秩序3.0 ― 思いやりの結晶


公開日:2017年11月11日( 最終更新日:2018年3月29日 ) [ 記事 ]
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今回は、これまでに説明してきた【 秩序1.0 】、【 秩序2.0 】に引き続き、【 秩序3.0 】についてです。

この記事は、初めて訪問した方が最初に読み始める記事とは想定していないので、ただでさえ長い文章が、これ以上長くならないように、前置きは最小限にしておきます。

もし、この記事から読み始めた方がいましたら、この記事よりも先に【 秩序1.0 】についての記事から読むことをお勧めします。

【 参考記事 】


では、さっそく本題に入っていきましょう。

秩序3.0―思いやりの結晶

まずは、おさらいです。

これまでに説明してきた、【 秩序1.0 】は「力による支配(弱肉強食)」【 秩序2.0 】は「力のバランスによる安定(綱引きの均衡)」でした。

そして、これらの秩序に共通していたのは、「外からの力」によって人を動かすことによって成り立つということでした。

その証拠に、どちらの秩序の成立条件にも、「他者をコントロールする意図が存在し、実行に移されていること」という項目が含まれていましたね?

(詳しくは、それぞれの記事を参照)

この「コントロール」ということを、言い方を変えて表現すれば、本人の“意志”や“意図”をねじ曲げるために、その人に「外からの力」を加えるということです。

例えば、もっともわかりやすいのは、暴力による脅しでしょう。

「本当は、○○したいけど、そんなことしたら、きっと殴られてしまうからやめておこう……。」

このように、「外からの力(きっと殴られてしまうだろうという脅し)」で、その人の行動をコントロールすることによって、ある種の秩序が出来上がるのです。

この「殴られてしまう」の部分は、「警察に捕まる」でも、「上司の評価が下がって出世に響く」でも、「しつこくネチネチと嫌味を言われる」でも、「核ミサイルが飛んでくる」でも、何でも構いません。

もちろん、このような「ムチ」によるコントロールの他にも、「アメ」によるコントロールも存在します。

例えば、「本当は○○をしたいけど、□□をすればお金が貰えるから、□□をすることにしよう」と思わせることによってコントロールするような場合ですね。

言うまでもありませんが、「お金」の部分は、「出世」でも、「名誉」でも、「オモチャやゲーム」でも、「高価な洋服」でも、「巨大な利権」でも、同じことです。

さらに言ってしまえば、もっと高度なやり方として、他者の“観念のプログラム”を書き換えてしまうという方法があることも説明しました。

【 参考記事 】

この方法を上手く使えば、本人に気付かれることもなく、相手の行動をコントロールすることすら可能となります。

なんにしても、このような「他者に対するコントロール」が存在する環境で成立する秩序が、これまでに説明してきた秩序の様子でした。


ところが、【 秩序3.0 】では、このベースとなる発想の部分に大きな変化が訪れます。

これまでの秩序は、「外からの力」によって他者をコントロールしようとする意図がベースだったのに対して、【 秩序3.0 】は「内からの力」がベースとなって成り立つ秩序なのです。

ものすごく単純化して言ってしまえば、一人ひとりの「優しさ」や「思いやり」、「善意」などが集まった結果として成立するのが、このレベルの秩序です。

そう。【 秩序3.0 】は、「思いやりの結晶」として析出するのです。



思いやりの結晶のイメージ




こんなことを書くと、

「優しさや、思いやりって、そんなことじゃ秩序は生まれませんよ。甘いですね~。」

そんな意見が聞こえてきそうです。

そして、実際、「そんな考えは甘い!」という意見には一理あると言って、間違いないでしょう。

もし、そんな簡単に優しさや思いやりで秩序が成り立ってしまうなら、とっくの昔に、私たちが暮らす世界は【 秩序3.0 】レベルに到達しているでしょう。

こんな記事を書いてまで、【 秩序3.0 】の考え方を世に拡げる必要もないでしょう。

ですから、「そんな考えは甘い!」という意見は、至極まっとうなご指摘なのです。


しかし、「思いやりの結晶」として秩序が析出するようなことも、「絶対にあり得ない!」とは言い切れないのも、また事実でしょう。

まずは、実例を見てみましょう。

よくよく身の回りの出来事を見てみると、実は、私たちは何度も【 秩序3.0 】を目撃していることに気付かされますよ。


例えば、東日本大震災の時、大災害の中でも秩序正しく振る舞う被災者の方々に、世界中から賞賛の言葉が寄せられました。

被災地の人々が、暴動をおこしたり、お店を襲撃したりすることもなく、生活必需品を手に入れるために秩序正しく列をつくって並ぶ姿などに対して、世界中の人々が驚いたのです。

大災害で、警察という組織が正常に機能しなくなり、ルール違反を犯したとしても「ムチ」を受ける可能性がとても低くなったにもかかわらず、人々は、自分勝手に振る舞うことなく、自発的に秩序を守り[※1]ました。

あるいは、生き延びるために仕方なく、無人になったコンビニから食べ物や飲み物を持ち去るときに、わざわざレジのカウンターにお金を置いていく人の姿が防犯カメラに記録されていたというような報道を見かけた記憶もあります。

たしかに、いくら大災害が起こった非常時に生きるために仕方なくしたこととは言え、無断で商品を持ち去ることを申し訳なく思う気持ちは、よく理解できます。

私は被災地に居たわけではありませんので本当のところはわかりませんが、おそらく、被災地の方々は「みんな大変なんだし、自分だけがわがままを言ったら申し訳ない」というような気持ちで秩序正しく振る舞ったのではないかと思います。

この記事の読者の方の中にも、この感覚に共感出来る人はたくさん居るのではないでしょうか?

このような「自発的に秩序を守ろう」という想いが、私が言っている「内からの力」なのです。

ですから、もし、あなたもこの感覚に共感できたとしたら、それは、あなたの中に「【 秩序3.0 】のベースとなる感覚」が、確かに存在しているということの動かぬ証拠になるのです。

一方で、「外からの力」 というのは、「警察に捕まったら嫌だから、大人しくしておこう」というような考え方です。

こういった「外からの力によるコントロール」の発想がベースにある人々が住む地域で、もし大災害が起きて、警察機能がマヒしてしまったような場合には、武装集団が商店を襲撃して略奪を繰り返すようなことが起こってしまうかもしれません。


もっと、例をあげてみましょう。

外国の人が日本に訪れて驚くことの1つに、いたるところに自動販売機が置かれていることがあると言います。

「こんなところに自販機を置くなんて無防備だ!盗みに遭うに決まってる!!」

と心配になるそうです。

それどころか、都心ではあまり見かけませんが、少し田舎に行けば、野菜の無人販売所を見かけることがあります。





こういうやつですね。

自販機には一応の防犯装置がついているでしょうが、野菜の無人販売にいたっては、ほとんど無防備です。

野菜の無人販売所があるような地域は、人通りも少ないですから、その気になれば、ほぼノーリスクで、お金を払わずに野菜を持ち去ることが出来るでしょう。

たとえ、近くに人が居たとしても、お金を払ったように見せかけるのは簡単です。

(例えば、実際より少ない金額を入れても誰も気づかないでしょう。)

お金を盗むのだって、自動販売機よりも、はるかに簡単です。

にもかかわらず、私が知っている範囲だけでも、何年・何十年と続いている無人販売所がいくつも存在しています。

ということは、ほとんどの人は、誰も見張っていなくても、ちゃんとお金を払っているのです。

もちろん、中には野菜を盗んでいく人もいるのでしょうが、数は少ないはずです。

なぜならば、もし野菜を盗むような人が大半だったとしたら、とっくの昔にその販売所は閉じてしまっているはずだからです。

これも、人々の「善意」や「相手を思いやる気持ち」が秩序を出現させた実例ですね。


あるいは、あなたは、こんな人を目にしたことはありませんか?

例えば、上司に見張られているわけでもなく、たとえサボったとしても、自分から言わなければ絶対にバレないような場面でも、真面目に仕事をしているような人です。

他にも、やらなかったとしても評価が下がる(=ムチを受ける)わけでもなければ、やったとしても評価される(=アメが貰える)わけでもない地味だけど大切な仕事を、誰に指示されることもなく自分から取り組んでいる人を見たことがありませんか?

私は、そういう人を、何人も知っています。

彼ら、彼女らは、「外からの力」に動機付けられるのではなく、「内からの力」にしたがって、自発的に動いていたのですね。

実例をあげるなら、「神話」と呼ばれるほどの奇跡を起こしていたころのソニーの雰囲気などは、【 秩序3.0 】の側面を多く含んでいます。

(それどころか、天外さんのお話を聞くと【 秩序4.0 】の要素もたくさん含んでいるように見えますが、ここでは触れません。)

【 参考記事 】


ここまで、日本の例が多くなりましたが、このような傾向があるのは、決して日本人だけの特権ではありません。

例えば、イスラエルで行われた募金活動の調査では、無償の善意で募金活動に取り組んだ人たちが、もっとも高い成果をあげました。


どういうことかといえば、純粋に他者に貢献したいという想いが、金銭的な報酬の魅力を上回ることがあるのです。

これは、「内なる力(他者への思いやり)」が、「外からの力(金銭的報酬というアメ)」よりも強力にはたらいたのだと考えられる実例です。

※1 もちろん、「火事場泥棒」的な行為があったという報道もありましたが、大きな視点で見れば、全体としてかなりの秩序が保たれていたでしょう。

【 秩序3.0 】の成立条件

ここまでに説明してきたように、外から強制するのではなく、一人ひとりの自発的な行動によって守られるのが、この段階の秩序です。

では次に、【 秩序3.0 】の成立条件について考えてみましょう。

【 秩序3.0 】は、これまでに紹介してきた【 秩序1.0 】や【 秩序2.0 】のように、「外からの力」によって成立する秩序ではありませんでした。

ですから、【 秩序3.0 】の成立条件として、他者をコントロールする方向性の意図が存在していないことがポイントです。

なぜならば、他者をコントロールする方向性の意図が存在すると、他者との“綱引き”が始まってしまうからです。

もし、その“綱引き”が、「強者」と「弱者」の“綱引き”であれば【 秩序1.0 】が出現するでしょうし、決着がつかない“綱引き”であれば【 秩序2.0 】が出現するでしょう。

だから、【 秩序3.0 】を成立させるための大前提は、「外からの力で誰かをコントロールしてやろう」という方向性の意図が存在していないことです。


では、もし【 秩序3.0 】を成立させる原動力が「外からの力」でないとしたら、【 秩序3.0 】を成り立たせるエネルギー源はいったい何なのでしょうか?

それは、すでに説明したように「内からの力」ということになります。

もう少し具体的に言えば、他者への「思いやり」「優しさ」「善意」といった方向性の意図が、これに当たります。


ですから、【 秩序3.0 】が成り立つための必須条件として、「外からの力によるコントロールではなく、一人ひとりの内側からの力が原動力となって秩序が守られていること」が挙げられるでしょう。

簡単に言ってしまえば、「他者を思いやる意図」によって成立する秩序だということです。


ですが、ちょと待ってください……。

本当に、「他者を思いやる意図」さえ存在していれば、それだけで【 秩序3.0 】は成り立つのでしょうか?

残念ではありますが、そんな簡単には【 秩序3.0 】は成立しません。


例えばの話です。

交通量が多いのに、交通ルールも、信号も、横断歩道も、歩道橋もない交差点を思い浮かべてみてください。

もし、その交差点を通る誰もが「思いやり」を持てば、誰もが安全にスムーズに交差点を通れるでしょうか?

考えてみると、ちょっとそれは難しそうですね。

「地獄への道は、善意で舗装されている」という言葉まであるように、お互いが善意で行動したにもかかわらず、悲劇的な結果が起こってしまうということは、決して珍しいことではありません。

【 参考記事 】


そう。「思いやり」や「優しさ」だけでは、必ずしも秩序を成り立たせることが出来るとは限らないのです。

もし、交差点の秩序を「優しさ」や「思いやり」だけで守ることにこだわっていれば、かえって事故が多発する、無秩序地帯になってしまうかもしれません。

誰もが安心して交差点を通り抜けられるようにしたければ、やはり、信号機をつくったり、「車は左側通行」とか、「赤は止まれ」のような効果的なルールを整備した方が現実的でしょう。


なんだ、やっぱり【 秩序3.0 】なんて、単なる理想論じゃないか!?ルールで縛るんじゃ、結局、『外からの力』でコントロールするってことでしょ?


もしかしたら、そんな意見もあるかもしれませんが、そう考えるのも早計です。

もし、「信号無視や、スピード違反をすれば警察に捕まるから」という理由で、人々がルールを守っているとしたら、それは「外からの力」によるコントロールです。

だから、その秩序は【 秩序3.0 】には届かない、【 秩序1.0 】か【 秩序2.0 】のレベルとなるでしょう。

しかし、罰則の有無にかかわらず、人々が自主的にルールを守ろうとする場合には、ちょっと事情がかわってきます。

罰則があるからではなく、「お互いに安全に、気持ちよく交差点を通りたいから交通ルールを守ろう!」と思っているような場合です。

野菜の無人販売所を利用する人が、たとえ野菜を盗んだとしても誰にもバレないにもかかわらず、「そんなことをしたら生産者の人に申し訳ない」という気持ちから、「受け取った野菜分の料金を払う」というルールを自発的に守っているのと同じようにです。

このような気持ちでルールを守っているとき、その状態は、「外からの力」に強制されている状態ではありません。

自らの意志(「内からの力」)でルールを守っているわけですから、【 秩序3.0 】的です。

つまり、まったく同じ「ルールを守る」という現象であっても、「外からの力に強制されて」ルールを守るのか、「自らの意志で」ルールを守るのかによって、秩序のレベルが変わってくるのです。

一見、ちょっとした違いにしか見えないこの違いが、大きな違いを生み出します。

ひとことで言ってしまえば、「外発的動機付けのデメリット」が解消されるのです。

ただ、今は【 秩序3.0 】が成り立つ条件について考えているところなので、このことについては、また別の機会があれば書こうと思います。


追記:「外発的動機のデメリット」について書きました。
▶ 楽しい「やる気」、ツラくなる「やる気」―内発的動機と外発的動機


まとめると、次のようになります。


  • 【 秩序3.0 】のベースとなるのが「善意」や「他者への思いやり」であったとしても、それだけでは、必ずしも秩序は成立しない。
    ▶「善意」や「思いやり」だけでは、【 秩序3.0 】は成り立たない
  • 秩序を守るためのルールや決まりが存在する場合にも、ルールが守られていなければ無意味だし、かと言って強制的に守らせようとすれば【 秩序1.0 】や【 秩序2.0 】のレベルになってしまう。
    ▶「ルール」だけでは、【 秩序3.0 】は成り立たない
  • 効果的なルールを、皆が自らの意志で守っているような場合には、【 秩序3.0 】が成り立つ。
    ▶【 秩序3.0 】を成り立たせるためには、「思いやり」のような原動力と、交通ルールのようなガイドラインが必要。


【 秩序3.0 】は、善意や思いやり「だけ」でも、ルール「だけ」でも成り立たず、その両方がそろって初めて成立するのですね。

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【 秩序3.0 】の成立条件を、もう少し深掘り

ここまで、【 秩序3.0 】の成立条件を考えてきました。

その結果、「思いやり」と「効果的なルール」の両輪が必要だということがわかりました。

ですが、これは、本当に正しいのでしょうか?

ちょっと違和感を感じてしまいます。

たしかに、【 秩序3.0 】が「内側からの力を原動力として守られる秩序」なのだとしたら、人を内側から秩序を守る方向に突き動かす衝動(思いやり、優しさ、善意など)の存在が【 秩序3.0 】の必須条件なのは、納得できます。

しかし、「ルール」については、本当に必要な条件なのでしょうか……?

例えば、親しい友人関係を思い浮かべてみてください。

そして、あえて、そういう言い方をするなら、友人関係も一種の“秩序”と呼ぶことができるでしょう。

では、親しい友人関係の“秩序”は、いったいどのレベルの秩序なのでしょうか?

普通、どちらか一方が相手を支配するような関係は「友人関係」とは呼びませんから、【 秩序1.0 】ということはないでしょう。

また、お互いに“綱引き”をしながら妥協点を探っていくような友達関係も存在するでしょうが、「親しい友人関係」とまでは言えないでしょう。

そんな疲れる関係であれば、自然に解消してしまうか、なにかの事情でどうしても友人としての付き合いが必要だとしても表面的な関係以上になることはないでしょう。

ですから、「親しい友人関係」の秩序レベルは、【 秩序2.0 】でもなさそうです。


ところで、「親しい友人」に対しては、普通、「思いやり」や「善意」の念をベースとした関係を築くことが多いでしょう。

この『「思いやり」や「善意」の念をベースとした関係』という部分を見ると、「親しい友人関係」は【 秩序3.0 】的です。

ですが、交差点での【 秩序3.0 】の成立条件を思い出してください。

「善意や思いやり」と「効果的なルール」を両立することが、【 秩序3.0 】の成立条件でしたね。

では、考えてみましょう。

親しい友人関係に、「善意や思いやり」は存在するでしょうか?

これは、考えるまでもなくYESですね。

善意や思いやりのない友人関係というのは、ちょっと想像できません。


では、「ルール」はどうでしょうか?

普通は、ありませんよね……?

ルールによって「親しい友人関係」が成り立つというのは、ちょっと想像しにくいものがあります。

でも、考えてみてください。

交差点の例では、いくら優しさや思いやりがあっても、ルールが整備されていなければ、その思いやり優しさが空回りして、混乱が起こってしまいました。


しかし、友人関係については、「左折優先」とか「赤は止まれ」のようなルールがなくても成立してしまいます。

これは、どういうことなのでしょうか?

交差点の例では、一人ひとりが「優しさ」、「思いやり」、「善意」を持っていたとしても、その「思いやり」は、全体としては上手く機能しませんでした。

これは、一人ひとりの「思いやり」の方向性・ベクトルがバラバラな方向を向いていて、それぞれの「善意」や「思いやり」がぶつかり合ってしまい、全体として調和がとれない状態になってしまっていたからです。

だから、一人ひとりの「思いやり」の方向性・ベクトルを整えて、全体として調和させる機能として、信号機や交通ルールが必要になったのです。


では、いったいなぜ、友人関係では、そのような役割を果たす「ルール」などが存在しなくても[※2]、混乱が起こらないのでしょうか……?

それは、友人関係の場合には、そんなものが存在しなくても、相手への「思いやり」や「善意」を現実のものとすることができる能力を、私たちが持っているからでしょう。

これだけでは、よくわからないので、もう少し詳しく説明しましょう。

例えば、友人関係の場合には、明文化されたルールなどが存在しなくても、「こういう言い方をしたら、相手は嫌がるだろう」とか「これをすれば、喜んでくれるだろう」というようなことが、おおよそ把握することができます。

そこが把握できれば、「優しさ」や「思いやり」を行動に移すのは簡単です。

つまり私たちは、友人関係の場合には、「優しさ」や「思いやり」、「善意」を、行動につなげられる能力を持っているのです。


一方で、交差点の場合には、「思いやり」をどうやって行動に移せばいいのかを知るのは難しいでしょう。

もう少し具体的に言えば、交通ルール(「車は左側通行」など)もなければ、信号機も横断歩道もない交差点では、「いつ進めばいいのか?」、「いつ止まればいいのか?」がわからないので、たとえ「善意」があったとしても、その「善意」をどうやって行動に移せばいいのかがわからないのです。

その状態で「思いやり」の気持ちで譲り合った結果、お互いが動けなくなってしまったり、お互いに「譲ってもらえたから自分が進まなきゃ!」と発進して衝突してしまったりするわけです。

つまり、せっかくの「善意」や「思いやり」が空回りしてしてしまうのですね。

このような空回りを防いで、お互いの「思いやり」がスムーズに発揮されるようにするために、交差点の例では、ルールが必要だったのです。


これらをまとめると、【 秩序3.0 】の成立条件は、次のようにアップグレードすることができます。


【 秩序3.0 】の成立条件

  • 他者からのコントロールによらず、自らの意志で、他者との良好な関係を築くことを意図していること
  • その“意図”を現実に落とし込むことが可能であること
    例えば、「思いやり」を行動につなげられるだけの能力を持っている場合や、「善意」を空回りさせずに上手く機能させる、効果的[※3]な「ルール」や「仕組み」など



※2 厳密に言えば、友人関係にもルールのようなものが存在することはよくあります。

例えば、「この人は、こういう話題は嫌いだから、この手の話題振るのはNG」というような、厳密に決められたものではないけれども、事実上のルールとして機能している暗黙の了解などです。

そういう意味では、親しい友人関係にルールが存在すると考えられないこともありません。

しかし、どちらにしても、新しく考えた「【 秩序3.0 】の成立条件」では、このことは大きな問題にはなりません。

なぜならば、新しい成立条件では、「内発的な善意を、実際に実現できていること」が重要なのであって、それが「ルール」によって実現されているのか、「一人ひとりの能力」によって実現されているのかは、大した問題ではないからです。

ただし、同じものごとに対する秩序であれば、なるべく少ないルールや仕組みで実現されている方が理想的とは言えるでしょう。



※3 ルールや仕組みが「効果的」であることは大前提です。もし、ルールや仕組みに欠陥があれば、やはり「善意」や「思いやり」は空回りしてしまい、混乱が起こるでしょう。

例えば、信号が切り替わるタイミングがおかしくて、車道の信号がすべて青になるタイミングが出来てしまっていたりしたらどうでしょう?

そんな場合には、「ルール(「赤は止まれ」「青は進んでもよい」)」や、「仕組み(信号機)」が存在することによって、かえって、混乱を増幅してしまうでしょう。




秩序維持の方向性(【 秩序3.0 】)

では次に、【 秩序3.0 】を維持する方法を考えてみましょう。

と言いたいところなのですが、これは簡単ではありません。

ものすごく簡単に書いてしまえば、「【 秩序3.0 】の成立条件を満足し続けるような状態を維持する」ということになるのですが、これでは、あまりにも具体性がなさすぎます。

しかし、具体的に考え始めると長くなりすぎてしまいますし、私の中でも答えが出ていないこともたくさんあり、まだ記事にできない部分もたくさんあります。

ですから、このテーマについては、随時、記事にしながら考えていきたいと思います。


ただ、もし1つだけ今書いておくべきことがあるとすれば、それは、

【 秩序3.0 】は、少数のリーダーが主導して実現・維持していくことは出来ない

ということです。

なぜならば、少数のリーダーが、大多数のメンバーに「思いやり」や「善意」を持つことを強制したとしたら、もうその時点で、それはコントロールであり、リーダー自身が【 秩序3.0 】を乱していることになってしまいます。

ですから、このレベルの秩序を維持するためには、一人ひとりの自立した”個”が、自らの意志で【 秩序3.0 】を維持していくことを選ばなければなりません。

少数の努力で【 秩序3.0 】を実現し、維持していくことは不可能です。

その集団を構成するメンバー全体の人間性を問われるのが、このレベルの秩序なのです。

【 秩序3.0 】のルールのあり方

これまで説明してきたように、【 秩序3.0 】は、集団を構成する一人ひとりによってつくられる秩序です。

だから、「ルールに従わせる」とか、「決まりで強制する」という方向性では、【 秩序3.0 】は成立させることができません。

仮に、無理やり従わせたとしても、一人ひとりの中に、そのルールに対する反発心があれば、ルールを守ることすらも“綱引き”の手段となってしまいます。

例えば、「“無秩序交差点”を立て直せ!―秩序を生むのは「外からの強制」か?「内なる優しさ」か?」の記事で紹介した、遵法闘争のようにです。

だから、【 秩序3.0 】のレベルのルールは、一人ひとりが自発的に「守ろう」と思えるガイドライン的なルールである必要があります。

これは、【 秩序3.0 】より低いレベルの秩序では、「ルールを守らせる」という意識が支配的なのと対照的です。

もちろん、「そんな甘いことを言っていたら、必ずルールを破る奴が現れる!」とか、「強制力もないのに、どうやって皆がルールを守ってくれることを保証するんですか?」というような意見もあると思います。

繰り返しになりますが、もし【 秩序3.0 】の世界観を理解したいなら、逆転の発想が必要です。

つまり、「【 秩序3.0 】を成立させるためには皆に自発的にルールを守らせなければならない」という発想から、「一人ひとりが、自発的に『ルールを守ろう!』という気持ちになったときに成立するのが【 秩序3.0 】なのだ」という発想への転換です。

これが、【 秩序3.0 】の世界観です。

そして、このようにして秩序を成り立たせることが絶対に実現不可能な絵空事ではないことは、この記事の最初に、いくつかの実例を挙げて説明しました。

とは言っても、ルールの側にも工夫は必要です。

多くの人が納得できないルールや、ほとんどのに人にとって理解不可能な難解なルール、実質的に守ることが不可能なルールなどをつくって、それを自主的に守ってくれることを期待しても、それは無理というものでしょう。

だから、例えば、ルールは極力シンプルで簡単なものにする、皆が納得して「守ろう」と思えるルールをつくるなどの歩み寄りが必要です。

特に「支配のツール」としてルールをつくることはご法度です。

これをしてしまうと、支配しようとする側と、支配されることに抵抗する側の“綱引き”が発生して【 秩序3.0 】よりも低いレベルの秩序に堕ちてしまうでしょう。

【 秩序3.0 】の自由度

もしあなたが、完全に【 秩序3.0 】のレベルに達している集団で生活していたとしたら、そこには、あなたの行動を縛る他者は存在しません。

なぜならば、他者をコントロールする意図を含んだ力が存在していたとしたら、その関係性は厳密には【 秩序3.0 】とは呼べないからです。

もし、【 秩序3.0 】レベルの社会で、あなたの行動を縛る存在が居たとしたら、それは「あなた自身」に他ならないのです。

その意味で、【 秩序3.0 】のレベルは、これまでに紹介してきた秩序レベルとは比べものにならないほど、一人ひとりが自由に生きられる秩序となります。

ただし、【 秩序3.0 】レベルの自由を享受するためには、一人ひとりの「自立」が必要不可欠です。

なぜならば、他者からのコントロールが存在しなくても、肝心の自分自身が「決めること」を出来なければ、結局は誰かにコントロールされることになるからです。

もっと正確に言えば、自分から望んで、「誰か」のコントロール下に入るということでしょう。

この「誰か」の部分には、必ずしも特定の個人というわけではなく、例えば「常識」や「世間の目」のようなものも含まれます。

「常識だから」という理由だけで、盲目的に「常識的」な行動をしているような状態ですね。

とは言っても、「常識的」に振舞うことが、必ずしも「依存」だというわけではありません。

盲目的に「常識」に従っている状態が依存的なだけであって、自らの“意志”で、“意図的に”、「常識的な行動」を選んでいる場合には自立的と言えるでしょう。

このように、【 秩序3.0 】は「依存」が許されず、「自立」が求められる、厳しい秩序でもあるのです。

【 秩序3.0 】を実現するためには、「誰かに依存したいという弱さ」を克服していかなければならないのですね。


また、【 秩序3.0 】はその圧倒的な自由の反面で、大きなリスクも孕んでいます。

このレベルの秩序では、これまでのレベルの秩序のように一人ひとりの個人を縛りつける力は存在していません。

だからこそ、もし暴走する人が現れれば、歯止めが効かずに、被害は大きくなってしまう[※4]でしょう。

極端な例ですが、もし仮に、警察や軍隊が居なくても「お互いを思いやる精神」だけで平和を謳歌しているのどかな街があったと想像してみてください。

そこに突然、武装集団が現れたらどうでしょう?

警察などの「強制力でコントロール」する仕組みがない以上、武装集団がその気になれば、その街を支配することは難しくないでしょう。

そうなれば、その街の秩序は、一気に【 秩序1.0 】へと落ちてしまいます。

さらに、【 秩序3.0 】の世界には、こんな危険も潜んでいます。

上で書いた例は、武装集団という「意図的な暴走」でした。

この他にも、「意図的ではない暴走」もあるはずです。

ある人が、たとえ100%の善意からだったとしても、周囲に迷惑をかけるような変化を起こそうとしたとします。

そんな場合には、【 秩序3.0 】の世界では、この「ありがた迷惑」な行動を、やめるように説得することは出来ても、強制的にやめさせることは出来ません

(やむを得ず、外からの「強制力」を使って、その「ありがた迷惑」な行動をやめさせようとした場合には、秩序レベルは【 秩序1.0 】か【 秩序2.0 】まで落ちることになります。)

【 秩序3.0 】の世界は、限りない自由を謳歌できる一方で、その自由はとても繊細な条件のもとではじめて成り立つものなのです。


※4 例えば、お互いを“綱引き”の縄で縛り合っている【 秩序2.0 】であれば、暴走しようとする人が現れても、四方八方と繰り広げる“綱引き”によってブレーキがかかるはずです。また、【 秩序1.0 】の世界であれば、そこは強者が支配する世界ですので、弱者は、強者の許可なく暴走を起こすことはできません。ただし、強者は好き放題に暴走することが出来ます。

【 秩序3.0 】の柔軟性・変化のスピード

では次に、【 秩序3.0 】の柔軟性や変化のスピードについて考えてみましょう。

まずは、おさらいです。

この「柔軟性」「変化スピード」という観点については、【 秩序1.0 】はスピーディなこともあればノロノロなこともあり、それは「強者」次第で決まりました。

というのも、「強者」が支配者として君臨する【 秩序1.0 】では、その支配者の決定は比較的スムーズに伝達され、実行されるからです。

だから、「強者」が「変化を起こしたい」と思えば比較的スムーズに変化が起こりますし、「変化させない」と思えば変化を起こすことは難しくなります。

次に、“綱引きの均衡”に例えられる【 秩序2.0 】では、柔軟でスピーディな変化は、基本的に非常に難しくなります。

なぜならば、“綱引き”状態というのは、アクセルとブレーキを同時に踏み込むような状態だからです。

誰かが、何かの変化を起こそうとアクセルを踏み込めば、必ず他の誰かがブレーキを踏み込み(あるいは真逆の方向にアクセルを踏み込み)、“綱引き”を均衡させようとします。

だから、【 秩序2.0 】では、変化を起こそうとしても、簡単に起こすことはできませんでした。


では、【 秩序3.0 】はどうなのでしょうか?

すでに説明したように【 秩序3.0 】では、誰かが他の誰かをコントロールするということはありません。

ですから、ある人が、自分自身のことについて、何か変化を起こそうととした時、その変化を邪魔できる人など、どこにも存在しないはずです。

もし邪魔を出来る人が存在するとしたら、それは自分自身を除いて他にありません。

このように、【 秩序3.0 】は限りなく自由な秩序だということはすでに説明しました。

ですから、自分自身で決められることについては、スムーズでスピーディーに変化を起こすことが出来ます。

まさに、変幻自在と言ってよいでしょう。

しかし、他者が関係してくると、話は複雑です。

なにか変化を起こそうと思った時、自分と、関係する人が目指している方向性が同じであれば、何の問題もありません。

誰も邪魔をする人は居ないのですから、同じ方向に向かって、一緒に全力疾走すればよいでしょう。


問題は、進みたい方向が違っていた場合です。

これが、【 秩序1.0 】や【 秩序2.0 】の世界観であれば、話は簡単です。

【 秩序1.0 】であれば、相手を無理やりにでも従わせる(あるいは、従わされる)でしょうし、【 秩序2.0 】ならお互いの「相手を従わせようとする力」がぶつかり合わせる“綱引き”をしながら、相手を引きずりながら(コントロールして)進む努力をすることになります。

これは、どちらも「相手をコントロールしようとする」方向性の関係です。

このように「相手をコントロールすること」をベースとした世界観の中であれば、意見の食い違いがあれば、相手を自分に従わせるような努力をしていけばよいでしょう。

しかし、【 秩序3.0 】の世界観の中では、そうはいきません。

「相手をコントロール」しようとした瞬間に、その関係性は、【 秩序3.0 】ではなくなってしまうからです。

そうだとすると、【 秩序3.0 】の関係性を目指すのであれば、「意見の食い違い」と、どのようにして向き合うことになるのでしょうか?


まず考えられるのは、自分が我慢して、相手に合わせるという方向性です。

ですが、よく考えてみると、これは「相手からのコントロール」を受け入れていることに他なりません。

もちろん、自分の意志で、相手の主張を受け入れることを選んだのであれば、それは「相手からコントロールされた」というわけではありません。

しかし、「しょーがない……。本当は嫌だけど、後が面倒だから、ここはYesって言っとくか。」というような我慢をした場合には、これは無言の“綱引き”の結果、妥協点に落ち着いたということでしょう。

(この線引きはとても難しいですが……。)

“コントロールの意図”がぶつかり合っていたということです。

ですから、自分の心からの選択として相手に合わせることを選んだ場合を除き、自分が我慢するという方向性は【 秩序3.0 】にはなり得ません


相手をコントロールしようとしてもダメ、自分が我慢してもダメだとすると、意見が食い違った時の選択肢には何が残されているでしょうか?

例えば、お互いに心から選択したいと思える第3案を見つけるために、対話や提案を繰り返すことができるかもしれません。

しかし、この方法は口にするのは簡単でも、実践するのはそう簡単ではありません

どんなに対話を続けたとろこで、お互いに納得できる選択肢が見つかるという保証はどこにもありません。

ゴールが見つかる保証のない中で、相手をコントロールしたくなる欲求や、面倒だから自分が我慢すればいいやと妥協したくなる欲求に負けずに対話を続けるためには、想像以上に忍耐力が求められます。

また、変化のスピードも、非常にゆっくりしたものになるでしょう。

あるいは、どんなに対話を繰り返しても納得できる第三案が見つからない時や、そもそも対話をしている時間を用意できない場合には、それぞれが納得できる別々の道を進むことを選ぶこともできるでしょう。


【 参考記事 】


この場合には、変化のスピードや柔軟性は高くなりますが、“集団としての規律”のようなものを維持することは難しくなるかもしれません。

ただし、決して、それが悪いということではありません。

集団としての“規律”、“常識”、“道徳”、“倫理”のような、私たち一人ひとりの“個としての意志”をコントロールするものは、すべて【 秩序2.0 】以下の世界の産物です。

それとは逆に、そのような“押し付け”がなくても、“個としての意志”の集積が全体として上手く機能している状態が【 秩序3.0 】ということになります。

ですから、【 秩序2.0 】の世界観にどっぷりつかった人からは、【 秩序3.0 】は、“集団としてのまとまり”がない非常に不安定な無秩序状態に見えることもあるでしょう。

そして、【 秩序3.0 】は【 秩序2.0 】以上に繊細で壊れやすい秩序だということは、少なくとも、今の私たちにとっては事実でしょう。

【 秩序3.0 】の雰囲気

なんと言っても、【 秩序3.0 】の雰囲気を特徴づけるのは、「他者へのコントロール」が存在しないことです。

【 秩序1.0 】は”弱肉強食”と喩えられ、【 秩序2.0 】は”綱引きの均衡”と形容されましたが、そのベースには「他者へのコントロール」が存在していました。

強者が弱者をコントロールするのが【 秩序1.0 】で、お互いをコントロールしようとする力がぶつかり合って均衡しているのが【 秩序2.0 】なのは、何度も説明してきた通りです。

ところが、【 秩序3.0 】では、「他者をコントロールしようとする意図」は姿を消します。

他者をコントロールすることよりも、自分が何をするかに意識を向けている段階です。

色々な制約条件や、障害があるなかでも、”私”は、今、自分に与えられた選択肢の中から、何を選ぶのか……?

”私”は、どんなことに意識を向け、考え、言葉にし、行動に移すのか?

”私”は、いったい何に、自分の時間やエネルギーをつぎ込むのか?

”私”は、どんな人生を、どんな世界をつくるのか?

今、”私”は、いったい何を選ぶのか――?

【 秩序3.0 】の”集団”を構成する”個”には、このような自立した精神が求められます。

そして、このような自立した”個”が、自らの意志で「他者を支配したり、利用したり、コントロールしたりする方向性」ではなく、「他者と協力し、支えあうこと」を選んだ人たちの”集団”こそが、【 秩序3.0 】レベルの関係性です。

この段階では、「他者をコントロールしたい」という“意図”が姿を消すのとともに、「他者にコントロールされたい」と望む依存心も姿を消します。

自分の在り方は自分で選ぶという強い自立心が求められるレベルだと表現することもできます。

ただし、その自立心は、【 秩序2.0 】的な他者からのコントロールに打ち勝とうとする方向性の、「一種の対抗心」と言えるような自立心とは、だいぶ様子が異なり[※5]ます。

【 秩序2.0 】は“綱引き”をベースにした関係性ですから、その中で「自立」を求めると、他者へのスタンスは対抗的にならざるを得ません。

他者に騙されたり、都合よく利用されてしまわないように、他者に対する警戒や牽制、威嚇のような行動をとりがちです。

必然的に、心を許した者同士の人間的な信頼関係のようなものは成立しにくくなります。

一方で、【 秩序3.0 】のレベルに達した関係性であれば、このような対抗的な行動は不要となります。

なぜなら、お互いが、お互いの自由を尊重し合っているレベルの関係性だからです。

【 秩序3.0 】の段階は、「誰かからのコントロール」を呼び込む弱さを持つ依存心は姿を消すものの、自らの意志で他者を信頼し、必要とあれば、任せ、ゆだね、人間的な信頼関係を結ぶことが出来るレベルなのです。

他者は、管理する対象ではなく、信頼し、ゆだねる対象となります。

【 秩序2.0 】の世界観が「私が自由を勝ち取るか?それとも、あなたが自由を勝ち取るか?」というものであるとすれば、【 秩序3.0 】の世界観は「私の自由も、あなたの自由も尊重する」というレベルだと言えるでしょう。


そして、このような関係性は、【 秩序2.0 】の特徴だった無駄や非効率を解消します。

なぜならば、【 秩序2.0 】を維持するためには必要だった、“綱引き”を均衡させるための莫大なエネルギーが不要になるからです。

例えば、防犯カメラや、警報ブザー、そして警備会社との契約がなくても、野菜と貯金箱を置くスペースさえあれば、野菜の無人販売所を始めること出来ます。

まだ見ぬ、潜在的な窃盗犯との“綱引き”に、貴重なエネルギーを投入する必要がなくなるわけです。


というわけで、【 秩序3.0 】の雰囲気をまとめてみましょう。

まず、【 秩序3.0 】の雰囲気を象徴するキーワードは、非支配(他者からのコントロールが存在しない)でしょう。

その結果として、他者からの妨害に起因する無力感は姿を消します。

自分のあり方は自分で決めることが出来る、とても自由な雰囲気です。

そして、その自由な雰囲気は、「お互いの自由を侵害しない」という非支配の意志と、「自分のあり方は自分で決める」という自立の意志によって支えられています。

自立した“個”が集まり、自らの意志で、お互いを信頼し、協力しながら支え合う、人間的な温かみのある雰囲気です。

ですから、【 秩序3.0 】の関係性を構築するためには、相応の人間性を持った個が集まる必要があります。

そして、このような人間的な信頼関係は、”綱引き”のために、物事を動かすことに寄与しないエネルギーを消費する必要のない関係性を構築することを助けてくれます。


重要な補足

※5 本文では、【 秩序2.0 】における自立心と、【 秩序3.0 】における自立心の違いを際立たせて書いたため、もしかしたら【 秩序2.0 】的な自立心が、まるで悪者かのように見えたかもしれません。

しかし、私が言いたいのは、そういうことではありません。

【 秩序3.0 】の世界では、対立的な自立心を持たなくて済むのは、誰もあなたのことをコントロールしようとしてこないからであり、誰もが他者をコントロールしようとしている【 秩序2.0 】の段階で自立的な振る舞いを目指そうとすれば、他者への対抗が発生するのは致し方ないことかもしれません。

例えば、Aさんという【 秩序3.0 】をつくることが出来る精神レベルと能力を持った人と、Bさんという他者を支配し、利用することを目指している人が居たとします。そんな時、Bさんが、Aさんに対して支配の食指を伸ばせば、AさんはBさんの支配を受け入れて【 秩序1.0 】的な関係を構築するか、Bさんの支配に対抗して【 秩序2.0 】的な関係を構築するしかありません。

もちろん、【 秩序3.0 】的な関係を目指して、粘り強い対話や提案を続けることもできるでしょう。しかし、Bさんが、その提案を受け入れるとは限りません。

また、Bさんとの関係を断ち切って、新たなに人間関係をつくるという選択肢もありますが、そう簡単に逃れられない関係だって少なくありません(例えば、まだ親なしでは生活していけない子供と親の関係など)。

このように考えると、Aさんのような、【 秩序3.0 】の関係性を構築するのにふさわしい精神と能力を持った人がいたとしても、Aさんだけの力では【 秩序3.0 】は成立しないことがわかります。

何が言いたいのかというと、【 秩序3.0 】以上の世界をつくりたいと思った読者の方が居たとして、その方の身近には、その方のことを支配しようとしている人がいたとします。

そんなときに、この記事を読んだことをきっかけにして、「あの人とも【 秩序3.0 】の関係を築きたいから、対抗的なコミュニケーションはとらないようにしなきゃ!でも、対話にも応じてくれないし、逃げ出すことも出来ない……。」というように悩んでしまったとしたら申し訳ないということです。

対話や逃げ出すことで、状況を解決出来るのであれば、それは1つの選択肢です。

しかし、それらが難しいのであれば、自分が対抗的なコミュニケーションをとることをあまり深刻に捉え過ぎずに、必要であれば毅然とした対応をしてください。相手が強大過ぎて手に負えないなら、手を貸してくれる人を探してもかまいません。

もちろん、ちょっとしたことであれば我慢をしてしまっても構いません。ですが、耐えがたい苦痛を感じながらも、「対抗的なコミュニケーション」をとることに罪悪感を覚えて、【 秩序1.0 】の中にとどまり続ける必要はありません。

所詮、【 秩序3.0 】の関係性は、自分ひとりだけでつくり出せるものではありません。

他者からの支配に対抗することを遠慮して、【 秩序1.0 】の中で苦しみ続けるくらいであれば、【 秩序2.0 】の関係を構築した方が遥かにマシというものです。

もちろん、並行して自分の周りに【 秩序3.0 】的な環境をつくるための努力をすることは、まったく問題ありません。というよりも、推奨したいくらいです。

しかし、だからと言って、他者からのコントロールに対抗する選択肢を捨ててしまう必要はないのです。

【 秩序3.0 】のまとめ


【 秩序3.0 】とは?
「外からの力」ではなく、「思いやり」のような「内からの力」をベースとして成り立つ秩序。

【 秩序3.0 】の成立条件

  • 他者からのコントロールによらず、自らの意志で、他者との良好な関係を築くことを意図していること
  • その“意図”を現実に落とし込むことが可能であること
    例えば、「思いやり」を行動につなげられるだけの能力を持っている場合や、「善意」を空回りさせずに上手く機能させる、効果的※な「ルール」や「仕組み」など


秩序維持の方向性(【 秩序3.0 】)

  • 今後も考えていきたいテーマ。
  • 少数のリーダーの努力だけで維持することは不可能で、その集団を構成する全員が【 秩序3.0 】にふさわしいレベルに到達している必要がある。


【 秩序3.0 】のルールのあり方

  • ルールは必須ではないが、ルールが【 秩序3.0 】の成立を助けてくれることはある。
  • 守らせるルールではなく、自発的にルールを守る”個”が集まった集団


【 秩序3.0 】の自由度

  • 非常に自由(自分の邪魔をするのは自分だけ)。
  • 自分の「あり方」は、自分で決めるという自立が必要(ただし、自らの意志で、他者のアドバイスなどに従うのはOK)。
  • 自由を暴走させる”個”が現れると【 秩序3.0 】は崩壊する。


【 秩序3.0 】の柔軟性・変化のスピード

  • 自分自身のことについての変化は、自由に起こすことが出来る。
  • 他者を変えることは諦めなければならない(相手の意志に働きかける対話や提案はOK)。
  • 目指すものが違うなら、ムリに一緒にいようとしすぎずに、別々の道を選ぶことも選択肢。


【 秩序3.0 】の雰囲気

非支配、他者をコントロールしようとしない、他者からのコントロールを望まない、自立、信頼、尊重、協力、助け合い


次回予告

次回は、【 秩序4.0 】について考えていきます。

秩序4.0 ― 共鳴

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