
読者さんが必要としている価値を提供して、その対価としてお金をいただくという健全な関係は大前提です。
小さな軌道修正を繰り返すことが出来る
そして、このように読者さんとの関係ができてくると、読者の方からフィードバックがもらえるようになってきます。読者の方からの質問を見て、あなたは、自分のメッセージのどこが分かりにくいのかに気づくことができるかもしれません。
あなたの読者(≒見込み客)が、何に悩んでいるのか(≒何に価値を感じているのか)を知ることができるかもしれません。
このような生の情報は、あなたの今後のビジネス展開にとって、そう簡単には手に入らない貴重な情報となるでしょう。
ビジネスとして何かをする以上は、 誰かに何かしらの価値を提供することは絶対条件です。
いくら自分がやりたいことをビジネスにすると言っても、独りよがりでは、そのビジネスは破綻してしまいます。
「自分の喜びを表現すること」と「誰かに価値を提供すること」を両立しなければならないのです。
ですから、本格的にビジネスをスタートさせる前に、あなたの見込み客が、いったいどんなことに価値を感じているのかを知ることは、とても貴重な経験になるでしょう。
共にビジネスを拡げる仲間とつながる
あなたのメッセージを受け取るのは、あなたの見込み客だけではありません。たとえば、あなたが将来誰かとコラボ企画をしたいと思ったとします。
そんな時に、そのコラボ相手が、 あなたのビジネスの裏側に込められた理念やミッション、世界観などを全く知らない人だったらどうでしょう?
チラシを1枚つくるだけでも、 選ぶ言葉、挿れるイラストの雰囲気、配布方法など、何をするにもお互いに違和感が残ってギクシャクしてしまうかもしれません。
ところで、もしそのコラボ相手が、 あなたのブログを読んで「一緒に何かやりませんか?」と声をかけてきてくれた人だったらどうでしょう?
そんな場合には、理念やミッション、世界観などが共有できているでしょうから、このようなトラブルが起こる可能性は、ぐっと低くなるはずです。
あるいは、将来あなたがもっとビジネスを拡大させようと思い、従業員を雇おうと思った場面を想像してみてください。
そんな時に、あなたのブログの熱心なファンで、あなたのビジネスの理念や世界観に深く共感している読者さんからスタッフを雇うことができたらどうでしょう?
それとは逆に、求人誌に出した広告を見て応募してくれた人を雇った場合ではどうでしょう?
あなたなら、どちらの人と一緒に働きたいでしょうか……?
このように、あなたがメッセージを発信することは、見込み客を集めることだけではなく、一緒に仕事をする仲間を引き寄せてくれる力も持っているのです。
あなたの人生と事業の「設計図」を磨き上げる
私たちが持っている「価値観」や「常識」、「思い込み」といった“観念”には、人生をつくりだす“プログラム”のような効果があります。これは、決して難しい話ではありません。
たとえば、「人を蹴落としてでも勝ち上がることが大切だ」という価値観を第一に置く人は、当然、争いに明け暮れる人生を送ることになるでしょう。
それとは逆に、「人と仲良くすることが大切だ」という価値観を重要視する人は、自分から争いを仕掛けるような行動をとることは無いでしょう。
単純な話です。
私たちの行動は、“観念のプログラム”によって支配されている側面があるのです。
詳しいことは「知らなかったら損をする! ― 私たちを影から操る“プログラム”の正体を探る」という記事を読んでみてください。
沢山の例を挙げながら、私たちがいかに“観念のプログラム”に支配された存在なのかを説明してあります。
ところで、もし、このことが正しいとするとどうでしょう?
そうだとすると、あなたの人生や事業は、あなたが持っている“観念のプログラム”に よって支配されているということになってしまいます。
あなたの人生がどんなものになるかも、あなたの事業が成功するかも、あなたを支配している“観念のプログラム”次第なのです。
これは、ハッキリ言って、あまり気持ちのいいことではありません……。
ですが、このような側面があることは認めなければなりません。
私たちが“プログラム”に支配される存在で居続ける限りは――。
そう。
私たちが“観念のプログラム”に支配される存在である限りは、あえて過激な言い方をすれば、私たちは“プログラム”に支配される奴隷です。
しかし、プログラムが存在するということは、そのプログラムを作ったプログラマーが存在するはずです。
もしあなたが、この“プログラマー”になることができれば、 あなたが望まない現実をつくっている“観念のプログラム”を書き換えることができるのです。
実は、文章を書くことは、この“プログラマー”としての能力を磨くことにつながるのです。
すでに書いたように、文章を書くことは、強力な「内観」のツールになります。
「内観」というものは、言い方を変えれば、自分自身がどのような“観念のプログラム”を持っているのかを見抜く行為だと言えます。
あなたが無意識のうちに支配されている“観念のプログラム”を見つけることができれば、 もはやそれは無意識的に支配されている状態ではなく、あなた自身が意識的に選ぶことができる選択になります。
あなたがメッセージを発信して、そのメッセージに共感した読者が集まってくると、あなたと読者の間には、共通の世界観が共有されるようになります。
この世界“観”というものは、 「世界をどのようなものとして“観”ているのか?」という“観念”ですから、当然、“プログラム”としての機能を発揮します。
つまり、あなたが発信するメッセージは、あなたと読者の関係(≒ビジネス)をつくりだす“プログラム”であり“ソースコード”なのです。
そのように考えると、あなたがどのようなメッセージを発信するのかを、自分自身と向き合いながら考える時間は、あなたのビジネスを設計している時間だということもできるのです。
ほとんどリスクのない最初の一歩
ここまで説明してきたように、文章を書いて発信することには、たくさんのメリットがあります。そして重要なのは、このようなメリットを、ほとんど「リスクなし」で受け取ることができるということです。
ブログのような情報発信というのは、最初に踏み出す「小さな一歩」としてかなり優秀でなのす。
たとえば、無料ブログであれば、文字通り無料で始めることができます。
自分でサーバーをレンタルして WordPress のサイトを運営する場合でも、月額数百円から1千円くらいの金額を出せば、十分に運営することができます。
(長くなるので詳細は解説しませんが、真面目にやるのであればこの方法がおすすめです。)
とはいえ、全くリスクがないわけではありません。
これは当然です。
もしあなたが、著作権違反や法に触れるようなメッセージを発信すれば、あなたの信用は地に落ちてしまうでしょう。
人の道から外れたような発言や、読者を騙すような発言をすれば、誰もあなたのメッセージに耳を傾けなくなるかもしれません。
ですから、誠意をもった情報発信をすることは絶対条件です。
あるいは、ブログの運営会社の利用規約に違反すれば あなたのブログは削除されてしまうかもしれません。
秘匿性の高いアイディアを発信してしまえば、あなたがアイディアを形にする前に、誰かに模倣されてしまう可能性もあります。
ですから、当然のことながら、ゼロリスクとはいきません。
それでも、大きな資本が必要なわけでもなく、誰でも始められる情報発信は、小さなビジネスを始めようと思っている人にとって強力な力となるでしょう。
「大怪我をしないだけの準備が出来たら、まず踏み出してみる最初の一歩」に、とても適しています。
それに、思い出してみてください。
上に書いたように、自分自身と向き合い、メッセージをつくり発信することは、ビジネスを運営していくうえで、極めて重要な役割を果たしています。
だから、もしビジネスを始めれば、嫌でも「自分と向き合うこと」「メッセージをつくり発信すること」と向き合わなければならない時がくると思います。
その訓練を、早いうちからしておくことは、決して損にはならないでしょう。
決して失われることのない財産を手に入れることができる
そして、仮に。仮にですよ。
もしブログの運営をしばらくやってみた結果、そのブログを閉鎖することにしたとしましょう。
そんな場合でも、その間にした努力は決して無駄になりません。
文章を書こうと思えば、特に慣れないうちは、思考錯誤に苦しむことになるでしょう。
多くの人は、この試行錯誤がやってくるものだから、自分は文章が苦手だと勘違いしてしまいます。
でも、違うんです。
この試行錯誤の時間こそが、文章を書く価値なのです。
試行錯誤を通して、あなたは自分自身と向き合い、内観をすることになります。
あなたが誰とつながることを望んでいるのかを、気付かせてくれます。
あなたと、あなたの事業を動かすプログラムである世界観の構築を助けてくれます。
もし、あなたがより自分の本質からのメッセージを書こうと思えば思うほどに、大きな試行錯誤に直面することになるでしょう。
それでいいのです。
試行錯誤が大きければ大きいほどに、あなたは、より深く自分を知ることが出来ます。
書きあげた記事も大切な財産ですが、その記事を書きあげるプロセスも、それに負けないほど大きな財産なのです。
この財産は、たとえブログを閉鎖することになったとしても残り続けます。
上にも書いたように、私も“和楽の道”を始める前に、いくつものブログやメルマガを運営してみたことがありました。
その大半はもう閉鎖されていますが、そこで経験した試行錯誤は、いまも財産として残り続けています。
文章を書くときは、試行錯誤が訪れるのが当然です。
だから、試行錯誤が訪れても、文章に苦手意識を持たず、その試行錯誤こそが価値なのだと思って文章を書いてみてください。
そうすれば、仮に、ブログを閉鎖することになったとしても、その経験はあなたの財産となります。
その心構えさえあれば、失敗はあり得ないことなのです。
まとめ
今回の記事では、読者のKさんからのメールを紹介しました。そして、そのメールをきっかけに、ビジネスや人生をより良いものにするためのツールとしての「言葉の力」について説明しました。
もう1度おさらいすると、次のようになります。
- 文章を書くことは、最強の内観ツール!?
- 見込み客とつながる効果
- 小さな軌道修正を繰り返すことが出来る
- 共にビジネスを拡げる仲間とつながる効果
- あなたの人生と事業の設計図を磨き上げる
- ほとんどリスクのない最初の一歩に最適
- 決して失われることのない財産を手に入れることができる
文章力を磨くことには、これだけの効果があるのです。
(もっと考え始めれば、いくらでもメリットが見つかるでしょうが…)
Kさんが抱えていた、「価値を届けたい相手」が見えてこないという壁を越えるためにも、文章を書くための試行錯誤のプロセスは、きっと役に立つことでしょう。
ちなみに、当サイトで公開していた物語「真実の人生」は、このあたりのことを理屈ではなくストーリーから感じ取ってもらいたいと思って書いた物語だったりします。
ところで、ちょっと考えてみてください。
文章を書くことには、これだけのメリットがあります。
と、言うことはですよ。
「文章なんて書けない。情報発信なんて出来るわけがない。」
という状態の人が、起業を志したとすると、上に書いたような武器を持たずに戦場に立つようなことになるということです。
つまり、それだけのハードルを背負うことになるのです。
これは、とても、もったいないことです。
もし、あなたが自分の事業を持つことを考えているのでしたら、まずは最初の一歩として情報発信をしてみてはいかがでしょうか?
(ただし、ここで言う文章力というのは、文学的に美しい文章を紡ぎだすような技術とはまったく別の話なので、その点はご注意を)
そして、最後に!
もしよろしければ、あなたの感想もお聞かせください。
すべてのメールに返信したり、記事に取り上げたりすることは出来ませんが、他の読者さんにとっても役立つメールを頂いたような場合には、今回のように紹介させて頂くこともあるかもしれません。
関連記事
タグ: