切り札は政策ではない。流れを変える原動力だ―『日本の生き筋』(北野幸伯)の感想・書評


公開日:2019年2月19日( 最終更新日:2019年3月20日 ) [ 記事 ]
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突然ですが、質問です。


あなたは、日本の未来は明るいと思いますか?それとも、暗いと思いますか?

「日本の未来」だと大きすぎるなら、次の質問に答えてみてください。


あなたの未来は明るいと感じていますか?
それとも、未来のことを考えると不安になるでしょうか?

今のままの生活を続けていけば、一生を安泰に過ごして、幸せに人生を終われるという感覚はあるでしょうか?


もしあなたが、これらの質問に「私の未来は明るい!日本の未来も明るい!」と胸を張って答えられたとしたら、今回の記事は読む必要がないかもしれません。

しかし、未来への漠然とした不安や、このままではジリ貧という感覚を感じたとしたら、今回の記事を読んでみる価値はあるでしょう。


今日の記事では、「ある人」を紹介しようと思います。

その人は、私が心底、「この人はスゴイ!」、「この人の意見は参考になる!」と思っている方。

名前は「北野幸伯(きたの よしのり)」さん。


あれこれ説明するよりも、まずは彼のプロフィールを見てください。


北野さんは、1996年、長野県の松本市に生まれます。

大学は、「卒業生の半分は外交官に、半分はKGBに」と言われるエリート大学「 ロシア外務省付属モスクワ国際関係大学(MGIMO)」を卒業したといいます。

これは、なんと、日本人としては初めてのことだそうです。

これだけでも、ちょっと「普通じゃない経歴」です。

大学を卒業後は、カルムイキヤ自治共和国の大統領顧問に就任します。

大学卒業と同時に、大統領顧問に……。

ますます、「普通」じゃありません。

その後、様々な経験を積んだ北野さんは、1999年、メールマガジン「ロシア政治経済ジャーナル(RPE)」を創刊します。

そして、2005年、処女作「ボロボロになった覇権国家(アメリカ)」を出版。

私が北野さんを知ったのは、ちょうどこの頃です。


メルマガ配信スタンド「まぐまぐ」を眺めていて、メルマガ「ロシア政治経済ジャーナル(RPE)」に登録したのがきっかけでした。

ハッキリ言って、登録するまでは、まったく期待していませんでした(ごめんなさい)

ロシアについて書かれたって、どうせ読まないだろうなー。

これが、正直な感想で、登録する気もまったく起きませんでした。

ですが、面白そうなメルマガはないか?と探していると、なぜか、このRPE(ロシア政治経済ジャーナル)が、何度も何度も目に飛び込んできます。

「まあ、登録だけならタダだし、とりあえず登録しとくか……。」

なんとも失礼な話ではありますが、そんな気持ちで登録したというのが正直なところでした。

いま考えても、この判断は正解でした。

届くメールを読むたびに、私の期待は、何度も何度も裏切られます。

もちろん、良い意味で。

そして、何通かのメルマガを読むころには、「早く次回が読みたい!!」と、大好きなテレビ番組を楽しみに待つ子供のような心境になっていました(笑)。

初めてRPEを読んでから、もう10年以上の時が流れましたが、あのころ登録したメルマガで今でも読んでいるのは、唯一このRPEだけです。

名前は「ロシア」政治経済ジャーナルですが、その内容はロシアの政治や経済というよりは、むしろロシアから見た世界情勢。

しかも、その見通しの正確さには、恐れ入るものがあります。


著者の北野さんは、2005年の当時から、世界の覇権国家「アメリカ」の影響力低下を予想していました。

そして、その後の中国の台頭、そして中国の成長に限界が訪れること。

これらを、それを起きる時期まで含めて予想していました。

2018年の現在から振り返れば、アメリカの世界覇権が揺らいだことも、中国が台頭し、そして今、限界を迎えつつあることも明らかです。

この大きな流れを10年も前から予想していたのですから、恐れ入るとしか言いようがありません。


いつも書いているように、私は、【 秩序3.0 】レベル以上の世界を目指しています。

だから、私の記事は、どちらかと言うと「キレイゴト」に見える記事が多いと思います。

しかし現実問題として、世界はまだまだ、そのレベルには程遠い。

大きなビジョンを夢見ることも大切ですが、同時に、地に足を付けて目の前の現実に対応することも大切です。

特に、国際情勢の世界は、ドロドロして残酷なことも当たり前のように起こります。

国際情勢を語るうえで、【 秩序1.0 】【 秩序2.0 】の厳しい掟を避けて通ることはできないでしょう。

北野さんは、私とは真逆で、「キレイゴトは言わない」がモットー。

極めて現実的に、目の前の問題への対処を考えている方です。

この厳しい世界を、地に足を付けて、強く生き抜くための教科書として、北野さんの「ロシア政治経済ジャーナル」や、その他の著作はピッタリなのではないかと思います。


「ロシア政治経済ジャーナル」の登録はこちら

→ 北野さんの著書を読む

→ より詳細な北野さんのプロフィールはこちら


その北野さんの新刊が、去年(2018年)の12月に発売になりました。

これまでの著作は、おもに国際関係でしたが、今回は「日本の未来」について。

タイトルは『日本の生き筋ー家族大切主義が日本を救う』。

キレイゴトは言わない「嫌になるほどリアリスト」の北野さんが、とことん現実的に、日本を明るくする方法について書いた本です。

発売を知った私は、迷うことなく購入。

さっそく読んでみて、驚きました。

そこには、当サイト“和楽の道”の考え方にも通じる内容が盛りだくさんだったからです。

発売から少し時間がたってしまいましたが、今回は、この本を教科書にして書いてみたいと思います。

(ちなみに、私は、kindle版を買いました)

日本の生き筋の表紙(kindle版)


日本が「不幸な国」になった最大の理由

さてさて。

ここで、冒頭の質問を思い出してください。

あなたは、「日本の未来」を明るいものだと感じられるでしょうか?

そして、あなた自身の未来を、明るいものだと感じられるでしょうか?


この質問、「ハイ!明るいです!!」と胸を張って答えられる人は少ないと思います。

この本の冒頭でも、国連が発表している世界幸福度ランキング(2018)で、日本が世界54位だったということが紹介されています。

これは、先進国の中で「最下位」の結果だということです。

その他にも、教育、生産性、睡眠時間、やる気、仕事のやりがいや満足度、自国への誇り、若者の自分自身への満足度や将来への希望などの調査で、先進国で最下位レベルの結果を出し続けている……。

こんなショッキングな結果が紹介されています。


だから、もしあなたが「明るい未来」を予感できなかったとしても、それは仕方がないことなのかもしれません。

では、もうこの現状は変えることはできないのでしょうか?
「出来る!」というのが、本書『日本の生き筋』の主張です。



と、その前に、まずは日本の現状を見てみましょう。

北野さんは、日本の停滞の原因がどこにあると見ているのでしょうか?


日本で「会社教の時代」は終わりました。

「信じるもの(会社)に裏切られた」
「信じられるものがない」

これが、日本が漂流している、最大の原因だと私は思います。

北野幸伯著 「日本の生き筋ー家族大切主義が日本を救うー」扶桑社BOOKS(2018年)kindle版 第二章「家族大切主義と真の働き方改革」より

なるほど。

北野さんは、

日本人の多くが、「会社教」に裏切られ、信じられるものがなくなってしまったこと
が、日本の停滞の最大の原因だと分析しているようです。


ですが、これ。

よく考えてみると、面白いですね。

  • ブラック企業が大手を振って歩いていること
  • 非正規社員や低賃金労働が当たり前になっていること
  • 過労死や自殺者が多いこと
  • 朝早くから夜遅くまで仕事をせざるを得ない人が多いこと
こういったことが、日本停滞の原因だと主張するなら、理解できます。

しかし北野さんは、「会社教」という信仰を失ったことが、日本が停滞している最大の理由だと位置づけています。

言い方を変えれば、「労働環境の悪化」そのものよりも、「会社信仰の崩壊」の方が、より根本的な原因だということでしょう。

なんとなく分かるような気もしますが、どうも釈然としません。

なぜ、「ブラック労働」そのものよりも、「会社信仰」の崩壊の方が重要なのでしょうか?


日本人は何を「信仰」してきたのか?

もう少し、北野さんの話を聞いてみましょう。

普段モスクワに住み、一年に一回帰国していた私は、日本の変化を敏感に感じます。皆さん、毎日みている自分の家族について、ほとんど変化に気がつかないでしょう?ところが、たまにしか会わない親戚、友人、知人の変化は、よくわかります。

「兄の子、一年見ないうちに、大きくなったな~」「あれ?〇〇君は、ずいぶん太ったぞ」「○○さんは、白髪が増えたな」などなど。それと同じで、私はたまにしか「生日本」を見ないので、その変化を感じることができる。

ここ五年ぐらいでしょうか。私は、大多数の日本人が「お先真っ暗な未来」という「ビジョン」を共有していることに気がつきました。

北野幸伯著 「日本の生き筋ー家族大切主義が日本を救うー」扶桑社BOOKS(2018年)kindle版 第五章「少子化問題を解決する方法」より

この本の著者である北野さんは、日本人でありながらモスクワ在住(元在住)。

日本から離れているからこそ、客観的な視点で日本を見ることが出来ます。

その北野さんの視点では、日本人の多くが “「お先真っ暗な未来」という「ビジョン」” を共有しているように見えるといいます。

では、私たち日本人は、遠い昔からずっと「暗い未来」を信じていたのでしょうか?

そんなことは、ありません。

北野さんは、次のように分析しています。


たとえば江戸時代、人々は、「幕府は天地のごとく盤石」と考えていたようです。
明治時代になると、今度は、天皇が信仰の対象になりました。
新政府は、明治天皇を中心に、新しい体制づくりを進めていった。
結果、日本は、驚くべき成長を実現します。
そして、日清戦争、日露戦争、第一次大戦で連戦連勝。
きわめて短期間で、「世界五大国」の一つに数えられるようになった。
これは、まさに人類史上の奇跡といえるでしょう。
「天皇陛下について行けば、間違いない」という信念が強化されていったのは当然でした。

しかし、その信念、信仰をぶち壊す大事件が起こった。
そう、一九四五年の敗戦です。
日本人は、アイデンティティー・クライシスになりました。
今まで信じていたものが、いきなり否定されたからです。

北野幸伯著 「日本の生き筋ー家族大切主義が日本を救うー」扶桑社BOOKS(2018年)kindle版 第二章「家族大切主義と真の働き方改革」より

なるほど。

人々は、江戸時代は幕府を信仰し、明治からはその信仰の対象が天皇に変わった、と。

そして、幕末には「黒船」に対抗することも出来なかった日本が、またたく間に世界の大国の仲間入りを果たします。

まあ、このような状態であれば、「日本の未来が暗い」などと信じる人は少なかったと考えるのが自然です。

それどころか、日本の未来は、どこまでもバラ色だと信じて疑わない人も数多くいたことでしょう。

そう。

少なくとも日清・日露戦争に勝利を収めた頃の日本では、「日本の未来は暗い」、「お先真っ暗」などという感覚が支配的ではなかったのです。

しかしその信仰は、第二次大戦~敗戦によって崩れてしまいます。

このようにして、信仰を失ってしまった日本。

その後は、「未来は暗い」、「お先真っ暗」という雰囲気が支配的になってしまったのでしょうか?


さて、日本人は敗戦後、何を信じて生きてきたのでしょうか?
私が見るに、大部分の日本人は、会社を信じたのです。
天皇陛下や日本国に向けられていた忠誠心が、今度は自分の会社に向けられることになった。
そして、日本経済は、またもや奇跡的な成長を始めました。

北野幸伯著 「日本の生き筋ー家族大切主義が日本を救うー」扶桑社BOOKS(2018年)kindle版 第二章「家族大切主義と真の働き方改革」より

敗戦によって信仰の対象を失った人々は、今度は「会社」を信仰し始めたと言います。

たしかに、これには納得です。

24時間、戦えますか?

こんなキャッチフレーズのCMが、数十年前の日本では、当たり前に放映されていました。

つまり、このような「モーレツ社員」「企業戦士」的な価値観(≒会社信仰)が、世間から受け入れられていたということでしょう。

その証拠に、もし、今こんなCMを放映したらどうでしょう?

間違いなく、大炎上してしまうはずです。

当時、このようなCMを放映できた背景には、「会社信仰」という価値観を世間が受け入れていたという背景があるのです。


しかし、この数十年の間に、世間の価値観も大きく変わりました。

上で書いたように、もし、このCMを今放映したら、間違いなく大炎上です。

会社のために身を粉にして働く人を呼ぶ言葉も、「企業戦士」のようなポジティブな響きがある言葉から、「社畜」のようなネガティブな響きがある言葉が使われることが増えました。

ちょっと、考えてみてください。

いま、あなたの周りに、「会社信仰」を大切にしている人はどのくらいいるでしょうか?

正直、私の周りには、ほとんど見かけません。

むしろ、「滅私奉公して会社に尽くしなさい」というような思想は、「ブラック思想」として非難すら受けています。

この感覚には、おそらく、ほとんどの読者が賛同してくれるのではないかと思います。

では、日本人が信じた「会社信仰」には、いったい何が起こったのでしょうか?


「会社教」は、その後どうなったか?
日本では、年功序列、終身雇用が、徐々になくなっていった。
これは、「会社教」を支える、二つの柱が折れたことを意味します。

「会社教」は、企業が、社員に約束していた二つの約束を放棄したことで、崩壊したのです。
結果、社員の会社への忠誠心は失われました。

北野幸伯著 「日本の生き筋ー家族大切主義が日本を救うー」扶桑社BOOKS(2018年)kindle版 第二章「家族大切主義と真の働き方改革」より

奉公に対するリターンが失われたことで、会社信仰は崩壊したと北野さんは分析します。

具体的には、「年功序列」、「終身雇用」というリターンですね。


数年前、日本に一時帰国した際、テレビをつけると「社員の忠誠心がなく困っている」という話をしていました。
ある会社で、上司が部下を呼び、「今度、インドに支店を開く。それで君に行ってほしいのだが」といいます。
すると、部下の社員は、「いやです!」ときっぱり断った。
それで、テレビでは、「今の社員は、まったく……」と文句をいっている。

しかし、私は「断って当然だよな」と思いました。
なぜでしょうか?
会社に忠誠を尽くしても、不況になれば、すぐリストラするからです。

どんな関係も、相互に信頼がなくては成り立ちません。
会社が、「苦しくなったらいつでもリストラするけど、忠誠心もてよ!」と主張しても、社員は、「アホか!」と思うだけです。

北野幸伯著 「日本の生き筋ー家族大切主義が日本を救うー」扶桑社BOOKS(2018年)kindle版 第二章「家族大切主義と真の働き方改革」より

「滅私奉公を要求するけど、都合が悪くなれば、あなたを見捨てます。」

たしかに、これでは信仰が揺らぐのも無理はないでしょう。


ちょっと想像してみてください。

「身を粉にして働けば、将来、高い確率で報われる。」

心の底から、そう信じていれば、目の前に「嫌なこと」や「大変なこと」があっても、我慢して乗り切ることができるかもしれません※1

しかし、その確信が得られなかったらどうでしょう?

「身を粉にして働くことは求められるけど、都合のいいように搾取され、用済みになったら見捨てられる。」

そんな世界に自分が生きていると感じていれば、「未来は暗い」と思ってしまうのも無理はないのかもしれません。



ここまでの話をまとめましょう。

北野さんの分析によれば、日本人は、その時々に合わせて「信仰」の対象を変えてきました。

たとえば、江戸時代であれば徳川幕府。

明治維新後は天皇、そして敗戦後は会社という具合です。

しかし、その会社への信仰も崩壊してしまったといいます。

そして、信仰の対象を失った日本人は、「暗い未来」を信じるようになったのです。

しかし、そんなことが、本当に日本が停滞する最大の原因だと言えるほどのことなのでしょうか?

※1 ただし、“和楽の道”では、あまりそのような状態をオススメしているわけではありません。

参考:楽しい「やる気」、ツラくなる「やる気」―内発的動機と外発的動機


【 “和楽の言葉”をお届けします 】
「覚えておきたい言葉」も、一晩で忘れちゃう。そんなあなたへ。「和楽の言葉」を毎日お届けします。和楽の道とツイッターの連動サービス。

現実問題として、「信仰」には「現実」を変える力が宿る

このことについて考えるためには、少し説明が必要です。

実は、私たちが信じている“観念”と“現実”の間には、「ある法則性」が存在していると私は考えています。

具体的には、“観念”と“現実”を一致させようとする力がはたらくという法則です。


怪しいですね(笑)

しかし、冷静になって考えてみると、そこまで荒唐無稽な話ではないことがわかってきます。

順番に説明していきましょう。


まずは、“観念”と“現実”という言葉についてです。


“現実”については、詳しい説明は不要でしょう。

私たちが、日々、体験している世界のことです。


次に、“観念”というのは、「ものの見方」のことです。

たとえば、恋愛観というのは、恋愛についての“観念”。

恋愛というものを「どのようなものだと見ているか?」が、恋愛観です。

他にも、

人生観 … 人生を、どのようなものだと見ているか?
世界観 … 世界を、どのようなものだと見ているか?
宗教観 … 宗教を、どのようなものだと見ているか?
結婚観 … 結婚を、どのようなものだと見ているか?
歴史観 … 歴史を、どのようなものだと見ているか?
価値観 … 何に価値があり、何に価値がないと見ているか?
生死観 … 生きることや死ぬことを、をどのようなものだと見ているか?

などなどなどなど。

こういったものを全てひっくるめて、を“観念”と呼ぶことにします。


さてさて。

“観念”と“現実”という言葉について説明をしました。

私は、これら2つの間には、その2つを一致させようとする引力のような力がはたらいていると考えています。

簡単に言えば、“観念”と“現実”は常に一致しようとしているのです。

【 参考記事 】


詳しくは、上のリンク先を読んで頂きたいのですが、簡単に説明しましょう。


たとえば、私たちは「お金」に大きな価値を感じています。

私はそうは思いませんが、「命の次に大切なお金」なんて言い方をする人もいます。

お金のために必死に働く人や、人生が狂ってしまう人もいるでしょう。

このように、私たちの人生に大きな影響力を持つ「お金」という存在。


しかし、よく考えてみてください。

「お金」の代表格、一万円札は、福澤諭吉の肖像画が描かれた「たんなる紙切れ」に過ぎません。

貯金したお金に至っては、「預金通帳に印刷されたインク」や、「パソコンの画面に表示された電子データ」でしかありません。

私たちは、「たんなる紙切れ」や「印刷されたインク」に大きな価値を感じているのです。

では、いったいなぜ「ただの紙切れ」でしかない「お金」がここまでの価値を持っているのでしょうか?

それは、私たちが「お金に価値がある」と信じているからです。

つまり、「お金に価値がある」という“観念”に引っ張られて、本来は原価約20円程度しかない一万円札に「1万円」という価値がある“現実”がつくりだされているのです。

より詳しい説明は「子供にもらった不思議なお金―“幻想”が世界を“創造”するプロセス」を読んでみてください。


お金だけではありません。

「資本主義」のような経済の仕組みが成り立つためには、その前提として、人々が資本主義の“観念(≒エートス)”を受け入れている必要があるという指摘があります。

ある民族が、その民族であるためには、民族の“観念”が必要不可欠です。

つまり、「資本主義」の”観念”がなければ、資本主義経済は成立しませんし、民族の“観念”が消滅すれば、その民族も消え去ってしまうということです。

こう書くと、少し大げさに聞こえるかもしれません。

ですが、冷静に考えてみれば、「経済の仕組み」や「民族の成立」にまで、“観念”の影響が及んでいることがわかるはずです。

その詳しいメカニズムは「見えざる手 ― 私たちの社会を動かす“観念”のプログラム」を読んでみてください。

このように、“観念”には、その“観念”に対応した“現実”をつくりだす力が宿っているのです。


それとは逆に、”現実”が“観念”をつくる働きもあります。

たとえば、上で紹介した北野さんの分析する「会社信仰」崩壊の原因を思い出してみてください。

それは、「年功序列」と「終身雇用」の終焉でした。

「年功序列」や「終身雇用」のような現世利益(“現実”)を失ったことで、人々は、「会社信仰」という“観念”に疑問を持ち始めたということでしょう。

つまり、“現実”が“観念”を変えたわけです。


ということは、です。

“観念”と“現実”の相互作用には、次の2つの方向性があるということになります。

“観念”が、その“観念”に合わせた“現実”をつくるという方向性
“現実”が、その“現実”に合わせた“観念”をつくるという方向性

もっと単純に書けば、

“観念”が“現実”をつくる
“現実”が“観念”をつくる

という相互作用があるということです。

そして、どちらの場合でも、“観念”と“現実”の間には、その2つの状態を一致させようとする力がはたらきます。

これが、私の考える「“観念”と“現実”の法則」です。

この法則についての詳しいことは、別の記事で解説しています。

あまり詳しく書くと長くなりすぎますので、話を先に進めましょう。


歴史が動く時、信仰も動く。信仰が変われば、歴史も変わらざるを得ない。

では、考えてみてください。

このような“観念”と“現実”の相互作用が存在したとしたら、いったい何が起こるのでしょう?


江戸時代が終わり、明治の世に生まれ変わろうとする日本を思い浮かべてみてください。

このとき、私たちの先祖の日本人たちは、受け入れる“観念”を大きく転換したはずです。

思い出してください。

私たちが信じる“観念”と、実際に体験する“現実”の間には、常に一致しようとする力が働きます。

だから、もし“観念”が「幕府思考」のままであれば、北野さんが著書で指摘するように、徳川幕府に変わって、薩摩(島津家)か長州(毛利家)が新しい将軍となり幕府を開いていたかもしれません。


江戸幕府が倒された後、明治新政府は、「日本を立憲君主制にしよう!」と決めました。
そして、憲法を作り、議会が開かれた。
これ、今の私たちには、「当たり前」に感じられます。
しかし、その前の歴史をみてください。
鎌倉幕府の後は、室町幕府ができた。
室町幕府の後は、江戸幕府ができた。
であるのなら、江戸幕府の後、島津幕府や毛利幕府ができてもおかしくありません。

北野幸伯著 「日本の生き筋ー家族大切主義が日本を救うー」扶桑社BOOKS(2018年)kindle版 第二章「家族大切主義と真の働き方改革」より

むしろ、日本の歴史の流れを見れば、その方が自然ですらあります。

( 鎌倉幕府 → 室町幕府 → 江戸幕府 という流れ )

それをせずに西洋式の明治政府をつくったということは、人々が、新しい“観念”を受け入れたという証拠なのです。

もちろん、否が応でも新しい“観念”を受け入れざるを得なかい状況に追い込まれて、嫌々受け入れた人もたくさん居たでしょう。

死ぬまで、頑なに「幕府思考」を信じ続けた個人も居たかもしれません。

しかし、日本人という集団の全体としては、新しい「西洋式」の“観念”を受け入れたことは間違いないでしょう。


このように、社会(“現実”)が変わるときには、人々が信じる“観念”が変わります。

逆に、人々が信じる“観念”が変われば、社会(“現実”)も変わらざるを得ません。

私たちが暮らす社会の“現実”と、私たちが集団として信じる“観念”には、密接な関係があるのです。


この本は、なぜ書かれたのか?

そう考えると、北野さんが、この本『日本の行き筋』を書いた目的が見えてくるような気がします。

海外暮らしのために、日本人以上に、日本人の変化がよく見える北野さん。

その北野さんは、日本人の多くが「お先真っ暗な未来」を信じるようになってきていることに気づきました。

これは、「日本の未来は暗い」という“観念”を、多くの日本人が信じ始めているということ。

この状態を放置したら、いったい何が起こるでしょう?

先ほど説明したように、“観念”と“現実”の間には、互いを一致させようとする力が働きます。

そうだとすると、「日本の未来は暗い」という日本観には、実際に「暗い未来」をつくりだす力が宿るということになります。

たとえば、ここでは、1つだけ例をあげてみましょう。

もし、あなたが「私の未来は暗い」と、一切の疑いなく、心の底から確信していたとしましょう。

すると、あなたの目の前に「あなたの未来を明るくするチャンス」が落ちていたとしても、あなたにはそれが見えなくなってしまうのです。

え……?怪しい?

そう思われるのも仕方ないかもしれませんが、ここは、騙されたと思って次の記事で紹介している注意力テストを受けてみてください。

【 参考記事 】
きっと、その結果に驚くことになりますから。

また、「ポストイットの開発秘話」も、このことを理解する助けになるでしょう。

文字数の都合で、あまり詳しい説明は出来ませんが、とにかく「未来は暗い」という確信には、本当に「暗い未来」をつくりだす方向性の力が宿ってしまうのです。

その詳しいメカニズムについては「知らなかったら損をする! ― 私たちを影から操る“プログラム”の正体を探る」を読んでみてください。


もちろん、ここまでに説明してきた「“観念”と“現実”は一致しようとする」という仮説は、あくまで私の考えです。

北野さんが、このような法則があると主張しているわけではありません。

ですが私は、本書を読んで確信しています。

北野さんは、このような「 “私たちが信じること(観念)” が持っている、 “現実” を変える大きな力」を重要視しているのだろう、と。

たとえば、先ほど引用した部分。

そこでは、「ブラック労働」という“現実”や“環境”と同じかそれ以上に、「会社教」の崩壊という“観念”の変化を重要視した表現がされています。

「会社教」という“観念”の崩壊こそが、日本停滞の最大の原因だとまで主張しています。

そして、『日本の生き筋』の副題は、『家族大切主義が日本を救う』。

「会社信仰」、「会社第一主義」を改めて、「家族大切主義」という新しい“観念”を日本のスタンダードにしようという提案です。

もし、北野さんが“観念”が“現実”に与える影響力を軽視していたとしたら、決してこんな表現はしないでしょう。


つまり、こういうことです。

私たちの“観念”を変えることで、日本という国の“現実”の社会環境を変えてしまおう!
もし、私が本書『日本の生き筋』を1行に要約するなら、こう要約します。


もちろん、ただ単に「“観念”を変えろ!」と言われても、そんなことはできません。

証拠も無しに「日本の未来は明るいと信じろ!」と言われても、簡単に考えを変えることはできないのです。

だから、北野さんは、具体的な政策提言もされています。

日本の未来は○○問題のせいで暗いと言うけれど、こうすれば○○問題は解決できますよ。

という具合で。

北野さんが、このような提言をする一番の目的は、読者の“観念”を変えることにあるのだろうというのが、私の理解です。

もちろん、北野さんは、圧倒的な予測的中率を誇る国際政治や経済の専門家。

その提言の1つ1つにも、大きな価値があるはずです。

無価値なはずがない。

この点は、強調しておきたいと思います。

しかし、日本人が共有する“観念”(=日本人が信じる「信仰」)を変えることには、1つ1つの政策以上の価値がある

あくまでも私の見解ですが、北野さんの狙いはそこにあるのではないかと思います。


この点を理解できているかどうかで、この本を読む価値は大きく変わってきます。

「この政策は賛成」「あれには反対」という具合で、本書に書かれている提言の1つ1つに注目しながら読むことも大切です。

しかし、それ以上に大切なのは、1つ1つの提言を読む中で、「日本の未来を明るく出来る可能性の高い選択肢が存在する」という“観念”を養うこと。

(もちろん、あなたが明るい未来を望むのであればの話ですが)

それが、本書の最大の活用法だと思います。

すでに書いたように、私たちの“観念”には、私たちの暮らす“現実”を変えてしまう力が宿っています。

「明るい未来をつくることが出来る」という“観念”は、そんな未来をつくるためのチャンスを見つけることを助けてくれます。

そして、そのチャンスを行動に移すことを後押ししてくれます。

「未来は暗い」という“観念”は、たとえ目の前に、明るい未来をつくりだすことが出来るチャンスが落ちていたとしても、それが見えないように隠してしまう力を持っています。

仮にチャンスを見つけることが出来たとしても、そのチャンスを掴み取る行動を起こすことを妨害します。

しつこいようですが、そのメカニズムについては下の参考記事を読んでみてください。

【 参考記事 】

ということは、です。

「未来は明るい」という“観念”が一般常識となれば、この本に書かれている以外の「日本の未来を明るくする政策」も次々と立案されることになるでしょう。

そして、それを実行していこうという機運も盛り上がります。

日本人という集団の“意志”として「日本の未来を明るくする」というビジョンを定め「日本の未来は明るく出来る」という“観念”のプログラムを走らせたとしたら、そうならざるを得ないのです。

それが、本書『日本の生き筋』が書かれた一番の目的なのではないか?

私は、そう思うのです。


私の背中を教えてくれた本

ところで今回、私はなぜこのような記事を書いたのでしょうか?

もちろん、『日本の生き筋』という本を紹介したかったというのが、第一の目的です。

では、いったいなぜ、この本を紹介したかったのか?

実は私も、このサイト“和楽の道”で、一貫して新しい“観念”の必要性を訴え続けてきました。

具体的には、“和楽”の“観念”です。

詳しい説明は、ここではしません。(本題から外れてしまうので)

気になる場合は、下の参考記事を読んでみてください。



私は、このような“和楽”の考え方を普及させることは、間違いなく、人類の平和と幸福に貢献できると確信して活動を続けています。


ところで、北野さんの提唱する「家族大切主義」。

よく読んでみると、この“和楽”の世界観と通じるところが多いのです。

(このことについては、機会があれば、また別の記事として書こうと思います。)

そして、「家族大切主義」という“観念”を普及させることで、“現実”を変えようとしている。

しかも著者は、予測が当たるという定評があり、私もメルマガを愛読している北野さん。


すでに書いたように、私は、“和楽の道”の活動は、人類の平和と幸せに貢献できると確信しています。

しかし、それでも、たまには不安や心配を感じることもあります。

「本当に、私のやっていることは世界を変える力になるんだろうか……?」、と。

北野さんの新著『日本の生き筋』は、そんな私の背中を押してくれているような気がして、私にとっても大きな力になりました。

その感謝の意味も込めて、この記事を書きました。

もし興味が湧いたら、あなたも読んでみてください。

→ 日本の生き筋

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