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もし、法律でチャーハンの味付けを決めたら…?― 外発的動機づけによる管理のコスト

「ルール イハン ハッケン! ルール イハン ハッケン!」
「チャーハンハ ショウユデ アジツケ。 シオハツカワナイ。 バッキン50エン。」
合成音声を再生しながら、家庭用小型ロボットが近づいてきた。

背丈は人間の幼稚園児くらいで、脚のかわりに直径10cmくらいの車輪がついている。

見た目は大したことがないのだが、強力な人工知能が積み込まれており、その知能はバカに出来ない。

というよりも、そのロボットには社会のルールの全てが完全にインプットされているので、論争になれば、人間側には、まず勝ち目はない。

それはそれは、やっかいなロボットなのだった。


「バッキンヲ シハラッテ クダサイ。 バッキンヲ シハラッテ クダサイ。」
心なしか、罰金をとりたてるその声が、少し嬉しそうに聞こえて妙に憎たらしい。

そのロボットは、深くお辞儀して後頭部に取り付けられた電子マネーのタッチ部分が上になるような姿勢をとると、タッチ部をピカピカと光らせながらこちらに向かって近づいてきた。

行儀のいい深いお辞儀と、「早く罰金を支払え!」と言わんばかりにタッチ部を見せつけてくるその態度のギャップが、さらにイライラを加速させてくる。

「ハイハイ、わかりましたよ。でも、なんで好きな味付けにしたくらいで、罰金とられなきゃいけないんだよ……。」
そう呟きながら、仕方なく、罰金を支払った。

「コノクニデハ コクミンノ ケンコウヲ マモルタメ エイヨウカンリヲ……」
「ハイハイ。そんなことは知ってますから、説明しなくていいですよ。ありがたいことですねー。」

「ドウイタシマシテ。 アナタニ カンシャサレルナンテ メズラシイデスネ。」
「…………。」


実は、この国では、国民の健康を守るという名目で、様々なルールが決められている。

例えば、食事をつくる時にも、細かいレシピが指定されていて、指定の食材や調味料、調理方法をキッチリと守らなければならないことになっている。

今回も、チャーハンをつくっているときに、ふと、南米に旅行に行った親戚からおいしい岩塩を貰ったのを思い出して、それで味付けをしてみたら罰金を取られてしまった。

さらに言えば、ルールで決められているのは、材料や調理方法だけではない。

使う、フライパンやお皿などの食器類まで、使っても構わない型番が指定されていて、それ以外を使うと罰金を取られてしまうのだった。

これはたしか、昔、どこかのメーカーの鍋から有害物質が溶け出していることが発覚したのをきっかけにつくられた規則だったはずだ。


そうこうしているうちに、チャーハンができあがった。

「チョット マッテ クダサイ! チョット マッテ クダサイ!」
テーブルに運んで食べようとすると、また、あのロボットがやってきた。

「チャーハンニハ キザンダネギヲ フリカケテカラ タベテクダサイ。 エイヨウバランスガ 0.3ポイント カイゼンシマス。」
「えー、でも、今日はネギが冷蔵庫に入ってないし。それにあんまり好きじゃないから、使いたくないんだけど……。」

「ミトメラレマセン。 ネギノフシヨウガ ミトメラレルノハ コウリカカクガ ゼンネンヒ 150パーセントヲ コエタバアイト アレルギーノ シンダンショガ アルバアイ ダケデス。」
「ゲンザイ ネギノ シジョウカカクハ ヘイネンナミ。 アレルギーノ シンダンショヲ ダシテクダサイ。」
「アレルギーの診断書まではないけどさー。今回は大目に見てよ。わざわざネギだけ買いに行くのも大変なんだよ。」

「ミトメラレマセン。 ミトメラレマセン。 ネギヲ ツカワナケレバ バッキンデス。」
「もー。わかったから。罰金払うから頭出して。」

そう言うと、奴は、またあの腹立たしい深いお辞儀の姿勢でこちらに近づいてきた。

少し気が立っていたので、ちょっと強め……、というよりも叩くようにタッチしてしまったのが悪かったのか、頭についていた赤いランプが光り、サイレンが鳴り始めてしまった。

「ケイコク! ケイコク!」

「セイジョウナ タッチヲ オオキクコエル ショウゲキガ ケンシュツサレマシタ。」

「ワタシノ コクミンケンコウホゴギョウム ヘノ ボウガイコウイト ニンテイシマス。 バッキン5000エンヲ シハラッテクダサイ。」

「なんで、間違ってちょっと強くタッチしちゃったくらいで、罰金なんてとられなきゃいけないんだよ?払わないからね。」

「ロクガデータヲ ケイサツニ テンソウ カイシ。 ケイサツカンノ トウチャクマデ オマチクダサイ。 ナオ ケイサツカンガ シュツドウシタバアイニハ ジンケンヒトシテ バッキンニ イチマンエンガ カサンサレマス。」
「わかった、わかった。私がわるかったから。罰金払うから。」

「ワカッテクレタナラ ヨカッタデス。 デハ バッキンヲ ハラッテクダサイ。」
そう言うと、また、あの腹立たしい姿勢でこちらに近づいてきた。

蹴りを入れてやりたい衝動を抑えながら、深呼吸をして、電子マネーをタッチした……。

※ この物語はフィクションです。(ここまでは前置きで、記事の本題はここからです。)

「外発的動機付けによる管理」を極端に推し進めた世界

私たちの社会では、何か問題が起こると、ルールや規則を強化することで、その問題に対応しようとすることがよくあります。

例えば、万引きが問題になれば、万引きの厳罰化が検討されたりという具合です。

あるいは、子供に対して、テストの点数がよければお小遣いをあげて、テストの点数が悪ければゲームを禁止するようなルールを課すこともあるかもしれません。(後ほど触れますが、このようなやり方は、お勧めできません。)

このような方法のことを言い換えれば、「外発的動機づけによる管理」と言い換えることができます。

簡単に言えば、「ルールを守った人にはメリットを与え、ルールを破った人にはデメリットを与えることで、皆にルールを守ってもらいましょう」というアメとムチの考え方です。

表彰する、給料を上げる、出世させる、欲しいものを買ってあげる、賞賛する、普段よりも優しく接するなどのメリット。

そして、罰金を取る、刑務所に入れる、商取引を停止する、違約金を取る、ボーナスを下げる、左遷する、ゲームを禁止する、お小遣いを減らす、名誉を傷つけるなどのデメリット。

こういったメリットとデメリット(アメとムチ)を、その人の「外から」与えることで人の心を動かそうとすることなので、「外発的動機づけ」と呼ぶのですね。

外発的動機付けについて、詳しくは、次の参考記事を読んでみてください。

▶ 「内発的動機付け」と「外発的動機付け」 小さな違いが、人生を変える



もちろん、こういった「外発的動機づけによる管理」が、必ずしも悪いというわけではありません。

というよりも、少なくとも、今の私たちの社会から「外発的動機づけによる管理」がなくなってしまえば、社会の秩序が崩壊してしまうと言っても大げさではないと思います。

しかし、これだけ大切な役割を果たしている「外発的動機づけによる管理」にも色々な問題があることが分かってきています。

このことについては、これまでにもいくつか記事を書いてきました。(今後も扱うと思います。)

【 参考記事 】

ところで、この「外発的動機づけによる管理」のデメリットのひとつに、「莫大なコストがかかる」という問題があるのですが、このテーマについては、これまでしっかりと書いたことがありませんでした。

そこで今回の記事では、「外発的動機づけによる管理」をしようとしたときの「莫大なコスト」をテーマに書いてみたいと思います。


この記事の冒頭に書いた「チャーハンのつくり方を巡る人間とロボットのやり取り」は、「外発的動機づけによる管理」を極端に推し進めた世界の日常のひとコマをイメージして書いたものです。

(『私の会社の「変なルール」― 私たちを縛る“枠”は、いかにしてつくられるのか?』という記事でも、外発的動機づけによる管理のために必要になる大きなコストが実感できる例を書きました。)

その世界では、国民の健康を守るという大義名分のもとに、料理の味付けに至るまでの細かい管理が行われていて、違反者には罰金が科されていました。

あまりリアルな例で書いてしまうと気分が重くなってしまうので、今回の記事では気楽に読めるちょっと滑稽な例として、「もし、チャーハンの味付けを法律で決めるなら?」をテーマにして、「外発的動機づけによる管理」について考えてみたいと思います。


ステップ1(前半):ルール(OKの範囲とNGの範囲)を決めるコスト

もし、チャーハンの味付けをルール化するとしたら、まず何しなければんらないことは、いったい何でしょうか?

そのためには、当然のことではありますが、まず、「どういう味付けにするのがOKで、どういう味付けにするのがNGなのか?」を決めなければなりません。

ですが、これ。

こうやって書くだけであれば簡単なのですが、実際に決めようとすると、ものすごい手間がかかることがわかります。

健康的なチャーハンの味付けを決めると言っても、例えば、醤油味と塩味のどちらが健康的なのかをどうやって見極めるのでしょうか?

1つの手として実験で決めるという方法がありますが、そのためには、いったいどのような実験をしなければいけないのでしょうか?

醤油味のチャーハンと、塩味のチャーハンを被験者に食べさせて健康診断をしたくらいでは、「明らかに、こちらの方が健康に良い!」というような有意な差は見られない可能性が高いでしょう。

また、一言で健康と言いますが、健康にかかわる指標は色々とあるはずです。

例えば、血圧や、血糖値、コレステロール値、心拍数、あるいはリラックス度や、その日の眠りの深さ……etc.

いったい、どの指標を採用すればいいのでしょうか?





もし、何かしらの指標で差が出たとして、別の指標では逆の結果が出てしまった場合のことも考えなければなりません。

例えば、血圧の結果は醤油の方が有利だったけど、血糖値の結果は塩の方が有利だったというような場合です。

そんな時、研究者が、無意識にでも「チャーハンの味付けは醤油であるべきだ」というイメージを持っていると、悪意はなくても、醤油のデメリットを過小評価して、醤油のメリットを過大評価してみてしまうこともあるでしょう。

これは、「確証バイアス」と呼ばれる作用によって引き起こされます。

確証バイアスについては、次の記事を読んでみてください。

▶ 「引き寄せ」なんて、思い込み!?―確証バイアスがつくる幻想

この確証バイアスの影響を小さくするためには、二重盲検法と呼ばれる、とても手間とコストのかかる実験をしなければなりません。


もっと簡単な実験方法はないでしょうか?

例えば、多くの人が「おいしい」と評価する味付けをしたときに、醤油味と塩味では、どちらが塩分摂取量が少なくなるかを評価するような方法も考えられるかもしれません。

しかし、このような方法を使う場合には、塩分摂取量以外の健康への影響は、すべて無視されてしまうことになります。

また、味付け以外の材料の選択が、「おいしい」と感じる塩の量や、醤油の量に影響を与えることもあるかもしれません。

例えば、醤油味に合うようなお米の種類や、その他の具を選んだような場合には、少ない醤油の量でも「おいしい」と感じることができて、結果的に醤油の方が塩分摂取量が少なく見えてしまうかもしれません。

それ以外にも、季節や、その日の天気、気温、湿度、試食の時間帯が朝なのか?、昼なのか?、夜なのか?というような要因も、人が感じる「おいしさ」に影響を与えるかもしれません。

あるいは、最初にやった実験でそれらしい結果が出たとしても、もう一度、再現実験をすると、まったく違う結果になってしまったということも、普通にあり得ることでしょう……。


このように、細かい点まで考えて実験をしようとすると、簡略化した実験であっても、相当な手間とコストがかかってしまうことがわかります。

その上、そこまでやったとしても、「チャーハンの味付けは、塩味と醤油味ではどちらが健康的か?」というような微妙な違いを、実験で明確に証明するのは難しいかもしれません。

実験で決めると言うと、いかにも正確で間違いのない結論が得られそうな響きがありますが、実際には、実験で明確に白黒をつけるというのは、かなり難しいことなのです。
【 更新情報 】

ステップ1(後半):メインのルールに付随する、細々としたルールを決めるコスト

さらにさらに、ここまでは単に「塩」、「醤油」などと書いてきましたが、一言で「塩」と言っても「岩塩」や「海塩」など、同じ調味料でも実際には色々な種類があるはずです。

その上、同じ「岩塩」でも、産地によっては成分も変わってくるでしょう。

そう。実験では「塩」の種類や産地、「醤油」のメーカーやブランドまで考慮しなければならないのですね。


ですが、このことが及ぼす影響は、実験方法だけにはとどまりません。

色々な種類がある「塩」や「醤油」ですが、そのそれぞれには、それを売ることで商売をしている人々がいるはずです。

もし、国のルールで、自社が扱う塩や醤油が使われるように指定されれば、その業者は大儲けできるはずです。

逆に、国のルールの選定から漏れてしまえば、大損をしてしまうでしょう。

そう。彼ら(の少なくとも一部)にとっては、実験で「科学的な真理」が明らかにされることよりも、自社製品が国公認のレシピに採用されることの方が、遥かに興味があることなのです。


そうなれば、いくつかの業者が、政治家や役人にロビー活動を展開するかもしれません。

実験にかかわるであろう研究者に、一見、チャーハンの味付けとは何の関係もない研究を委託して研究費を弾むことで、研究者を実質的に買収しようとする業者も現れるかもしれません。


もちろん、業者の政治力で国のルールを決められてしまっては困りますから、そのようなことを規制するルールもつくられるだろうとは思います。

しかし、業者側も本気ですから、ルールの逃げ道を探したり、そのルールをつくる過程で抜け穴を仕込んでルールを骨抜きにしてしまおうというロビー活動に精を出すかもしれません。

そうです。

チャーハンの味付けのルールを決めるだけのつもりが、そのために、それに付随するルール(ロビー活動や、役人や研究者の買収を規制するルール)で、イタチゴッコ(“綱引き”)をする羽目になってしまったのです。。

そして、当然のことながら、その付随のルールについても、ルールをつくるコスト、ルールを運用するコストなどがかかるわけです。


付随して必要になるルールは、それだけではありません。

例外的なアクシデントが起こったときのルールについても、考えておかなければいけないでしょう。

例えば、実験で、「チャーハンの味付けはアンデスの岩塩を使うのが、もっとも健康的」という結論が出たとしましょう。

そして、「チャーハンにはアンデスの岩塩を使わなければ罰金」というルールをつくったとしましょう。

しかしもし、例えば、南米で紛争が起こってしまい、アンデスの岩塩の輸入がストップしてしまったとしたらどうでしょう?

そんな場合に、アンデスの岩塩を使わなかったからといって罰金を取るというのは、あまりにも酷です。

だから、そんな場合に備えて、「こういう条件を満たしたときは、罰金を免除する」という条件も決めておかなければならないのです。


他にも、こんなことについても考えなければならないでしょう。

例えば、ある時はアンデスの岩塩の品質が高く、素晴らしく健康的な成分の構成になっていたとしましょう。

しかし、その次の年に生産されたアンデスの岩塩は構成成分の比率が変わってしまい、健康効果で他の塩に負けてしまうようなこともあるかもしれません。

そんなことが起こらないように、定期的にレシピに指定した食材の品質を検査するルールと、そのルールを運用する組織(当然、その人件費が必要になるということです)を用意する必要もあるでしょう。


他にも、考えなければいけないことを挙げ始めればキリがありません。

ですが、これ以上続けると、誰もこの記事を読んでくれなくなってしまいそうなので、このくらいにしておきましょう。

なんにしても、たかがチャーハンの味付け方法を法律で決めようとしただけで、真面目にやろうと思ったら、そのルールをつくる段階だけでも、これだけのコストがかかってしまうということです。

ステップ2:ルールを周知するコスト

さてさて。

たくさんの手間とお金をかけて、ようやく、「チャーハンの味付けのルール」と「それに付随するルール」が決まったとしましょう。

では、これで仕事は一件落着となり、あとは、ルールを守る国民の姿を見守るだけでしょうか?

当たり前のことではありますが、そうはいきません。


まず、新しいルールを人々に伝えなければなりません。

「これからは、チャーハンの味付けに許されるのは、これだけです。それ以外の味付けをした場合には罰金です。」

そうやって、テレビや新聞、インターネットなどを通して広報しなければならないでしょう。

全国にCMを流したり、新聞に広告を載せるためには、莫大な費用がかかるはずです。

この記事では、チャーハンだけを例にして説明していますが、「国民の健康を守るために、国が国民の健康を管理する」という目的から考えれば、当然、他の全ての料理についても同じことが行われているはずです。

そうだとすると、すべての料理のレシピをデータベースにして、国民がいつでも見れる状態にしておく必要が出てくるでしょう。

もし、国民が若い人ばかりであれば、そのデータベースをWEBで公開しておけば事足りるでしょう。

レシピサイトを見る要領でスマホ片手に料理をこなしてしまうはずです。

(政府系のWEBサイトでは、使い勝手は悪いと思いますが……。まぁ、それは別のお話です。)

しかし、WEBに慣れ親しんでいない世代のことまで考えると、紙媒体のレシピも必要になるでしょう。

主要な料理はほぼカバーしている必要があるでしょうから、それらのレシピを綴じたファイルは分厚いものになってしまうでしょう。

これは、レシピファイルを作る為のコストもバカにならないでしょうが、使う側のコストも莫大なものになります。

料理をつくるたびに、分厚いファイルの中から目的のレシピを探さなくてはならなくなってしまうからです。

ファイルを探すのが面倒で、一部の料理ばかり作ってしまった結果、栄養バランスが崩れて、かえって不健康になってしまったということすらあるかもしれません。

こうなってしまっては、本末転倒です。

ステップ3:監視するコスト

こういった問題も、なんとか乗り越えて、「チャーハンの味付けのルール」の周知が終わったとしましょう。

その次は、人々がルールを守っているかのチェックが必要になります。

ルール違反者には罰金を科そうということが決まっていたとしても、そのルールを実際に運用出来なければ、せっかくつくったルールでも、有名無実の、ただの「絵に描いたモチ」になってしまうからです。

つまり、「誰がルール違反をしたのか?」を知り、「本当に有罪なのか?」を決めるための具体的な運用ルールと実行部隊が必要になるのです。

これも、言葉で書くだけなら簡単なのですが、こんなこと、いったいどのようにすれば実現可能なのでしょうか?

(上の物語の中では、ロボット技術や人工知能の発達で解決できたことにしてしまいましたが……。少なくとも、私たちの世界では、今のところ、この方法は不可能でしょう。技術的にも難しいでしょうし、心情面や倫理面の問題もあります。)

私たちの社会でも出来そうな、それを実現するための方法を考えてみましょう。

例えば、各家庭に一人づつ、監視人を置いてみるというのはどうでしょう?

考えるまでもなく、そんな人員を確保できるわけがありません。

では、ルール違反を密告した人に、報奨金を支払う制度をつくってみるのはどうでしょう?

とてつもなく生きずらい、ギスギスした相互監視社会の出来上がりです。

個人的な恨みや、報奨金目当ての、いい加減な密告が相次ぐかもしれません。

まるで、「魔女狩り」です。


もう少し現実的な方法を考えるなら、例えば、検査官を抜き打ちで派遣するとか、一週間分の食事を毎食50グラムずつ保存容器に保存してもらい毎週月曜日に提出してもらうとか、そんな感じでしょうか?

このような方法をとるにしても、莫大なコストがかかることは間違いありません。

例えば、抜き打ちで検査官を派遣するような場合には、ある程度以上の頻度が必要になるでしょう。

数年に1度あるかないかくらいの訪問では、「検査官に見つかったら、その時はアンラッキーと思って諦めて罰金払おう」という意識で、ルールを守らない人が多発するかもしれないからです。

さらには、検査官の次の訪問先をリークするような裏ビジネスが発達しないように、規制ルールと監視を行う組織が必要になるかもしれません。

また、新しいルール(新たなコスト)の登場です。


あるいは、毎食ごとのサンプルを検査機関に提出してもらう場合にも、検査機関の整備が必要になるでしょう。

全国民の食事を検査するわけですから、その規模(利権)は尋常なものではないはずです。

そうなると、この利権をめぐる不正が起こらないようなルールづくりや、監視が必要になるでしょう。

さらには、「検査機関に提出するためだけの、完全に国指定のレシピに準拠したダミーの提出用サンプル」を売りさばくような裏ビジネスが登場するかもしれません。

そうなれば、人々は、日々の食事の栄養バランスなど無視して好きなものを食べ始めてしまうでしょう。

国の検査機関には、業者から買った、完璧なレシピでつくられたダミーのサンプルを提出すれば、ルール違反にも問われる心配がありません。

こういう裏ビジネスの取り締まりもしなければならないでしょう。

いったいどれだけのルールや監視機関をつくれば、状況を安定させられるのでしょうか……。

「規制する側」と「規制される側」のイタチゴッコ(“綱引き”)は、まだまだ続きそうですが、このくらいにしておきましょう。

ステップ4:ルール違反の疑いを裁くコスト

監視のための仕組みをつくることが出来たら、その次は、ルール違反の疑いが見つかった時のことを考えなければなりません。

つまり、罰金を取る前に、ルール違反の「疑い」が、本当にルール違反なのか、ただの濡れ衣だったのかを見極めなければならないということです。

無実の罪で罰金を取るわけにはいきませんので、当然のことです。

しかし、このプロセスでも、また莫大な手間がかかります。

例えば、食事の一部を検査装置に入れて、塩分濃度を測ったところ、基準値を大きく超える濃度が検出されてしまったとします。

そんなときに、容疑者が、こんな弁明をしたとしたらどうでしょう?

「いえいえ。調味料の分量はしっかり測ったはずです。たぶん、混ぜ方が足りなくて、一部に塩分が偏ってしまったのだと思います。でも、1食を全部食べたときに摂取する塩分量はルール通りになるはずですから問題ありませんよね?」
検査用に渡したサンプルを除いて食事は食べ終わってしまっているので、もう一度、別の部分で検査してみることなんてできません。

さあ。この人が言っていることが本当なのか、それとも濃い味付けをしたけど、バレないと思ってごまかしているだけなのか……。

あなたなら、どうやって証明しますか?

やるとするならば、例えば、その人の過去の塩の購入履歴と、その人が食べた食事の種類から、現在残っている塩の理論値を計算して、塩が異常に減っていないかを確認するなどでしょうか……?

しかし、もし塩が異常に減っていたとしても、「間違ってこぼしてしまったんだ」と言い逃れされたら、このアプローチでは、それ以上の追及は難しいかもしれません。

もちろん、それ以外にも、様々な追及方法は考えられますが、とにかく、「ルール違反の疑い」を「確定したルール違反」にするためには莫大な手間がかかることだけは明らかでしょう。

ステップ5:罰を与えるコスト

もう、読むのも疲れてきたでしょうから、簡単に済ませましょう。

ルール違反が確定したら、その次は、罰を与えなければなりません。

しかし、罰金をとるのも一苦労です。

罰金を払わない人が出ないように、「罰金を払わなければどういう目に合うのか?」をわからせて、自主的に罰金を払うように仕向ける為の組織が必要になるかもしれませんし、それでも払わない人から罰金を取り立てる部隊も必要になるでしょう。

このような組織にも、当然のことながら、維持費はかかります。

今回の例とは直接関係ありませんが、禁固刑にするとしても、刑務所や看守を用意して維持するためには、莫大なコストがかかってしまうでしょう。

そのコストをペイしようとすれば、罰金が値上げされたり、過酷な強制労働が行われるかもしれません……。

ステップ6:ルールをメンテナンスするコスト

これだけの莫大なコストをかけながらも、国民の健康が何よりも大切という崇高な理念を情熱をもって推し進め、なんとか、食事のレシピ管理のルールの運用を開始しました。

ところが、それから数年がったある日のこと――。

その日、その国では白熱する総選挙が開催され、接戦の末、政権交代が起こりました。

新しく政権を取ったグループの公約は、「国民の負担を小さくすること」でした。

つまり、「チャーハンの味付けルール」のような、過剰なルールの撤廃でした。

しかし、いざ政権交代が起こっても、改革は遅々として進みません。
これまでルールの存在で利益を得てきた既得権益層が、必死でルールを守ろうとしたのです。

国公認のレシピで指定されたことで莫大な売り上げを確保した食品メーカー、公務員として安定した職に就いていた食品の成分分析センターの検査官、ルールが存在するおかげで食品メーカーから受託研究として大量の資金を受け取っていた研究者たち……etc.

彼らが、その組織力を生かして、表では「新政権は国民の健康をないがしろにするのかー!」とネガティブキャンペーンを張り、裏ではロビー活動や妨害工作に精を出し、ルールが撤廃されないように必死で活動したのです。

そう。一度、皆が受け入れてルールが動き始めると、そのルールを固定し続けようとする力が働くのです。


【 参考記事 】

白熱した議論の末に妥協点として決まったのが、「年収に応じて、食材に対する縛りを緩くする」という案でした。

例えば、アンデスの岩塩などは普通の塩よりもかなり高いですので、「年収○○万円以下の人は、アンデス岩塩を使うことに決められている場合でも、普通の食塩を使うことを許可する」というような具合です。

たしかに、国民の金銭的な負担は多少はマシになるかもしれませんが、ただでさえ複雑だったルールが、さらに複雑になってしまいました……。

より複雑なルールを運用するためには、より多くの人手が必要になりますので、より大きな組織が必要になります。

結局、ルール改正の結果は、国民の負担はより大きくなり、それに比例して一部の人の利権が大きくなる結果になってしまったのですね……。


まあ、必ずしも、ここまで悪い方に転ぶとは限りませんが、これまで通りのルールを維持しようとする力と“綱引き”をしながら、新しいルールをつくるためには、それなりのエネルギーが必要になるわけです。

番外編:直接的には見えてこないけれども、無視の出来ないコスト

ここまで、主に一般家庭のことを考えてきましたが、プロの料理人の世界では、何が起こるでしょうか?

普通に考えれば、プロの料理人には、一般家庭よりも厳しいルールが課されることになるでしょう。

場合によっては、プロの料理人になるための厳しい試験が設けられるようになるかもしれません。

彼らには、膨大な数のレシピやそれに付随する知識を理解し、覚えることが求められ、「プロの料理人資格が、司法試験並みの難関に……」というようなこともあるかもしれません。




さらに、レシピが指定されるということは、料理人たちが、より良い料理をつくろうと色々と工夫することを妨げます。

料理人の創造性を封印してしまうのです。

もちろん、プロの料理人には、「『新規レシピの試作届け』のような申請書を書く」、「試作品をの成分分析に出して合格すること」などの条件を付けて、新しいレシピで料理をつくることが認められるかもしれません。

しかし、そのひと手間が、料理人がふと思いついた「遊び心」を封印してしまう可能性は十分に考えられます。


直接的に誰かのお金が減ったり、手間が取られたりするわけではないので、ちょっと見えにくい部分ではありますが、これだって大きな損失です。
料理人の創造性が封印され(る方向の力が働いて)てしまい、社会の進化にブレーキがかかるわけですから……。


そして、この創造性を封印してしまう問題は、家庭にだって降りかかって来ます。

例えば、指定されたレシピ以外の調理法が許されないのだとしたら、家族の体調や好みに合わせて、微妙に材料や調理法を変えることも出来ません。

さらにさらに、「自分で考えることを許されずに、毎日、与えられたレシピに従って料理をつくる」という経験の繰り返しは、「“余計なこと”は考えずに、言われたことに黙って従うロボットのような人間」になるための訓練として機能してしまうかもしれません。

厳しい監視による“取り繕った和”の中で生きる毎日は、「世界はギスギスしたものなのだ」という“観念”を強化してしまい、そうやって強くなった“観念”が、さらに世界をギスギスさせてしまうかもしれません。

思い出してください。

私たちが受け入れた“観念”は、その“観念”にそった世界をつくりあげる(方向の)力を持っているのです。

【 参考記事 】

あるいは、“和を取り繕う”ことで、新たな不和の火種が撒かれるのだという言い方もできるでしょう。

【 参考記事 】
これまでに何度も書いてきたことですので、このことについてはこれ以上は書きません。

家庭も、職場も、国も、「外発的動機付けによる管理」のコストを支払っている

簡単に書くつもりだったのですが、ずいぶんと長い記事になってしまいました。

長文へのお付き合い、ありがとうございました。

あとちょっとで終わりますので、もう少しだけ、お付き合いをお願いします。

この記事のテーマは、外発的動機づけ(ルール)による管理のコストについて考えることでした。

結果、「チャーハンの味付けルール」だけでも、とてつもない手間がかかることがわかりました。


ところで、このことは「チャーハンの味付け」以外でも、もっと現実的な場面で同じことが言えるのでしょうか?


例えば、家庭の身近な例として、子供のゲームと勉強の時間の管理について考えてみましょう。

「毎日1時間以上勉強をしたら1時間ごとに100円おこづかいを増やし、1時間以上ゲームをしたら1時間ごとに100円おこずかいを減らす」というようなやり方です。

ちなみに、私は、このようなやり方はお勧めしていません。

このような方法を使うと、子供から勉強を楽しむ気持ちを奪ったり、勉強を嫌いにしてしまう可能性があるからです。

【 参考記事 】

そして何よりも、子供に、外発的動機づけ(アメとムチ)に反応して行動を選ぶようにクセ付けしてしまいます。

自分の内側にある望み(内発的動機づけ)に鈍感になると、人生を“楽”に生きるのが難しくなってしまいます。

例えば、自分の才能を見失うことにもつながりかねません……。

【 参考記事 】

話を、本題に戻しましょう。

忙しい主婦の皆さんに質問です。

次から次へとやってくる家事をこなしながら、日々、子供たちが何時間勉強をして、何時間ゲームをしたかなんて、しっかりと監視することができますか?
子供が勉強をするフリをしながらマンガを読んでいないかを見張ることができるでしょうか?

例えば、1時間に1度は子供の様子を確認しようと思えば、ちょっと出かけるだけでも一苦労です。

あるいは、監視カメラをつけておいて、一日の終わりに見返すのでしょうか?

よほど強い意思をもって臨まなければ、おそらく、子供よりも先に大人が音をあげてしまうでしょう。


さらに言うと、一度、子供の前にエサをぶら下げてしまうと、簡単にはそれを取り下げることはできなくなってしまいます。

そんなことをすれば、子供に「約束なんて簡単に破っていいんだ」というメッセージを送ることになりますし、ご褒美がなくなれば、子供は合法的に勉強をしなくなってしまうかもしれないからです。

つまり、一瞬手間をかければ終わりという訳ではなく、その手間をかけ続けることが求められる状況に追い込まれてしまうわけです。

たったこれだけのことを見ても、外発的動機付けによる管理が、どれだけ手間がかかるかがわかるでしょう。



あるいは、仕事の世界も、このような手間であふれています。

例えば、現在の一般的な企業の管理職であれば、部下の服装や机の整理整頓の確認に始まり、日報や週報の提出状況の確認出張報告の確認と出張精算の承認部下の査定改善提案の実施確認と報奨金支払いの承認など、少なくない時間を、ルールにもとづく管理のために使っているはずです。

もう少し大きなレベルでは、例えば、ISOを取得しているような場合には、ISOのルールに沿って業務を進めなければなりません。

そういう職場で働いたことがある人であればよくわかると思いますが、ISOのルールに適合するために費やされるコストは莫大なものになります。

コンプライアンスとか、内部統制といった言葉がかかわる仕事も同様でしょう。

(念のため書いておきますが、私が言いたいことは、「莫大なコストがかかるから、ルール(ISOなど)なんて必要ない!」ということではありません。コスト以上のメリットを期待しているからこそ、多くの会社がそのようなルールを導入しているわけです。)

部下の査定などは「外発的動機付けによる管理」のわかりやすい例だと思いますが、もしかしたら、ISOの監査などはちょっとわかりにくいかもしれません。

しかしこれも、「ISOのルールに適合していれば、ISO取得済みと公言できますよ(信用が得られますよ)」ということですから、「信用」という外発的な報酬で動機付けしているということになります。


国レベルでも、三権分立の三権とは、立法(ルールをつくる係)、行政(ルールを運用する係)、司法(ルールに沿って裁く係)の3つということになっています。

この三権の機関に勤める人の人件費を考えるだけでも、ルールによる管理のために、どれだけ莫大なコストがかかっているかが想像できると思います。

「外発的動機付けによる管理」を越えた“秩序”

このように、家庭レベルでも、企業レベルでも、国レベルでも、「外発的動機付けによる管理」には大きなコストがかかってしまうのですが、私は、決して「外発的動機付けによる管理」を一概に否定したいわけではありません

「外発的動機付けによる管理」には様々なデメリットがあったとしても、それ以上のメリットが得られていることも多いはずです。

ただ、私は、“集団の秩序”には、いくつかの段階というか、レベルがあると思っています。

「外発的動機付けによる管理」は、その中の1つに過ぎません。

そしてもし、「外発的動機付けによる管理」以上の“秩序”のレベルを実現することができれば、さらにデメリットは少なく、メリットは大きくできると考えています。

もう、かなり長くなってしまいましたので、そのことについては今後書いていくことにして、今回の記事はこれで終わろうと思います。
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