ソニー神話から導く、あなたの神話のつくり方―井深大さんのマネジメントと和楽の空間


公開日:2014年10月8日( 最終更新日:2023年9月2日 ) [ 記事 ]
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“ソニー神話”が、あなたを“楽園”へと誘う……
今から、あなたには、そのことをじっくりと味わっていただきましょう。


といっても、別にソニー製品を紹介したいわけではありません。

“神話”と呼ばれたころのソニーが、私たちの進む道に示してくれた、一筋の光についてお伝えしたいのです。

それは、私たちを、まるで“楽園”といっても過言ではないほどの世界へと誘(いざな)ってくれるでしょう――。

“神話時代”のソニーを見た男

ソニーが好きな人、好きではない人、どうでもいいという人。いろんな方がいると思いますが、ソニーが過去に、神話と形容されるほどの奇跡的成長を遂げたことがある、ということには異論は少ないと思います。

今回の記事では、そんな“神話時代”のソニーの様子を探りながら、それがどのように私たちの生活につながるのかを考えていきます。

参考にするのは、主に天外伺郎さんの著作です。

天外さんは、CD(コンパクトディスク)やAIBO(犬型のロボット)などの開発者として知られている、有名なソニーの技術者です。

今回は、その天外さんの著書2冊を主な参考書としてすすめたいと思います。

ソニー創業者の人間力

では、さっそく天外さんの目から見た、元気が良かったころのソニー内部の様子を見ていきましょう。

天外さんの著書「マネジメント革命」によれば、天外さんはソニーで過ごした企業人生活の中で、何人かの素晴らしい上司にめぐり合うことがことができたと言います。

その中の一人は、言わずと知れたソニーの創業者、井深大(いぶか まさる)さんです。

[※優れた上司の]最初のひとりが、ソニーの創業者の井深大氏だ。井深さんを上司と呼ぶのはいささか語弊がある。直属の上司だったことは一度もない。私が入社したとき、すでに社長だった。しかしながら、入社直後に取り組んだ仕事が、たまたま井深さんの発想によるものだったため、直接に薫陶を受けることになった。

[…中略…]

このとき、指揮命令系統としては、私の直属上司は係長であり、その上には課長も部長もいた。彼らは、全面的に私の仕事をサポートしてくれ、私が社内外にいろいろな依頼をするときなどに援助してくれたが、指示や命令は一切なかった。

井深さんは、ひとつのことに熱中すると、寝ても覚めてもトコトン追求するタイプであり、ときには毎日のように私の隣に座り、いろいろと議論をふっかけてきた。そのときも、社長と新入社員の議論に、係長も課長も加わることもなく、二人だけの場を保たせてくれた。

[…中略…]

井深さんも、私に対して命令や指示を一切しなかった。ときには詳細な技術的な問題で激論になることもあったが、だいたいは、私の実験結果やアイディアや仮説を、「ホウ、ホウ」と感心して聞いてくれた。

[…中略…]

また、社長と新入社員が口角泡を飛ばして議論しているとき、課長も係長もそれに介入せずにそっと見守る、などということは、なかなかできることではない。そこには、ゆるぎない、本当に毛髪一本入る隙もないほどに確立された信頼感が見てとれる。だから、課長も係長も、自分をアピールする必要がないのだ。いちいちアピールしなくても、社長はちゃんと自分のことを見ていてくれる。あるいは、社長が見てくれていなくても、自分は黙々と全体のために最善の努力をする。その最善の努力をする自分を、社長が知って信頼してくれている、といった方が正確か。

注:ただし、※は引用者による追記
天外 伺郎著 『マネジメント革命 「燃える集団」を実現する「長老型」のススメ』講談社(2006年)P.29~31より

まだソニーが今のような世界的大企業ではなかったとはいえ、社長と新入社員が議論している姿が見られるということには、驚くべきものがあります。

そして、当時のソニーでそんな姿を見ることができた背景には、絶対的な信頼関係があったのだと、天外さんは言います。


確かに、圧倒的な信頼関係がなければ、なかなか見られる光景ではありません。

考えてみてもください。

例えば、あなたが新入社員の上司(課長)だったとしましょう。

ある日、あなたの目にはこんな光景が飛び込んできます。

なんと、新入社員の隣に社長が座り、実験結果を見ながら激論を交わしているのです。

あなたなら、そんな光景を落ち着いて見ていられますか……?


万が一、新人が失礼な態度をとってしまうようなことがあれば、社長にあなたの教育を疑われてしまうかもしれません。

あるいは逆に、新人が社長の疑問に十分応えられてしまった場合はどうでしょう?

もしかしたら社長は、あなたがいなくてもこの課は十分に回っているという、あってはならない勘違いをするかもしれません。

もっと言ってしまえば、単純に、あなたが出ていかないこと自体に社長が腹を立ててしまうかもしれません。

「社長である私が実験結果を気にしているというのに、新人だけに対応させるとは、この課はいったいどうなっているんだ!!」

……普通にあり得そうな状況だと思いませんか?


また、あなたは新人からの恨みも買ってしまうかもしれません。

「まだ社内のこともよくわかっていない私が、こともあろうに社長に議論をふっかけられているというのに、課長は見て見ぬふりをして助けに来てくれなかった……」

そう思われてしまうかもしれないのです。

恨まれるかどうかは置いておいても、もし社長が、たとえ無自覚であったとしても、新人を潰してしまうようなプレッシャーをかけてしまっていたような場合にも、あなた間に入る必要が出てくるかもしれません。


もう、おわかりですね?

  • 自分が出て行かなかったとしても、社長は決して気分を害さないだろう。
  • 間違っても、社長が新人を潰してしまうようなことはないのは当然として、きっと新人にとっても社長との交流はよい経験になるだろう。
  • 新人は十分に社長相手に対応ができる能力があるだろう。
  • たとえ新人の対応に至らない点があったとしても、社長はそんなことに、いちいち腹を立てないだろう。……etc.
そういった信頼感があって初めて、あなたは安心して、新人と社長の二人のプロジェクトを暖かく見守ることができるのです。

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「人育ての名人」と、社長に逆らったエンジニアの運命

ではもう少し、井深さんの人柄がうかがえるエピソードを見ていきましょう。

井深さんは、技術者の心に火をつけ、技術に命をかけるスーパー・エンジニアに変身させる名人だった。だから、井深さんがリーダーシップを執っている間、ソニーの神話は続いたのだ。井深さんが一線を退いても、そこで育った人たちが、しばらくは会社を支えていた。次第にその数が減ると、当然並の会社に転落していく。

井深さんのリーダーシップのもとで働いた技術者は、一様に目を輝かせてその思い出を語ってくれるだろう。それは、何の疑いもなく、まったく純粋な気持ちで、技術に生命をあずけることができたからだ。低次元のサラリーマン的なかけひきや、マネジメント特有の腐臭とは無縁に、全身全霊を技術に没頭することができたからだ。

――純粋さが保てたとき、サラリーマンはスーパーマンに変身する――
ごく一般的な管理型マネジメントのもとでは、人はこの純粋さを保つことができない。後の章で述べるが、管理すること自体の中に様々な不純な要素が含まれているからだ。

[…中略…]

井深さんは、人育ての名人といわれてきたが、その鍵は徹底的に相手を尊重し、包容する姿勢にあったように思う。たとえ相手が新入社員であっても、専門家として尊敬し、自分は教わるという立場をくずさなかった。

――人は尊敬する相手から、尊重されることにより育つ――
ただしこれは、表面的に真似ができる話ではない。井深さんが技術者を尊重したのは、自分自身が技術に対してきわめて純粋な興味を持っており、のめり込む特性があったからだ。

――純粋な人の周囲には、純粋な人が集い、さらに純化されていく。不純な人の周囲には、不純な人だらけになり、さらに純粋さが失われていく――
[…中略…]

私は、今年六四歳になった。まだ心の中で、メラメラと炎がゆらいでいることを誇りに思う。その火は、入社直後に井深さんと過ごした数ヶ月間で点火されたものだ。
天外 伺郎著 『マネジメント革命 「燃える集団」を実現する「長老型」のススメ』講談社(2006年)P.39~41より

そうこうするうちに、私は突然、技術研究所というところへ異動を命ぜられ、CDをはじめとする一連のデジタル・オーディオ機器の開発チームを率いることになった。

[…中略…]

ところが、これが散々な評判だったのだ。大型冷蔵庫ほどの巨大な筺体に、すさまじい勢いでテープが走る。もし商品化したら、何億円という価格になるだろう。さして音質が良いとも思えず、ときどき符号誤りによるけたたましい騒音を発生するのだ。

「何が、夢のハイファイだ!」

嘲笑の声は、私の耳にも届いていた。

[…中略…]

いつもなら、新しい技術には目の色を変えてのめり込んでくる井深さんは、このときは反対派の総大将だった。デジタル技術が大嫌いだったのだ。

[…中略…]

その後何年にもわたって、私は大恩ある井深さんの猛反対の中で、デジタル・オーディオの開発チームのリーダーを務めた。全然関係ない医療関係の話をしているときに、私は井深さんに「デジタル屋に、何がわかる!」と悪態をつかれたこともあった。

内心忸怩[※じくじ]たるものがあったが、しかしながら、いまから考えると私は、安心して井深さんに逆らっていたように思う。井深さんの言うことを無視しても、それによって個人的な信頼感が損なわれることはないし、報復されることもない、という不思議な安心感だ。ある意味では、幼児が親にいだく絶対的な安心感に似ている。

[…中略…]

CDが成功したとき、井深さんは「あのとき反対して悪かったね」と詫び、素直に喜んでくれた。まったく、何も根に持たないのだ。そういう純粋で素直な井深さんがよく解っていたからこそ、私は安心して逆らえたのだ。

注:ただし、※は引用者による追記
天外 伺郎著 『マネジメント革命 「燃える集団」を実現する「長老型」のススメ』講談社(2006年)P.46~49より

なんとなく、当時のソニーの雰囲気が見えてきたような気がします。

セーフベース ― “和”が“楽”をもたらす安心感のメカニズム

次元の低い争いや、サラリーマン的かけひき、足引っ張り合いなどとは無縁で、信頼や尊重の関係で結ばれた人々。

その信頼関係の深さは、安心して社長に逆らうことすらできてしまうほどです。

まさに、“和”の雰囲気につつまれた環境だといえるでしょう。

そして、そんな環境のなかだからこそ、自分がそうすべきと感じる通りに、全身全霊で技術に打ち込むことができるエンジニアたち。
彼らは心から仕事を“楽”しんでいたことでしょう。

まさに、“和が楽をもたらす”。そのものの姿です。


実際、天外さんは次のように言っています。

(もちろん、天外さんが“和”だとか“楽”だとか言っているわけではありませんが、本質的には同じことを言っているのだと思います)

この「安心感」は、人が脇目もふらずに全力疾走するときに不可欠だ。

――良い上司のひとつの条件が、安心して逆らえる人だ。上司が冷たい評価の眼で見ていると思ったら、全力疾走も冒険もできず、燃える集団もできない――
このことは「セーフベース」という概念で説明できる[※]。
たとえば、母親の膝の上の赤ちゃんは、いままで知らなかった新奇のものにさかんに興味を示す。ところが自分が完全に守られて安全だという確信が持てないときには、既知のものにしか興味を示さない。
これは成人でも同じだ。

――一般に人は、自分の立場が安全だという確信が持てないと、新奇なものや高い目標に挑戦しなくなる。結果がわかり切っている平凡な仕事しかしなくなってしまうのだ。これは、成長しようとする企業には致命的だ――

注:ただし、※は「ジョン・ボウルビィ『母と子のアタッチメント―心の安全基地 』二木武監訳、医歯薬出版、1933」を参照しての記載
天外 伺郎著 『マネジメント革命 「燃える集団」を実現する「長老型」のススメ』講談社(2006年)P.48~49より

小さな子供が母親に対していだくような安心感という「セーフベース」があってはじめて、人は「全力疾走」や「冒険」が出来るのだといいます。

「セーフベース」という“和”があるからこそ、大きな挑戦を“楽”しむことができるのですね。

まるで文化祭!? 安心感のなかで、自由に能力を発揮するエンジニア

初期のソニーにあふれていた安心感や、そんな安心感のなかで仕事を楽しむ雰囲気が伝わってくる文章がソニーの公式ページ内「Sony History」の第2章「これだよ、我々のやるものは<日本初のテープレコーダー>」にもありましたので、ここで紹介しておきましょう。

テープレコーダーの開発の話ですので、天外さんがソニーに入社する前のエピソードです。

以下は、テープレコーダーの磁気テープの開発あたり、テープに塗る磁性体(細かい磁石の粉)を探し求め、必要な特性がでるような塗布方法を開発しているときの様子です。

とにかく粉は磁性があればよいというのでまず最初に、東京工業大学の加藤与五郎博士の発明したOPマグネットでやってみることにした。井深が、OPマグネットの棒状になった塊を持って来てくれた。これを、木原がすり鉢でゴリゴリ1時間ぐらいすりつぶして粉にした。それをちょうど鍵盤模写電信機(独で開発されたアルファベット文字電送機=ヘルシュライバー)に使っていた分厚い幅8mmの紙があったので、それに塗ってみることにした。「塗るといっても、何で塗ればいいんだろう」。いろいろ考えて、ご飯粒をすり潰し、それを糊にして塗ってみた。結果は、ザーザーというノイズが出るばかりで、音は出てこない。

 いろいろと文献を探り、やっとたどり着いたのが蓚酸(しゅうさん)第二鉄である。これを焼くとマグネ(酸化第二鉄)ができると本に書いてある。「これだ、これだ」。木原は、すぐさまこのことを皆に伝えた。しかし、終戦すぐの頃で、そんな薬品はどこにも売っていない。「じゃあ、俺も探しに行こう」と盛田が言って、手伝ってくれることになった。すぐさま、2人は電車に乗って神田の薬品問屋街に出かけた。盛田は、こういう時の行動が非常に素早い。散々探し回って、やっと1軒だけ売っている所を見つけた。試薬ビンを2ビン買い求め、さっそく社に帰って実験だ。
 乾溜(かんりゅう。この場合は、加熱して水分と炭酸ガスを取り去り酸化第二鉄を作る)するにも電気炉なんてものはない。炊事のおばさんからフライパンを借りて来て、蓚酸第二鉄の黄色い粉をしゃもじで炒る。色合いを見て、茶色くなるか黒くなるかというところまで焼いて、フライパンを水につけ反応を止める。茶色が酸化第二鉄、黒いのが四酸化鉄である。これ以上焼くと、空気中の酸素とますます結合して、金属を磨く時に使う紅殻(べんがら)になってしまう。色の頃合いを見計らって下ろすのは、木原の名人芸であった。

 こうして、粉(磁性粉)ができた。

[…中略…]

 さて粉はできたが、これを塗るのが問題だ。井深たちは、まだその頃は塗るという考えにとらわれていた。それなら塗装だ。塗装をするなら、スプレーガンだということになった。透明ラッカーに粉を溶かし、スプレーガンで、シューと吹き付ける。これでやるとほんのわずかに”音がするような気がする”程度の音が出る。しかし、スプレーガンだと紙の上にスプレーされるよりも、その周りに付くほうが多くて効率が悪い上、表面もザラザラしていて駄目だ。

 この実験を行ったのが、御殿山のバラック工場の隣に新設したばかりの”山の上工場”。ここには、まだ誰も引っ越しをしていない。テープを作るのには打ってつけの—広い上に、床がまっさらできれいだった—場所である。木原は、早くテープを作りたい一心で、その床の上にテープを張り付けスプレーをかけた。いっぺんで床は真っ黒けだ。樋口から大目玉を食らってしまった。

 そのうちに、井深が狸の胸毛の刷毛(はけ)が良いということを聞き込んできた。果たして、上野・松坂屋の近くの刷毛屋に行ったら、ちゃんと置いてある。大枚800円をはたいて買った。テープを室内に長く張り巡らし、刷毛を持って走りながら塗る。人間コーティングマシンだ。しかし、これもスプレーガンと大差なかった。
 さらにいろいろ実験を重ねていくうちに、テープの粉は細かいほうが良いというところに行き着いた。ところが、粉を細かくする技術というのが皆目見当がつかない。その頃の新聞にある化粧品会社の”おしろい”の広告がよく出ていた。その広告には顕微鏡写真が載っていて、自分の所の”おしろい”は、こんなに細かいのだ、他の会社の”おしろい”はこんなに大きいのだと大々的に宣伝している。

「これだ! ここに行けば細かい粉を作る技術を教えてもらえるに違いない」
 盛田は、紹介もなしにその化粧品会社の社長を訪ねて行った。
「実は、私どもでこんなものを作ろうとしています。”おしろい”を作る訳ではありませんので、どうか細かい”おしろい”を作る技術を公開していただけないでしょうか」
「お宅では、どのくらい細かい粉が欲しいのですか」
「3000メッシュ(メッシュ=ふるいの目の大きさを表す単位で、数字が大きいほど粉は細かい)か4000メッシュくらいの非常に細かい粉です」
 これには社長も大笑いだ。
「盛田さん、それはケタが違いますよ。あなたが思っているくらいに細かい”おしろい”を作ったら、女の人が顔にはたくと、軽すぎてみんなホコリになって飛んでしまって顔に付きゃあしませんよ」

棒磁石をすり鉢で粉にしたかと思うと、それをなんとご飯粒からつくった糊で紙テープに塗りつける。

良い薬品があるという情報を手に入れれば、今度は、薬品問屋街に飛んでいき、薬品を探し回る。さらに、その薬品を処理する装置がなければ、フライパンで試してみる。

磁性体の粉ができれば、いてもたってもいられず、新設したばかりの工場でさっそく塗ってみるものの、新しい工場を汚してしまう。

それがダメならと「狸の胸毛の刷毛(はけ)」を探したり、化粧品会社に乗り込んで社長に大笑いされたり……。

忙しさのなかにも、まるで文化祭の準備でもしているかのような、楽しげな雰囲気が伝わってきます。


なお、新設されたばかりの「山の上工場」を真っ黒にしてしまい「大目玉を食らってしまった」というエピソードが紹介されていますが、これなどは、まさに当時のソニーがどれだけ大きな安心感に包まれていたかを物語っているように感じます。

ちょっと画質は悪いですが、下の画像が「山の上工場」です。


ソニー(東京通信工業)で新設されたばかりの「山の上工場」―古い学校のような木造作りで、T字型の東京通信工業のロゴが印象的 画像:「新設された”山の上工場”」 by SONY


普通に考えれば、新しい工場を汚してしまえば、大目玉を食らうことくらいは、だれだって予想ができそうなものです。

にもかかわらず、新工場を汚してしまうリスクのある作業をやってしまえるというのは、強い安心感があったからに違いないでしょう。

また、それだけ早くものを作りたいワクワク感が強かったのだと思います。

もし普段から、細かいミスを見つけては鬼の首でも取ったかのように責め立てたり、低評価をつける材料を探している上司のもとでビクビクしていたとしたなら、なかなかこうはいかないでしょう。

チクセントミハイ博士の“フロー理論”と、“自由闊達にして愉快なる理想工場”

このような環境のなかで、当時のソニーは「フロー状態」に入っていたのだと天外さんは言います。

「フロー状態」というのは、時間も忘れるほどに何かに深く集中してるような状態のことをいいます。

フローとは、ある種の究極の“楽”だということもできるかもしれません。
技術に没頭し、のめり込むエンジニアを表すのにぴったりの表現です。


ではここで、天外さんが、このフロー理論の創始者であるチクセントミハイ博士と実際に会ったときのエピソードを紹介しましょう。

[※チクセントミハイ教授から天外さんへの発言:]「あなたが、フローを実地に応用して、次々に独創的な業績に結びつけていったのは、とてもすばらしいと思います。ぜひそれを体系化して本にまとめて下さい。私がお手伝いできることがあったら、何でも言って下さい。でも……」

教授は、ふと遠くへ目をやった。

「……この話を、このタイミングでソニーの役員から聞く、というのはすごいことです。強烈な共時性を感じます……」

[…中略…]

「今日の午後一番の私の講演はね、ソニー(注:正確には設立時の名称は、東京通信工業)の設立趣意書からはじるように、パワーポイントを用意してきたんだ」

「えっ?」

正直いって、そのときには、それが何を意味するか、私はつかみかねていた。

講演開始の時間がせまり、教授と別れ、会場に入って客席に座った。

そうと解っていても、実際にそれを見たとき、私は動揺を隠すことはできなかった。スクリーンに映し出されたのは、私の四〇年にわたる会社生活で、何千回となく目にしてきた、会社創立の目的の第一項目の英語版だった。

ソニー(東京通信工業)設立趣意書―真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設

教授は「自由闊達にして愉快なる」というところを強調した。

「これが、フローに入るコツなんです!」

[…中略…]

創業時のソニーが、会社中が「燃える集団」状態であり、「フロー」に入っていただろうことは、私も気づいていた。だからこそ、幾多の好運に支えられ、次々に革新的な技術をものにし、奇跡の成長をなしとげたのだ。「ソニーの神話」といわれる部分は、「フロー」抜きでは、まず絶対にあり得ないことだ。


注:ただし、※は引用者による追記
天外 伺郎著 『マネジメント革命 「燃える集団」を実現する「長老型」のススメ』講談社(2006年)P.63~65より

ソニー(東京通信工業)の「会社創立の目的※」の1項目目「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設※」。
(※ ただし、引用者により現代仮名遣いに変更。原文は上記参照)
ここで出てくる「燃える集団」という言葉は、「フロー」に入った集団のことをあらわしています。

(ただし、天外さんは「燃える集団」と「フロー」の「両者の特徴はきわめてよく似ている。」としながらも、タイムスパンや、「燃える集団」特有の特徴などの微妙な違いを示しています。<天外伺朗著 「教育の完全自由化宣言!」飛鳥新社(2008年)P.139~140より>詳しくは、「教育の完全自由化宣言! 」をお読みください。)

天外さん自身も、CD(コンパクト・ディスク)や、ワークステーションのNEWS、犬型ロボットのAIBOの開発の際に「燃える集団」を経験しているといいます。

そしてさらに、初期のソニーでは会社全体が「燃える集団」状態になっており、そのことこそが、ソニーの奇跡的な成長を可能にしたのだといいます。


ソニーの公式ページ内「Sony History」の第8章にも、次のように書かれています。
1958年の12月、いよいよソニーの株式は、東京株式第一部に上場銘柄として承認されることになった。これまでの業績、今後の将来性とも申し分ないとの評価を得たことになる。

 こうしてソニーが急激に成長を遂げたのは、井深の先見性とそれを助ける盛田の行動力、仕事を“道楽”にまでしてしまう技術陣、社長を信頼してついていった社員たちの会社を挙げてのチームワークの良さ、といったものが大きく貢献していたが、忘れてはならないのが、創立当初から、陰になり日向になって東通工をわが子のように可愛がってくれた経営陣である。

「ソニー神話」と“和楽”の循環

さてさて。ここで注目していただきたいのは、『「ソニーの神話」といわれる部分は、「フロー」抜きでは、まず絶対にあり得ない』という部分や『ソニーが急激に成長を遂げたのは[…中略…]、仕事を“道楽”にまでしてしまう技術陣[…中略…]が大きく貢献していた』という部分です。

これは、エンジニアたちの“楽”が、「神話」と形容されるほどの成長という成果にしっかりとつながっていたということを示しています。

私は、金銭的利益を第一とする考えに与するつもりはありませんし、「企業は経済的な成長を永遠に続けなければならない」という呪縛のなかにいるつもりもありません。

むしろ、人類の長い歴史のなかで、ここまで強く金銭的利益や、見境のない経済的成長(拡大)を続けることに固執している時代は、後にも先にも、現代だけなのではないかと思っているくらいです。

もちろん、未来のことはわかりません。もしかしたら、私たちはいつまでもその固執を続けようとするかもしれません。

しかし、もし私たちが今のままを続けることに執着するなら、やがて目を背け続けられないほどに、そのムリや問題点が表面化し、方向転換を余儀なくされるのではないかと私は思っています。

なぜならば、「札束で頬をたたく」ような原理でつくられた秩序は“取り繕った和”でしかありませんし、金銭的インセンティブが主導するような楽しさは“見せかけの楽”でしかないからです。


追記
こういったことについて、“秩序”という視点から総合的に考えられる記事を公開しました。
秩序の進化 ― 誰も犠牲にならない世界

もちろん、そんな問題が手の施しようがなくなる前に、方向転換ができれば、それに越したことはありません。

だからこそ、その方向転換に微力でも貢献したいというのが、私がこのサイトをやっている目的のひとつでもあります。


ただし、私は「お金」そのものに問題があるとは思っていません。

お金に対する強すぎる執着や、冷静さを欠いた思い込みこそが真の問題です。

(そもそも、お金に価値があるというのは、単なる思い込みに過ぎません)

ですから、少なくとも現代社会においては、お金そのものは、非常に価値のある有用なものと言って間違いないと思います。


だからこそ、エンジニアたちのフローが、成果につながることが重要なのです。

もし、エンジニアたちの“楽”が成果につながらず、お金を生まなければ、その企業はいずれ倒産することになります。

そんな状態では、上司が部下を「徹底的に信頼して受け入れる」などと言っている場合ではありません

部下の自主性だけに任せていたのでは倒産が免れない状況であれば、徹底的な指示命令による管理型マネジメントをせざるを得ない状況もあるかもしれません。(もちろん、数ある企業の中には本当に倒産した方が良い企業も少なくないのでしょうが)

実際、天外さんも、「信頼のマネジメント」を導入し部下が自由に動けるようにするための「ある宣言」を出してもいい企業の状態を厳しく定めています。なぜならば、そのレベルに達していない企業がその「宣言」をすることは、大きな危険をはらんでいるからです。<天外 伺郎著『非常識経営の夜明け 燃える「フロー」型組織が奇跡を生む 』講談社(2008年)P.57~58より>

エンジニアたちのフローが、確かな成果へとつながるからこそ、確固たる信頼の土壌が生まれるのです。

絶対的な信頼関係や安心感といった“和”が、技術に没頭するフローという“楽”に入ることができる土壌を生み出す。

そして、今度はその“楽”しさが、成果へとつながり、さらなる信頼という“和”を築きあげていく。


この“和が楽をもたらし、楽が和をもたらす”という循環を生み出すことが重要なのです。

ここでキーワードになるのは、この“循環”です。

「上司に内緒で物を作れ!」に見る“和楽”の循環

“和が楽をもたらし、楽が和をもたらす”

言葉で書いてしまえば、たったそれだけの単純な循環です。

しかし、“そうではない職場”を一度でも見たことがある人であれば、そんな雰囲気がどれほど貴重なものであるかが実感としてわかるはずです。

もちろん、そのころのソニーだって、100%完全に“和楽の循環”ができていたわけではないでしょう。

しかし、ここまでに引用してきた文章を読む限り、現在の一般的な企業に比べて、当時のソニーの“和楽度”は遥かに高かったのではないかと思えます。

だからこそ、当時のソニーは「神話」と形容されるほどの奇跡的成長を遂げることができたのだと思います。



ではここで、もう1つ、“和楽の循環”を伺わせる文章を引用してみましょう。

かつて、元気のよかった頃のソニーには、多くの格言が飛び交っていたが、その中のひとつにこんなのがあった。

――本当に面白いと思うアイディアを思いついたら、上司に内緒で物を作れ!――
「これは面白い」という感覚は、そのアイディアがユニークであるほど、言語で他人に伝えるのは困難だ。そんな無駄な努力をするより、内緒で物を作って、それを見せた方が早い、というのがその趣旨だ。

――健全な組織というのは、上司の権威など屁とも思わない部下と、そういう元気のいい部下を頼もしく思う上司から成り立っている――
そこに見られるのは、自由に発想し、自由に行動する部下と、その部下を包容する上司との信頼関係だ。多くの場合、その信頼関係は、上司の愛敬ある人間性に支えられていることを私は見てきた。
天外 伺郎著 『マネジメント革命 「燃える集団」を実現する「長老型」のススメ』講談社(2006年)P.129より

「上司の権威など屁とも思わない部下と、そういう元気のいい部下を頼もしく思う上司」

「自由に発想し、自由に行動する部下と、その部下を包容する上司との信頼関係」


強い信頼関係(“和”)のなかで、技術に没頭(“楽”)しているエンジニアたち。

そして、彼らがいかんなく能力を発揮(“楽”)し、結果的に目に見える成果につながることで、さらに強まるお互いの信頼感(“和”)

“和”が“楽”をもたらし、“楽”が“和”をもたらす。
そんな、“和”と“楽”が循環する関係が目に浮かんできます

(これは、【 秩序3.0 】以上の関係と言えます)

「上司に内緒で物を作れ!」 ― “和楽”がなければ大問題

もう少し詳しく説明しましょう。

上で紹介した「上司に内緒で物を作れ!」を実践するためには、当たり前のことながら、強い信頼関係が必要になります。

なぜならば、物を作るためには、当然、会社にある材料や治工具類、設備などを使用することになるでしょう。

それらを勝手に使うことは、言葉を換えれば、「会社の資産の無断使用」です。

もし業務時間内に行っていたなら、それは、ある意味では「勝手に休憩しているのと同じこと」と言われても仕方がありません。

上司の目の届かないところで、コソコソと物を作るとは、そういうことです。

それが許される背景に、信頼関係が必要なるのは当然のことなのです。

“循環の輪”が切れるとき

しかし、もしその信頼関係を悪用する人が多発したらどうでしょう?

会社の仕事とは本当にまったく関係のない私的な都合のために、会社の資産を使ってしまう人。必要な仕事をしないで、好きなことばかりやっている人。

そこらじゅうに、そんな人が現れ、必要な業務に支障がでてしまったような場合です。

これは、“見せかけの楽”に走ったばかりに、“和”が乱されてしまった状況と言えるでしょう。


そんな場合には、細かいルールをつくり、上司が厳しく部下を見張るなどの対応が必要になるかもしれません。

そうすれば、その職場には表面的な平穏が訪れるかもしれません。

(これは、【 秩序2.0 】以下の関係です。)


しかし、和を取り繕ったことで、同時に、“楽”も姿を消していくことになるかもしれません……。

【 参考記事 】

例えば、管理が厳しくなるほどに、それまでは仕事を楽しんで取り組んでいた人が、嫌々ながらも仕方なく仕事に取り組む傾向が強まるかもしれません。

ゲームが大好きな子供が、ゲームを嫌いになっていく過程」と同じことです。


そうして、嫌々ながらに仕事に取り組む部下たちを見ていれば、上司の部下に対する信頼感も揺らいでしまうこともあるでしょう。

“楽”が姿を消したことで、ますます“和”が乱れてしまったのです。

もはや、その雰囲気のなかでは、上司に隠れてコソコソと物作りなど望むべくもありません。
“和”が失われることで“楽”が失われ、“楽”が失われることで“和”が失われる。

まさに、“悪循環”としか言いようがありません。

サステナブル(持続可能)な“和楽”の循環

だから、“和”と“楽”の“循環”が大切なのです。

環境問題を考える中で、よく「サステナブル(持続可能)な循環型社会を目指そう!」というような標語が聞こえてきます。

しかし、“循環”が「サステナブル(持続可能)」をもたらしてくれるのは、なにも環境問題だけのはなしではありません。

海から蒸発した水が、山に降り、川を下り、海に戻るからこそ、地球は水の惑星でいられます。

美しい水辺

もし、蒸発した水が循環せず、どこかに行ったきりになってしまえば、地球は水の惑星ではいられなくなってしまうでしょう。

乾いてひび割れた大地

同じように、「“和”が“楽”をもたらし、“楽”が“和”をもたらす」という循環の輪があってはじめて、“和楽”が持続可能になります。

絶対的な信頼感という“和”を裏切って、和を乱す“見せかけの楽”に走れば、“和楽”の循環の輪は断ち切られ、悪循環の渦へと堕ちることになります。

もし、“和”や“楽”を望むなら、それらを循環させることが大切なのです。


循環は安定をもたらし、一方向への移動は変化をもたらします。そして、悪循環は停滞をもたらします。

あなたの生活と、和楽の輪

そして、このことは個人の人生にもあてはまります。

そう、あなたの人生にもあてはまるのです!

ここではソニーという会社を念頭に書きましたので、どうしても規模の大きな企業やエンジニアをイメージさせる文章になってしまいました。

しかし、このことがあてはまるのは、決してそんな狭い範囲に限ったことではありません。

大企業だけでなく、小さな零細企業にも、学校のクラスや、部活動のチームにも、それこそ個人の生活にだってあてはまるでしょう。

同様に、エンジニアにとっての技術だけでなく、パンを焼くのが好きな人にとってはパン作り、子供の面倒をみるのが好きな人にとっては保育や教育があてはまるかもしれません。

“和楽”から外れた生活

例えば、個人の生活だけに限って考えてみましょう。

もし、あなたが生活に余裕がなく安心感が感じられないとき、なんの打算的思考もなく、自分がすべきと思うことに全力疾走することはできますか?

あなたの“楽”が、あなたの現実的な生活との間にムリや不調和を生むのではないかと心配を感じているとき、あなたは“楽”を生きることができるでしょうか?

そんなときに、フロー状態に入り、時間も忘れるほどに何かに深く集中し没頭することに、大きな困難を感じるのではないでしょうか?


そんなときあなたは、もしかしたら、“和”が失われることで“楽”が失われ、“楽”が失われることで“和”が失われるという悪循環に陥ってしまうかもしれません。

例えば、明日への不安という不和から、あなたの“楽”を抑圧することを余儀なくされ、それがあなたの生活にイライラという、さらに“和”が乱れた状態を生み出してしまう。

そして今度は、そのイライラの代償に、一見簡単に自分を満たしてくれるように見えても、本当はあなたを満たすことができない“見せかけの楽”へと走ってしまい、その次は……。

ということもあるかもしれません。

まさに楽園!―“和楽”がめぐる日々

では逆に、あなたの生活に“和”と“楽”の循環の輪を成立させることができたらどうでしょう?

あなたの好きなこと、あなたの魂がときめくこと、あなたを時間を忘れるほどに深く没頭させてフローへと導いてくれることが、あなたの生活に、経済的な意味でもそれ以外の意味でも“和”をもたらしてくれるような場合です。

例えば、それが技術であれば、エンジニアや子供の科学教育などの分野で働くことかもしれません。

それがスポーツであれば、スポーツ選手になったり、スポーツ用品店や、その競技のファンが集まるためのカフェで働くということもあるでしょう。

もちろんこれは仕事だけの話ではなく、主婦(主夫)が自分の“楽”を、家族の“和”をもたらす方向に使うような場合もあるでしょう。

部活動の場や、趣味の活動だってかまいません。


平和で、心穏やかで、安心感あふれる“和”につつまれ、“楽”(らく)に、あなたを心から満たしてくれることを“楽”しむ毎日。

あなたの人生を、そんな毎日で暮らすことが出来たとしたら、どんなに素晴らしいことかと思いませんか?
まさに“楽園の生活”といってもいいかもしれません。

そして、それは「あなたを楽園に導くだけではなく、地球と人類を楽園へと導くこと」にすらつながります。

“和楽の輪”を成り立たせることの難しさ

しかし、“和楽の輪”を成り立たせるのが簡単ではないのもまた事実です。

あなたが、魂から満足できるような“楽”を生きようと思ったとき、問題が出てくることも少なくないでしょう。

例えば、経済的な問題、あなたがそれをすることを望んでいない人や、あなたに別のことをして欲しいと期待している人たちとの摩擦などがあるかもしれません。

(もちろん、そんなお金や人間関係の問題から、“楽”を抑圧して和を取り繕えば、別の問題が起きることは既に書いた通りです。)

もしここが、バラ色の楽園であれば、何も考えなくても、“和”につつまれ、ただただ“楽”に生きること当たり前かもしれません。

しかし、幸か不幸か、ここはまだ楽園ではありません。


かつては、あれほどまでに“和楽の輪”が綺麗にまわっていたソニーでさえ、天外さんによれば、今はそうではなくなってしまったといいます。

私たちのまわりを見ても、「“楽”をとるべきか?」「“和”をとるべきか?」の板挟みなってしまっている人は少なくありません。

“ソニー神話”から、“あなたの神話”へ

では、いったいどうすればいいのでしょうか?

もちろん、天外さんの本も参考になります。

しかし、天外さんの本は、組織に実質的に影響力のある指導的立場の人向けに書かれている本です。ですから、まずは指導層側が自分を成長させることが大切だと繰り返し説かれています。

その立場にある人は、是非、読んでみていただきたい本です。


しかし、その立場にいない人はどうすればいいのでしょうか?ただ指導層が変わるのを待つしかないのでしょうか?
そんなことはないはずです。

どんな立場の人にとっても、人生に“和楽の輪”を生み出すことはできるはずです。



当サイト“和楽の道”は、そのために存在しています。


宣伝になってしまいますが、現在無料公開中の物語「真実の人生」は、そのヒントを提供するために書かれたものです。

また、“和楽の道”の他の記事や、これから公開する記事も参考になると思います。

参考タグ:「“和”の実現」、「“楽”の実現


ここは楽園ではありませんから、普通にしていたのでは“和楽の輪”をつくりだすのは難しいかもしれません。

しかし、そんな環境だからこそ、“和楽の輪”をつくっていくことほど楽しいこともないのかもしれません。

「楽園」が「平“和”」で、「“楽”しい」のは当たり前のこと。“和楽の輪”が出来ていたって、なにも不思議なことはありません。「ありがたみ」も感じられないかもしれません。


だからこそ、いまだ“楽園”とは呼びがたい「水がめぐる」美しいこの惑星で、美しく「“和楽”がめぐる」毎日をつくっていきましょう。
そうすれば、やがて地球を楽園と呼べる日が来るでしょう。


美しい水の惑星―地球

決して不可能なことではありません。
その可能性は、井深さんをはじめとした“神話時代”のソニーの魂を知る人たちが見せてくれています。

よかった点は学び、反省点は教訓として、私たちも力強く“和楽の道”を歩いていきましょう。

あなたが、「新たな“楽園”を創造する物語」は、きっと新たなる“神話”として語り継がれることでしょう――。
<初めての方へ : 和楽の道について


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