「引き寄せ」なんて、思い込み!?―確証バイアスがつくる幻想【引き寄せシリーズ7】
ごめんなさい。実は……。
「引き寄せの法則」が存在するなんて、本当は、ただの思い込みでした………… 。
これまで、この「引き寄せの法則をちょっと科学的にシリーズ」では、いわゆる「引き寄せの法則」と呼ばれるような作用が、本当に、存在するだろうという主張を繰り返してきました。
しかし実は、後ほど詳しく説明する「確証バイアス」という考え方を使って考えると、いわゆる「引き寄せの法則」などというものは、「実は、単なる思い込みに過ぎないのだ」と主張できてしまうのです。
だって、考えてみてください。
これまで、このシリーズの記事では、あえて「引き寄せの法則が存在する証拠」となるような例だけを恣意的に集めてきました。
けれども、その気になれば「引き寄せの法則が存在しない証拠」だって、いくらでも集めることできるはずです。
例えば、「車なんて来てるわけがない」と信じて道に飛び出した結果、実際には事故にあってしまった人を考えてみてください。
その人は、本当に「自分は事故にあわない」と思っていたことでしょう。
だって、わざと事故にあおうとしたりでもしていない限り、「今飛び出したら車にぶつかるかも」と思ったら、普通は道に飛び出すようなことはしないはずです。
ということは、その人は「自分は絶対に事故にあわない」と信じていたにもかかわらず、実際には事故にあってしまったということです。
信じていることと真逆の現実を引き寄せてしまったのですから、これは、いわゆる「引き寄せの法則」と真逆の出来事がおこったということです。
「引き寄せの法則は存在する」と思いたくてその証拠を集めれば、引き寄せの法則があるように感じさせてくれる証拠を見つけることが出来るかもしれません。
けれども、引き寄せの法則が存在しないことを証明しようと思えば、いくらでも引き寄せの法則を否定する証拠を集めることができるのですね。
そう。「引き寄せの法則」なんて、ただの思い込みだったのです。
でも…………。
本当に、ただの思いこみなのでしょうか――?
Wikipediaでは、次のように説明されています。
難しく書かれていますが、簡単にいってしまえば、「こうに決まっている!」という結論ありきで証拠集めを始めると、その結論につながる証拠ばかりを集めてしまい、逆に、その結論につながらない証拠については無視してしまうような傾向のことですね。
今回の、引き寄せシリーズの場合で言えば、「引き寄せの法則は存在する」という結論ありきでスタートしてしまうと、「引き寄せの法則が存在する証拠」ばかりを集めてしまい、「引き寄せの法則が存在しない証拠」は無視してしまう傾向のことです。
さあ、これで「確証バイアス」という言葉の意味は大丈夫だと思います。
さっそく本題にはいっていきましょう、と、言いたいところですが。
ここで、もう1つ紹介しておきたい言葉があります。
有名な現象なので、説明は不要かもしれませんが、念のため説明しておきましょう。
プラシーボ効果とは、薬効成分の入っていないただの粉でも、薬だと思って飲めば、実際に薬のような効果がでてしまう現象のことです。
いわゆる「引き寄せの法則」との絡みで言うと、「このプラシーボ効果こそが、引き寄せの法則の証明だ」という意見も見かけることもあります。
「思い込みで病気が治ってしまうのなら、それは、まさに思考が現実化しているということだろう」という考え方ですね。
しかし私は、この考え方については、これ以上深く立ち入らないようにしようと思います。
なぜならば、プラシーボ効果は、必ずしも思い込みが原因で起こるわけではないのではないかという考え方もあるからです。
例えば、風邪をひいたような場合には、時間とともに免疫力で風邪が治っていくはずです。
つまり、偽薬(プラセボ)を与えて症状が改善したように見えるような場合でも、偽薬を与えたかどうかに関係なく、自己治癒力で治っただけの可能性もあるということですね。
(ちなみに、蛇足ではありますが、「風邪を治せる薬は存在しない」と言われています。薬は症状を抑えるだけで、風邪を治すのは免疫の作用だということですね。なので私は、ちょっとくらいの風邪では、薬は飲まないようにしています。)
もしそうであれば、偽薬を効果があると思い込んだから実際に効果があったのだと言うことは難しくなります。
このように、プラシーボ効果が起こる原因が、必ずしも思い込みによるものではない可能性もあるわけです。
(他にも、様々な例が『 誤用される「プラセボ効果」( 著者:lets_skeptic氏 )』という記事で紹介されていたので、気になる方は読んでみてください。そして、さらにそれに対して『『誤用される「プラセボ効果」』の誤用と「プラセボ効果」のそもそも論(著者:Mochimasa氏)』というような指摘もされているようです。なんにしても、この記事ではこれ以上プラシーボ効果には深入りしません。)
ですから私は、プラシーボ効果と引き寄せの法則の直接的な関係については、深入りしないようにしようと思います。
(ただ、私は、思い込みによってプラシーボ効果が発動することも否定したいわけでもありません。むしろ、根拠はありませんが、“思い”には体に影響を与える効果はあるだろうと直感的には感じています。けれども、説得力を持ってそれを説明できるだけの材料が私にはありませんので、ここでは触れないというだけです。)
新薬を開発した際に、その薬が本当に効果があるのかを確認するために、実験が必要になります。
そして、そのような実験は「二重盲検法」という方法を使って行うのが一般的だそうです。
どういうことかと言うと、治験に参加する被験者にも、その被験者を観察する研究者にも、誰に本物の薬を与えて、誰に偽薬を与えているのかをわからないようにして実験をするということです。
なぜこのような面倒なことをするのでしょうか?
たとえば、被験者全員に実験したい本当の薬だけを与えたとしたらどうしょう?
もし、本当はその新薬は失敗作で効果がないものだったとしても、上で紹介したプラシーボ効果によって、本当に効果があるかのように見えてしまう可能性があります。
これを防ぐために、本当の薬を与える人と、偽薬を与える人が必要になるのですね。
偽薬を与えられた人たちよりも、本当の薬を与えられた人たちの方が明らかに良くなっていれば、その薬はプラシーボ効果以上の効果をもっているのだと予想することができます。
ただし、偽薬を与えられたグループの人たちが、「自分は偽の薬を飲んでいるだけだ」と自覚してしまっていたら、(プラシーボ効果のメカニズムが「思い込み」によって発動するものだと仮定すれば、)プラシーボ効果は起こらないはずです。
これではわざわざ偽薬を与えるグループを設ける意味がありませんから、薬を飲む本人たちには、自分が何を飲んでいるかを伏せておく必要があるのですね。
では、これで十分かと言うと、ここでもう一つ問題が起こります。
それは、実験に参加した被験者を観察する実験者側で起こります。
例えば、「今回の薬は絶対に効くぞ!」と思っている実験者の人がいたとします。
すると、先ほど紹介した確証バイアスの作用によって、本物の薬を与えられているグループに見られた改善効果を過大評価して、偽薬を与えられているグループで起きた改善効果を過小評価してしまう心理がはたらくかもしれません。
あるいは、「今回の薬は、きっと失敗作だよな……。」と思って実験を観察していれば、それを裏付けるような色眼鏡を通して実験を見てしまうこともあるでしょう。
このように、ついつい、(悪意はなかったとしても無意識的に)自分の思い込みや欲しい結論に合った証拠ばかりを集めてしまい、それに反する証拠は無視してしまうことがあるのですね。
教育機関で学術的な訓練を受けたような研究者であっても、出来ごとを中立的に見ることができずに、自分の思い込みで解釈してしまうことがあるのです。
これが、観察者バイアスです。
(これは、上で説明した「確証バイアス」が観察者に働いたバージョンだと言っても大きな間違いではないと思いますので、以降は、「観察者バイアス」のことも含めて「確証バイアス」と呼ぼうと思います。)
このことは、別の記事で説明した「カクテルパーティー効果(選択的注意)」の作用から解釈することもできます。
「ムーンウォークするクマ」の動画を思い出してください。
(参考:人生はチャンスの連続!―カクテルパーティー効果と選択的注意)
この動画で、白チームに意識を向ければ、黒いものが見えなくなってしまうのと同じように、「データを誤魔化してやろう!」という悪意がなかったとしても、無意識に、自分の都合のいいデータばかりを見つけてしまうことがあるのですね。
あるいは、自分が信じていた結果が出なかったり、都合の悪い結果が出てしまうと「認知的不協和」が起こってしまうので、それを回避するために、無意識的に都合のいい結果ばかりを集めてしまうのだと解釈することもできます。
(参考:『恥ずかしい服装』の不思議―認知的不協和とセルフイメージから考える)
だから、実験を見守る観察者自身も、だれが本当の薬を飲んでいて、だれが偽薬を飲んでいるのかを知らない状態で実験を観察する必要があるのです。
(ここまでの説明は「プラシーボ効果」や「認知バイアス」について説明する意図で書いたもので、決して、二重盲検法による治験(現在の医療や製薬)のあり方が完璧なものだと主張したいのではありません。かと言って西洋医学を否定したいわけでもなく、私自身は、必要に応じて、西洋医学や、東洋医学的な考え方のお世話になっています。よく「西洋医学 VS 東洋医学」のような対立論(“綱引き”)を見かけることがありますが、東洋医学と西洋医学も、縄を綯うような関係を築ければいいのになと思います。以上、蛇足でした。)
これまで、この「引き寄せの法則をちょっと科学的にシリーズ」では、いわゆる引き寄せの法則に当てはまるような様々な例をあげてきました。
この「引き寄せの法則をちょっと科学的にシリーズ」は、「引き寄せの法則と呼ばれるような力は存在する」という主張をするために書かれています。
ということは、その記事を書いている私には、「引き寄せの法則は存在する」という確証バイアスがはたらいていたということはないでしょうか?
つまり、無意識的に、「引き寄せの法則は存在する」ことを裏付けてくれる証拠ばかりを集め、「引き寄せの法則が存在しない」ことの証拠は無視してしまっていた可能性があるのではないだろうかということです。
残念ながら、私は、それを認めざるをえません。
上にあげた参考記事では、「いわゆる引き寄せの法則と呼ばれるような作用が、本当に存在しそうな証拠」ばかりを集めてきました。
しかし、その気になれば、引き寄せの法則を否定する証拠も、いくらでも見つけることができます。
この記事の最初に書いた、「車が来ていない」と確信して道を渡ったにもかかわらず、事故にあってしまったというのは、そのよい例ですね。
「自分は大丈夫だ」と思って道を渡ったのに事故にあってしまったのですから、「思考」と「現実」が真逆になってしまっています。
これは、明らかに引き寄せの法則に反しているように見えてしまいます。
他にも、「ウチに限って火事になるわけがない」と思って火の用心を怠ったらどうでしょう?
極端な話ですが、「自分は好かれている」と信じこんで、相手が嫌がっているのにしつこく付きまとうストーカー行為をはたらいたような場合にはどうでしょうか?
「自分は好かれている」という想いが現実になる方向の力がはたらくでしょうか?
それとも、「自分は好かれている」という想いとは裏腹に、嫌われてしまうでしょうか?
このように考えると、いわゆる引き寄せの法則が成り立たないように見えてしまうことも、たくさんあるように思えてしまいます。
これまで、この「引き寄せの法則をちょっと科学的にシリーズ」で紹介してきた例は、引き寄せの法則が成り立つように見えるものばかりを紹介していたのですね。
さあ、いかがでしょうか……?
あなたは、それでもまだ、引き寄せの法則を信じますか?
それとも、ただのインチキだと思いますか?
ここで一旦、今、あなたが感じていることや、頭の中を駆け巡っている思考に意識を向けてください。
今、あなたは何を感じていますか?そして、なにを考えていますか?
それを、あなたの記憶にとどめたら、この先を読み進めてみてください。
もしかしたら、「確かに、引き寄せなんて、ただのインチキだよな。そんなうまい話があるわけないと思ってたんだよ~。」と思われたかもしれません。
あるいは、「いや、そんなはずはない。引き寄せの法則はきっと存在するに違いない!」と思われたかもしれません。
さあ、この引き寄せ肯定論と否定論。
正しいのは、いったいどちらなのでしょうか?
私の答えは、「どちらも間違いではない」です。
例えば、引き寄せ否定論者は、この記事でも紹介したような例を使って
一方で、引き寄せ肯定論者は、「いやいや、違うんですよ。」と次のように反論するかもしれません。
ここでは、そのどちらが正しいのかについては、あまり考えないことにします。
そんなことよりも、ここで、是非、気がついていただきたい事実があります。
それは、いったい何だと思いますか……?
確かに、引き寄せ肯定論者も否定論者も、「自分の中での結論」を裏付けてくれる証拠や理屈ばかりをさがし、「自分の中での結論」を「自分の理屈の世界で強化」していますね。
まさに、確証バイアスの説明通りのことが起こっているのです。
私は、この記事の冒頭で次のようなことを書きました。
実は、これがポイントなのです。
「引き寄せの法則がある」と思えば、その人が体験する世界は「引き寄せの法則が存在する世界」として構築されて、「ない」と思っていれば「引き寄せの法則が存在しない世界」を体験することになります。
そう、「引き寄せの法則なんて、存在しない」と信じれば、「引き寄せの法則が存在しない(ことを体験できる)世界」を「引き寄せる」ことができるのです。
同じように、「間違いなく引き寄せの法則は存在する」と信じている人は、「引き寄せの法則が存在している(ことを体験できる) 世界」を「引き寄せて」いるのですね。
先ほど、あなたの頭の中を駆け巡る思考を観察してもらったときにも、それが起こっていたはずです。
そうではありませんでしたか?
つまり、「引き寄せの法則は存在するのか?」、「存在しないのか?」という対立(“綱引き”)を超えた視点から俯瞰すると、「引き寄せの法則」すらも引き寄せてしまう作用が存在しているということです。
そして、この作用からは、製薬の研究に携わるような、高い教育と訓練を受けた人でさえ、逃れることができません。
それは、私も、そしてあなたも、例外ではないでしょう。
もちろん、訓練を積んだ人ほど、自分の思考を点検する能力は高まるだろうとは思います。それでも、完全に「確証バイアス」から逃れることはできないでしょう。
もし逃れることが出来るなら、二重盲検法(被験者にも、観察者にも、本物の薬と偽薬が誰に与えられているのかを伏せる)などのような面倒な実験方法をわざわざやる人は、誰もいなくなってしまうはずです。
私たちは誰でも、私たち自身の信念によって、「引き寄せの法則」すらも「引き寄せ」てしまうほどの「引き寄せの作用」を発揮しているのですね。
さあ、これで、この「引き寄せの法則をちょっと科学的にシリーズ」も、もう7回目になりました。
次回は、これまで紹介してきた作用が、私たちの人生に、いったいどのように影響を与えているのかを実例をもとに考えていきたいと思います。
<初めての方へ : 和楽の道について >「引き寄せの法則」が存在するなんて、本当は、ただの思い込みでした………… 。
これまで、この「引き寄せの法則をちょっと科学的にシリーズ」では、いわゆる「引き寄せの法則」と呼ばれるような作用が、本当に、存在するだろうという主張を繰り返してきました。
しかし実は、後ほど詳しく説明する「確証バイアス」という考え方を使って考えると、いわゆる「引き寄せの法則」などというものは、「実は、単なる思い込みに過ぎないのだ」と主張できてしまうのです。
だって、考えてみてください。
これまで、このシリーズの記事では、あえて「引き寄せの法則が存在する証拠」となるような例だけを恣意的に集めてきました。
けれども、その気になれば「引き寄せの法則が存在しない証拠」だって、いくらでも集めることできるはずです。
例えば、「車なんて来てるわけがない」と信じて道に飛び出した結果、実際には事故にあってしまった人を考えてみてください。
その人は、本当に「自分は事故にあわない」と思っていたことでしょう。
だって、わざと事故にあおうとしたりでもしていない限り、「今飛び出したら車にぶつかるかも」と思ったら、普通は道に飛び出すようなことはしないはずです。
ということは、その人は「自分は絶対に事故にあわない」と信じていたにもかかわらず、実際には事故にあってしまったということです。
信じていることと真逆の現実を引き寄せてしまったのですから、これは、いわゆる「引き寄せの法則」と真逆の出来事がおこったということです。
「引き寄せの法則は存在する」と思いたくてその証拠を集めれば、引き寄せの法則があるように感じさせてくれる証拠を見つけることが出来るかもしれません。
けれども、引き寄せの法則が存在しないことを証明しようと思えば、いくらでも引き寄せの法則を否定する証拠を集めることができるのですね。
そう。「引き寄せの法則」なんて、ただの思い込みだったのです。
でも…………。
本当に、ただの思いこみなのでしょうか――?
確証バイアスとは?―思い込みの心理
では、まずここで、先ほど新しく登場した「確証バイアス」という言葉について説明しておきましょう。Wikipediaでは、次のように説明されています。
確証バイアス(かくしょうバイアス、英: Confirmation bias)とは、認知心理学や社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと[1]。認知バイアスの一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている[2]。
[1]箱田, 裕司、都築, 誉史、川畑, 秀明、萩原, 滋 『認知心理学』 有斐閣〈New Liberal Arts Selection〉、東京都千代田区神田神保町2丁目17番地、2013年(原著2010年6月30日)、初版第3刷。全国書誌番号:21798636。ISBN 978-4-641-05374-8。
[2]カーネマン, ダニエル 『ファスト&スロー あなたの意志はどのように決まるか?』下巻、村井章子訳、早川書房〈ハヤカワ・ノンフィクション文庫〉、東京都千代田区神田多町2-2、2014年6月20日。全国書誌番号:22433145。ISBN 978-4-15-050411-3。OCLC 882065786。ASIN 4150504113。Wikipedia 「確証バイアス(2015年9月3日 (木) 17:12版)」より
難しく書かれていますが、簡単にいってしまえば、「こうに決まっている!」という結論ありきで証拠集めを始めると、その結論につながる証拠ばかりを集めてしまい、逆に、その結論につながらない証拠については無視してしまうような傾向のことですね。
今回の、引き寄せシリーズの場合で言えば、「引き寄せの法則は存在する」という結論ありきでスタートしてしまうと、「引き寄せの法則が存在する証拠」ばかりを集めてしまい、「引き寄せの法則が存在しない証拠」は無視してしまう傾向のことです。
さあ、これで「確証バイアス」という言葉の意味は大丈夫だと思います。
さっそく本題にはいっていきましょう、と、言いたいところですが。
ここで、もう1つ紹介しておきたい言葉があります。
プラシーボ効果とは?―“効かない薬”が、なぜか効く。
あなたは「プラシーボ効果(偽薬効果、プラセボ効果)」という言葉を聞いたことがありますか?有名な現象なので、説明は不要かもしれませんが、念のため説明しておきましょう。
プラシーボ効果とは、薬効成分の入っていないただの粉でも、薬だと思って飲めば、実際に薬のような効果がでてしまう現象のことです。
偽薬効果(ぎやくこうか)、プラセボ効果(プラシーボ効果)とは、偽薬を処方しても、薬だと信じ込む事によって何らかの改善がみられる事を言う。この改善は自覚症状に留まらず、客観的に測定可能な状態の改善として現われることもある。
Wikipedia 「偽薬(2015年10月12日 (月) 04:00版)」より
いわゆる「引き寄せの法則」との絡みで言うと、「このプラシーボ効果こそが、引き寄せの法則の証明だ」という意見も見かけることもあります。
「思い込みで病気が治ってしまうのなら、それは、まさに思考が現実化しているということだろう」という考え方ですね。
しかし私は、この考え方については、これ以上深く立ち入らないようにしようと思います。
なぜならば、プラシーボ効果は、必ずしも思い込みが原因で起こるわけではないのではないかという考え方もあるからです。
例えば、風邪をひいたような場合には、時間とともに免疫力で風邪が治っていくはずです。
つまり、偽薬(プラセボ)を与えて症状が改善したように見えるような場合でも、偽薬を与えたかどうかに関係なく、自己治癒力で治っただけの可能性もあるということですね。
(ちなみに、蛇足ではありますが、「風邪を治せる薬は存在しない」と言われています。薬は症状を抑えるだけで、風邪を治すのは免疫の作用だということですね。なので私は、ちょっとくらいの風邪では、薬は飲まないようにしています。)
もしそうであれば、偽薬を効果があると思い込んだから実際に効果があったのだと言うことは難しくなります。
このように、プラシーボ効果が起こる原因が、必ずしも思い込みによるものではない可能性もあるわけです。
(他にも、様々な例が『 誤用される「プラセボ効果」( 著者:lets_skeptic氏 )』という記事で紹介されていたので、気になる方は読んでみてください。そして、さらにそれに対して『『誤用される「プラセボ効果」』の誤用と「プラセボ効果」のそもそも論(著者:Mochimasa氏)』というような指摘もされているようです。なんにしても、この記事ではこれ以上プラシーボ効果には深入りしません。)
ですから私は、プラシーボ効果と引き寄せの法則の直接的な関係については、深入りしないようにしようと思います。
(ただ、私は、思い込みによってプラシーボ効果が発動することも否定したいわけでもありません。むしろ、根拠はありませんが、“思い”には体に影響を与える効果はあるだろうと直感的には感じています。けれども、説得力を持ってそれを説明できるだけの材料が私にはありませんので、ここでは触れないというだけです。)
プラシーボ効果と二重盲検法 ― 認知バイアスに騙されるな!
引き寄せの法則との関係に触れるつもりがないなら、いったいなぜプラシーボ効果に触れたのかというと、それは薬の効果の実験方法について触れたかったからです。新薬を開発した際に、その薬が本当に効果があるのかを確認するために、実験が必要になります。
そして、そのような実験は「二重盲検法」という方法を使って行うのが一般的だそうです。
二重盲検法(にじゅうもうけんほう、英: Double blind test)とは、特に医学の試験・研究で、実施している薬や治療法などの性質を、医師(観察者)からも患者からも不明にして行う方法である。プラセボ効果や観察者バイアスの影響を防ぐ意味がある。この考え方は一般的な科学的方法としても重要であり、人間を対象とする心理学、社会科学や法医学などにも応用されている。
行為の性質を対象である人間(患者)から見て不明にして行う試験・研究の方法を、単盲検法という。これにより真の薬効をプラセボ効果(偽薬であってもそれを薬として期待することで効果が現れる)と区別することを期待する。しかしこの方法では観察者(医師)には区別がつくので、観察者が無意識であっても薬効を実際より高くまたは低く評価する可能性(観察者バイアス)や、患者に薬効があるかどうかのヒントを無意識的に与えてしまう可能性が排除できない。そこでこれをも防ぐために、観察者からもその性質を不明にする方法が二重盲検法である。
Wikipedia 「二重盲検法(2015年9月23日 (水) 04:31版)」より
どういうことかと言うと、治験に参加する被験者にも、その被験者を観察する研究者にも、誰に本物の薬を与えて、誰に偽薬を与えているのかをわからないようにして実験をするということです。
なぜこのような面倒なことをするのでしょうか?
たとえば、被験者全員に実験したい本当の薬だけを与えたとしたらどうしょう?
もし、本当はその新薬は失敗作で効果がないものだったとしても、上で紹介したプラシーボ効果によって、本当に効果があるかのように見えてしまう可能性があります。
これを防ぐために、本当の薬を与える人と、偽薬を与える人が必要になるのですね。
偽薬を与えられた人たちよりも、本当の薬を与えられた人たちの方が明らかに良くなっていれば、その薬はプラシーボ効果以上の効果をもっているのだと予想することができます。
ただし、偽薬を与えられたグループの人たちが、「自分は偽の薬を飲んでいるだけだ」と自覚してしまっていたら、(プラシーボ効果のメカニズムが「思い込み」によって発動するものだと仮定すれば、)プラシーボ効果は起こらないはずです。
これではわざわざ偽薬を与えるグループを設ける意味がありませんから、薬を飲む本人たちには、自分が何を飲んでいるかを伏せておく必要があるのですね。
では、これで十分かと言うと、ここでもう一つ問題が起こります。
それは、実験に参加した被験者を観察する実験者側で起こります。
例えば、「今回の薬は絶対に効くぞ!」と思っている実験者の人がいたとします。
すると、先ほど紹介した確証バイアスの作用によって、本物の薬を与えられているグループに見られた改善効果を過大評価して、偽薬を与えられているグループで起きた改善効果を過小評価してしまう心理がはたらくかもしれません。
あるいは、「今回の薬は、きっと失敗作だよな……。」と思って実験を観察していれば、それを裏付けるような色眼鏡を通して実験を見てしまうこともあるでしょう。
このように、ついつい、(悪意はなかったとしても無意識的に)自分の思い込みや欲しい結論に合った証拠ばかりを集めてしまい、それに反する証拠は無視してしまうことがあるのですね。
教育機関で学術的な訓練を受けたような研究者であっても、出来ごとを中立的に見ることができずに、自分の思い込みで解釈してしまうことがあるのです。
これが、観察者バイアスです。
(これは、上で説明した「確証バイアス」が観察者に働いたバージョンだと言っても大きな間違いではないと思いますので、以降は、「観察者バイアス」のことも含めて「確証バイアス」と呼ぼうと思います。)
このことは、別の記事で説明した「カクテルパーティー効果(選択的注意)」の作用から解釈することもできます。
「ムーンウォークするクマ」の動画を思い出してください。
(参考:人生はチャンスの連続!―カクテルパーティー効果と選択的注意)
この動画で、白チームに意識を向ければ、黒いものが見えなくなってしまうのと同じように、「データを誤魔化してやろう!」という悪意がなかったとしても、無意識に、自分の都合のいいデータばかりを見つけてしまうことがあるのですね。
あるいは、自分が信じていた結果が出なかったり、都合の悪い結果が出てしまうと「認知的不協和」が起こってしまうので、それを回避するために、無意識的に都合のいい結果ばかりを集めてしまうのだと解釈することもできます。
(参考:『恥ずかしい服装』の不思議―認知的不協和とセルフイメージから考える)
だから、実験を見守る観察者自身も、だれが本当の薬を飲んでいて、だれが偽薬を飲んでいるのかを知らない状態で実験を観察する必要があるのです。
(ここまでの説明は「プラシーボ効果」や「認知バイアス」について説明する意図で書いたもので、決して、二重盲検法による治験(現在の医療や製薬)のあり方が完璧なものだと主張したいのではありません。かと言って西洋医学を否定したいわけでもなく、私自身は、必要に応じて、西洋医学や、東洋医学的な考え方のお世話になっています。よく「西洋医学 VS 東洋医学」のような対立論(“綱引き”)を見かけることがありますが、東洋医学と西洋医学も、縄を綯うような関係を築ければいいのになと思います。以上、蛇足でした。)
「引き寄せ」は、「確証バイアス」がつくりだす思い込み?
さて。長々と、確証バイアスについて書いてきましたが、この確証バイアスと引き寄せの法則にはどのような関係があるのでしょうか?これまで、この「引き寄せの法則をちょっと科学的にシリーズ」では、いわゆる引き寄せの法則に当てはまるような様々な例をあげてきました。
【 参考記事 】<引き寄せの法則をちょっと科学的にシリーズ」 のこれまでの記事>
- 「引き寄せの法則」について、ちょっとだけ科学的に考えてみる
- メンタルトレーニングの方法論が教える、能力を“出し切る人”と“空回りする人”の違い
- 手が勝手に動き出す!?想像と意志の不思議な関係
- 監獄の中で、あなたは…。スタンフォード監獄実験とセルフイメージから考える
- 『恥ずかしい服装』の不思議―認知的不協和とセルフイメージから考える
- 人生はチャンスの連続!―カクテルパーティー効果と選択的注意
この「引き寄せの法則をちょっと科学的にシリーズ」は、「引き寄せの法則と呼ばれるような力は存在する」という主張をするために書かれています。
ということは、その記事を書いている私には、「引き寄せの法則は存在する」という確証バイアスがはたらいていたということはないでしょうか?
つまり、無意識的に、「引き寄せの法則は存在する」ことを裏付けてくれる証拠ばかりを集め、「引き寄せの法則が存在しない」ことの証拠は無視してしまっていた可能性があるのではないだろうかということです。
残念ながら、私は、それを認めざるをえません。
上にあげた参考記事では、「いわゆる引き寄せの法則と呼ばれるような作用が、本当に存在しそうな証拠」ばかりを集めてきました。
しかし、その気になれば、引き寄せの法則を否定する証拠も、いくらでも見つけることができます。
この記事の最初に書いた、「車が来ていない」と確信して道を渡ったにもかかわらず、事故にあってしまったというのは、そのよい例ですね。
「自分は大丈夫だ」と思って道を渡ったのに事故にあってしまったのですから、「思考」と「現実」が真逆になってしまっています。
これは、明らかに引き寄せの法則に反しているように見えてしまいます。
他にも、「ウチに限って火事になるわけがない」と思って火の用心を怠ったらどうでしょう?
極端な話ですが、「自分は好かれている」と信じこんで、相手が嫌がっているのにしつこく付きまとうストーカー行為をはたらいたような場合にはどうでしょうか?
「自分は好かれている」という想いが現実になる方向の力がはたらくでしょうか?
それとも、「自分は好かれている」という想いとは裏腹に、嫌われてしまうでしょうか?
このように考えると、いわゆる引き寄せの法則が成り立たないように見えてしまうことも、たくさんあるように思えてしまいます。
これまで、この「引き寄せの法則をちょっと科学的にシリーズ」で紹介してきた例は、引き寄せの法則が成り立つように見えるものばかりを紹介していたのですね。
さあ、いかがでしょうか……?
あなたは、それでもまだ、引き寄せの法則を信じますか?
それとも、ただのインチキだと思いますか?
ここで一旦、今、あなたが感じていることや、頭の中を駆け巡っている思考に意識を向けてください。
今、あなたは何を感じていますか?そして、なにを考えていますか?
それを、あなたの記憶にとどめたら、この先を読み進めてみてください。
引き寄せ「肯定論者」と「否定論者」のやりとり
あなたの頭の中には、どんな考えが浮かびましたか?もしかしたら、「確かに、引き寄せなんて、ただのインチキだよな。そんなうまい話があるわけないと思ってたんだよ~。」と思われたかもしれません。
あるいは、「いや、そんなはずはない。引き寄せの法則はきっと存在するに違いない!」と思われたかもしれません。
さあ、この引き寄せ肯定論と否定論。
正しいのは、いったいどちらなのでしょうか?
私の答えは、「どちらも間違いではない」です。
例えば、引き寄せ否定論者は、この記事でも紹介したような例を使って
- 「自分は事故にあわない」と信じて道に飛び出した方が、かえって事故にあいやすくなる。
- 「ウチは大丈夫」と思って火の用心を怠れば、かえって火事になりやすくなる。
- 「自分は好かれてる」と思い込んでストーカー行為を繰り返せば、かえって嫌われてしまう。
一方で、引き寄せ肯定論者は、「いやいや、違うんですよ。」と次のように反論するかもしれません。
- 事故にあってしまったのは、「自分を大切にするセルフイメージ」が不足していたから、注意を怠ってしまって、結果的に事故にあいやすい現実を引き寄せてしまったのですよ。
- 火事にしても同じことで、家や家族を大切にする想いが足りていなければ、当然、火事を引き寄せやすくなりますよね?
- ストーカーになってしまった人の場合は、本当に心の底から「自分が好かれている」と心底信じていたなら、ストーカーなんてしないで、普通に接するはずです。ストーカーをするような場合には、「普通に接しても相手にされない」という思いが心の底にあるでしょうから、それが現実になったのでしょうね。それに、相手がいる場合には、当然、その相手の人も何かを引き寄せているわけですから、一概には何とも言うことができませんね。
ここでは、そのどちらが正しいのかについては、あまり考えないことにします。
そんなことよりも、ここで、是非、気がついていただきたい事実があります。
それは、いったい何だと思いますか……?
「引き寄せの法則」すらも「引き寄せ」てしまう作用
それは、引き寄せ否定論者は“ 「引き寄せの法則なんて存在しない」と実感できる世界”を自分の世界としてつくりだし、肯定論者は“ 「引き寄せの法則は、たしかに存在する」と実感できる世界”を自分の世界としてつくりだしているということです。確かに、引き寄せ肯定論者も否定論者も、「自分の中での結論」を裏付けてくれる証拠や理屈ばかりをさがし、「自分の中での結論」を「自分の理屈の世界で強化」していますね。
まさに、確証バイアスの説明通りのことが起こっているのです。
私は、この記事の冒頭で次のようなことを書きました。
そう。「引き寄せの法則」なんて、ただの思い込みだったのです。
実は、これがポイントなのです。
「引き寄せの法則がある」と思えば、その人が体験する世界は「引き寄せの法則が存在する世界」として構築されて、「ない」と思っていれば「引き寄せの法則が存在しない世界」を体験することになります。
そう、「引き寄せの法則なんて、存在しない」と信じれば、「引き寄せの法則が存在しない(ことを体験できる)世界」を「引き寄せる」ことができるのです。
同じように、「間違いなく引き寄せの法則は存在する」と信じている人は、「引き寄せの法則が存在している(ことを体験できる) 世界」を「引き寄せて」いるのですね。
先ほど、あなたの頭の中を駆け巡る思考を観察してもらったときにも、それが起こっていたはずです。
そうではありませんでしたか?
つまり、「引き寄せの法則は存在するのか?」、「存在しないのか?」という対立(“綱引き”)を超えた視点から俯瞰すると、「引き寄せの法則」すらも引き寄せてしまう作用が存在しているということです。
そして、この作用からは、製薬の研究に携わるような、高い教育と訓練を受けた人でさえ、逃れることができません。
それは、私も、そしてあなたも、例外ではないでしょう。
もちろん、訓練を積んだ人ほど、自分の思考を点検する能力は高まるだろうとは思います。それでも、完全に「確証バイアス」から逃れることはできないでしょう。
もし逃れることが出来るなら、二重盲検法(被験者にも、観察者にも、本物の薬と偽薬が誰に与えられているのかを伏せる)などのような面倒な実験方法をわざわざやる人は、誰もいなくなってしまうはずです。
私たちは誰でも、私たち自身の信念によって、「引き寄せの法則」すらも「引き寄せ」てしまうほどの「引き寄せの作用」を発揮しているのですね。
さあ、これで、この「引き寄せの法則をちょっと科学的にシリーズ」も、もう7回目になりました。
次回は、これまで紹介してきた作用が、私たちの人生に、いったいどのように影響を与えているのかを実例をもとに考えていきたいと思います。
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