「令和」の始まり―新時代の『プログラム』を起動せよ!
先日発表された、新元号「令和」のスタートが、いよいよ目前に迫ってきました。
世間では、「令和の本当の意味は○○だ!」「こんな意味が隠されている!」というような記事が乱立しています。
しかし私は、「本当の意味」「隠された意味」などというものに、あまり囚われない方がいいと考えています。
あえて過激な言い方をしますが、「そんなことに囚われる発想は、旧時代に置いていってください」と言いたいと思います。
元号改正という、一大イベント。
これを、あなたにとってより役に立つイベントにするためには、誰かが解説した「令和」の意味などに囚われている場合ではないのです。
もちろん、強制はしません。
(後でわかると思いますが、これが、とても重要なポイントです。)
強制はしませんが、もしあなたが望むのであれば、この記事で解説する内容を試してみて欲しいのです。
詳しいことは、これから解説していきましょう。
ここで、少しだけお知らせです。
こんにちは。わらくです。
今回は、普段とは少しテイストを変えた記事を書いてみたいと思います。
これまでの記事(記事カテゴリの記事)は、やや教科書的な感じで、“和楽の道”で扱いたいテーマの基礎知識を共有することを目的に書いていました。
なので、
しかし、秩序レベルについての記事を書いたあたりで、より発展的なテーマについて書くための前提知識を共有するための記事は、ある程度まとまってきました。
そこで、これからは上記のような軽い記事も少しづつ書いていきたいと思っています。
このような軽い話題は、新しく「コラムのカテゴリ」をつくって書いていこうと思います。
記念すべき第一回は、新元号「令和」についての記事でスタートしたいと思います。
こんにちは。わらくです。
今回は、普段とは少しテイストを変えた記事を書いてみたいと思います。
これまでの記事(記事カテゴリの記事)は、やや教科書的な感じで、“和楽の道”で扱いたいテーマの基礎知識を共有することを目的に書いていました。
なので、
- 時事ネタ・ニュースのような時間がたつと古くなってしまうテーマ
- 知識を伝えることよりも、読者さんとの交流をメインにした記事
- 比較的かるい話題
しかし、秩序レベルについての記事を書いたあたりで、より発展的なテーマについて書くための前提知識を共有するための記事は、ある程度まとまってきました。
そこで、これからは上記のような軽い記事も少しづつ書いていきたいと思っています。
このような軽い話題は、新しく「コラムのカテゴリ」をつくって書いていこうと思います。
記念すべき第一回は、新元号「令和」についての記事でスタートしたいと思います。
「令和」には、どんな意味が込められているのか?
さてさて。上でも書いたように、「令和」のスタートが目前に迫っています。
少し検索すれば、WEB上には、「令和」の意味についての記事がたくさん公開されています。
たとえば、安倍総理は、次のような意味だと言っています。
『令和』には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められています
また、外務省はこう言っています。
外務省は新元号「令和」の意味を英語で表す際に「beautiful harmony(美しい調和)」に統一する方針を決めた。
一方で、総理や外務省など公式な立場からの説明とはまったく違う「本当の意味」「隠された意味」があると主張する人もいます。
たとえば、「『和』を乱さずに、命『令』に従え」という意味で、非常に強権的な元号だという意見。
あるいは、権力者の横暴を暗に批判する元号だという意見も見かけました。
あえて出典は示しませんが、気になる場合は、検索すれば、すぐに見つかると思います。
時間がもったいないのであまり調べてはいませんが、検索すれば、まだまだ色々な意見が出てくるでしょう。
では、いったいなぜ、多くの人が新元号の意味に、強いこだわりを持って主張を繰り返しているのでしょうか?
「元号」は、時代をつくり動かすプログラム
結論から言ってしまえば、元号というモノには、時代をつくり動かすプログラムとしての機能が宿っています。例えば。もし仮にの話ですよ。
仮の話ですが、万が一、平成の次の元号として「恐慌」 という元号が採用されたとしたらどうでしょう?
この元号は、次の時代に好景気をもたらす方向の力を持っているでしょうか?
それとも、不景気を作り出す方向の力を持っているでしょうか?
これはもう、答えは明らかです。
もし「恐慌」 という元号が採用されたとしましょう。
すると私たちは、テレビのニュースで、新聞記事で、何かの申込書に日付を書くときに、「恐慌」という元号を目にします。
恐慌元年。
恐慌2年。
恐慌3年。
……。
そうやって、無意識のうちに、「今年は恐慌だ」というプログラムが意識の深い部分に刷り込まれていきます。
無意識にでも、今は景気が悪いと思っている人は、どんな行動をするでしょうか?
気づいたら、最低限の生活必需品以外の消費を控えようとする選択をしているかもしれません。
消費が減るということは企業の売上が減るということです。
そうなれば、倒産する企業や、リストラをする企業が現れるかもしれません。
リストラや倒産が起これば、職を失う人が現れ、ますます消費が減っていきます。
もちろん、元号だけで全てが決まるわけではありません。
決まるわけではないのですが、時代を引っ張る大きな影響力は秘められているのです。
突然そんなことを言われても、「ハイ、そうですか」とは信じられないかもしれません。
長くなってしまうので、その詳しいメカニズムは、下の参考記事を読んでみてください。
参考:知らなかったら損をする! ― 私たちを影から操る“プログラム”の正体を探る
と、言うわけで。
ここでは、元号というモノには、時代をつくり動かすプログラムとしての機能が秘められているということについては納得することにして、話を先に進めることにしましょう。
では、ちょっと考えてみてください。
元号というものに、これだけの力が秘められているのだとしたらどうでしょう?
もし世の中を自分の思い通りの方向にコントロールしたいと思っている人が居たとしたら、その人にとって、元号は絶対に利用したい大きな力だということになります。
もし私が世の中を自分の思う方向にコントロールしたいと思っていたとしたら、 元号の改正というチャンスは絶対に利用すると思います。
つまり、「この元号の本当の意味は○○だ!」と主張して、人々に、自分の都合が良いプログラムを刷り込もうとするでしょう。
これを、あえて過激な言葉で表現すれば、プロパガンダということになります。
もちろん、「令和」という新元号について、「本当の意味は○○だ!」と主張している人たちが、プロパガンダを意図しているかどうかはわかりません。
しかし、たとえ本人は意図していなかったとしても、それらの行動にはプロパガンダとしての機能が含まれているのです。
プロパガンダの根底にある発想
ところで、このようなプロパガンダに対して、多くの人はどのように反応しているでしょうか?まず1つの反応は、何の疑いもなく素直にプロパガンダを受け取るという反応です。
この反応は、「【 秩序1.0 】― 弱肉強食」的です。
世論をつくりだす力を持つ強者が、主張を素直に信じる弱者を都合よくコントロールしているという構図だからです。
そして、もう1つの反応は、あるプロパガンダに反発して、別の解釈を宣伝して信じさせようとするという反応です。
この反応は、「【 秩序2.0 】 ― 綱引きの均衡」的です。
世の中を自分が思う方向にコントロールしようとする複数の勢力が、自分の主張を通そうと“綱引き”をしている状態だからです。
私が、ネット上で新元号についての意見を検索していて見つけたものの多くは、だいたいこのどちらかの関係性が根底に見え隠れしていました。
繰り返しになりますが、その主張をしている本人がプロパガンダを意図しているかどうかはわかりません。
本人の意図がどうあれ、その発想の根底には「他者をコントロールする」という意図が見え隠れしているのです。
「他者をコントロールする」という意図は、【 秩序1.0 】や【 秩序2.0 】の関係性をつくりだす根本的な発想です。
私は、このような発想を、旧時代に置いていきたい。
他者をコントロールしようとする意図がつくりだす、「弱肉強食の関係性」や「一瞬たりとも気を緩めることができない綱引きの関係性」の弊害を、少しづつでも減らしていきたいと思うのです。
このためには、いったい何をする必要があるでしょうか?
もし「他者をコントロールする意図」を減らしたいのなら、この意図をつくりだしている根本原因を突き止め、解消していかなければなりません。
その原因とは、いったいなんでしょうか?
それは、
「令和」の意味には、正しい1つの正解が存在している
という前提です。(あえて、「正しい正解」という二重表現にしています)
なぜならば、「正解はいくつあってもいい」という発想が根底にあれば、令和の意味をめぐって争う必要はないからです。
もし、この発想が前提にあると何が起こるでしょう?
「あなたはそう考えるのね。私はこう考えているけど、あなたの考えも良いと思いますよ。」
これで、お終いです。
「他者をコントロール」する必要性は、どこにもありません。
「令和」という新元号を決めた人たち、「令和」のもととなる詩をつくり今日まで守り抜いてきた人々、そして別の解釈をする人たちへのリスペクトは、あってしかるべきです。
それと同時に、自分が選びたい意味に対しても、同じくらいのリスペクトを向ければいいのです。
しかし、
「令和の意味は、○○だ!」
「いや、本当の意味は××だ!」
と、たった1つの正解の地位を手に入れようとすれば、争いが起こります。
他者に、自分が主張する正解を信じさせようとするコントロールが発生するのです。
この「コントロールの意図」が、【 秩序1.0 】や【 秩序2.0 】の関係性をつくりだしてしまいます。
コントロールされるのでもなく、コントロールするのでもなく…
このことについて、もう少し、別の切り口からも見てみましょう。たとえば、過去に「ヤドカリのたとえ話」をしたことがあります。
突然ですが、ヤドカリを思い浮かべてみてください。
あの、巻貝を背負った小さな生き物です。
ご存じの通り、ヤドカリが背負っている殻は、自分の体ではありません。
だからヤドカリが成長して体が大きくなってくると、だんだんと殻が小さくなってきます。
こんな時ヤドカリは、「自分以外のモノ(=殻)」をコントロールして、形を変えようとするでしょうか?
そんなことはしませんね?
つまり、「他者(=自分以外のモノ)」をコントロールしようとはしないのです。
では、「自分以外のモノ(=殻)」の制約を受け入れて(コントロール下に入って)、自分の体を成長させることをやめるでしょうか?
そんなことも、ありません。
つまり、「他者(=自分以外のモノ)」からのコントロールに屈して、我慢を続けるわけでもないのです。
彼らは、ただ単純に、新しい「殻」を探して引っ越してしまいます。
これは、とても自立した状態です。
なぜならば、他者の意図にまったく依存せずに、自分の自由意志を発揮している状態だからからです。
【 参考記事 】
そして、同時に、周囲とも“和”の関係(より高いレベルの秩序)を構築している状態です。
【 参考記事 】
この発想こそが、【 秩序3.0 】以上の関係性をつくるためのポイントになってきます。
- 他者をコントロールしようとしない。
- だからと言って、他者にコントロールされるがままになるわけでもない。
- そのどちらでもなく、ただ自分の好きな世界を新しく見つけたりつくったりして、そこに引っ越す
これを、「令和」という新元号に、どのような意味(プログラム)を与えるか?という文脈に当てはめたとしたら、こんな感じでしょうか。
- 他者に自分の解釈を押し付けない。
- 誰かに説明された意味を鵜呑みにしない。
(自分の意志で他者の意見に賛同して、同じ意味を採用するのは、もちろんOKです) - そのどちらでもなく、他者がどうあれ、「自分にとっての正解」は自分でつくってしまう。
簡単に言ってしまえば、好き勝手に、自分に都合のよい意味を与えてしまいましょうということです。
他の人が何と言っているかなんて、関係がありません。
誰かがつくった「プログラム」ではなく、あなたが選びたい「新時代のプログラム」を起動するのです。
まったく異なる意味・論理であっても、何の問題もなく共存できる
さて。では、人々が、新元号の意味を好き勝手に与え始めたら、何か問題は起こるでしょうか?
結論からいえば、「正解はいくつあっても良い」という前提にたてば、あなたが、好き勝手な意味を信じていたとしても何の問題も起こらない※1でしょう。
現実問題として、1つの言葉に複数の意味が宿るということは、決して珍しいことではありません。
たとえば、「適当」という言葉。
この言葉は、「いい加減な」という意味で使われることがあります。
その一方で、「適切な」という意味で使われることもあります。
つまり、ほとんど真逆の意味が同居している言葉なのです。
あるいは、「素晴らしい」という言葉があります。
現在では、「とても良い」というような意味でつかわれる言葉ですが、昔は「ひどい」「とんでもない」という意味で使われていたそうです。
参考:語源由来辞典「素晴らしい」の項目
言葉の意味なんて、いくらでも移り変わるのです。
もう少し理屈っぽい説明をすれば、「まったく異なる複数の論理が同時に成立できる」という原理があります。
一見して対立するような、まったく異なる論理だったとしても、それらは共存することができるのです。
それどころか、お互いを助け合うことすら可能です。
長くなるので詳しくは書きませんが、気になる場合は、次の記事を読んでみてください。
参考:論理的思考で「正解」は見つけられる!?―「正解」は見つけるものでなく、つくるもの。
補足説明
※1 ただし、【 秩序1.0 】における強者にとっては、自分のコントロールが及ばなくなるという意味で、大問題だと感じるかもしれません。
また、ほとんど意味が決まり切っている言葉に、自分なりの解釈を無理やり当てはめる場合にも問題が起こるかもしれません。
たとえば、「一(いち)」という漢字。
この漢字の意味を、「私は「2」と解釈する!」というような変なこだわりを始めると、色々と問題が起こります。
だって、「商品を一個買う」と言っているのに、2個持ってこられてしまっては困りますよね?
ですが、元号の意味であれば、一人ひとりが勝手に好きな解釈をしても、たいした問題は起こらないでしょう。
※1 ただし、【 秩序1.0 】における強者にとっては、自分のコントロールが及ばなくなるという意味で、大問題だと感じるかもしれません。
また、ほとんど意味が決まり切っている言葉に、自分なりの解釈を無理やり当てはめる場合にも問題が起こるかもしれません。
たとえば、「一(いち)」という漢字。
この漢字の意味を、「私は「2」と解釈する!」というような変なこだわりを始めると、色々と問題が起こります。
だって、「商品を一個買う」と言っているのに、2個持ってこられてしまっては困りますよね?
ですが、元号の意味であれば、一人ひとりが勝手に好きな解釈をしても、たいした問題は起こらないでしょう。
新時代の『プログラム』を起動せよ!
ここまでの話をまとめましょう。「元号」には、無意識のうちに時代をつくり動かす力が秘められています。
もちろん、元号だけで全てが変わるわけではありませんが、「時代を引っ張る力」は間違いなく宿っているのです。
では、この力をどのように使うのか?
「意味を決める者 VS 決められた意味に従う者」というような【 秩序1.0 】的に、この力を使うこともできます。
「意味を決める者」の地位を得るために、その地位を狙う他の勢力と、【 秩序2.0 】的な“綱引き”を繰り広げることもできます。
しかし私は、このようなあり方を、旧時代に置いていきたい。
「たった1つの正解」をめぐって争うのではなく、「正解はいくつあってもよい」というあり方。
他者をコントロールするのでもなく、
他者にコントロールされるのでもなく、
一人ひとりが、好き勝手に、自分が望む意味を「令和」に与える。
そして、一人ひとりが、自分が望むプログラムを新時代に組み込む。
「観念のプログラム」に支配されるのではなく、「プログラム」を便利に利用する「プログラマー」として生きる。
誰もが、自分の意志に従って自由に生きているけれど、だれも犠牲にならない世界。
私は、そんな新時代をつくっていきたいと思っています。
では最後に、私であれば「令和」という新元号に、どんなプログラムを埋め込むかについて書いておきましょう。
まず、「令」という字。
この字には、「令を下す」ということがあるように、「命令」「いいつけ」という意味があります。
これを、私は、自分自身に下す命令だと解釈します。
自立した個として、自由意志を発揮していく象徴です。
また別の意味として、「令」という字には、「ご令嬢」などと言ったりする時のような、ポジティブな意味を持つ敬称としての意味もあります。
次に「和」という字。
この字の意味は、このサイトを通じて伝えるテーマの中心的な言葉ですから、詳しく書き始めるとキリがありません。
ここでは、より高いレベルの秩序(関係性)と捉えましょう。
誰もが、自分の意志に従って自由に生きているけれど、だれも犠牲にならない状態です。
すると、「令和」という言葉には、次のような意味を与えることが出来ます。
【 私が起動する『令和』のプログラム 】
とても尊い、“和”の世界。
誰もが自由に意志を発揮するけれど、誰も犠牲になることのない、調和の世界。
私は、自立した個として、自分自身に“令”を下します。
私自身が、“和”の世界を構築するはたらきをすることを。
とても尊い、“和”の世界。
誰もが自由に意志を発揮するけれど、誰も犠牲になることのない、調和の世界。
私は、自立した個として、自分自身に“令”を下します。
私自身が、“和”の世界を構築するはたらきをすることを。
「令和」という新時代への節目に、私はこのように宣言したいと思います。
別に、政府がそういう意味だと言っているわけではありません。
「令和」の本当の意味が、こうだと言いたいわけでもありません。
私は、そういう意味だと勝手に捉えて、そういうあり方をしていこうという決意宣言です。
「このような『プログラム』を起動せよ!」という“令”を、自分自身に下しているのです。
それでは最後に、一番大切な質問です。
あなたは、新時代にどんな『プログラム』を組み込みますか……?
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