Categories: 記事

秩序1.0 ― 弱肉強食

突然ですが、ちょっと想像してみてください。
あなたは、今から書く2つの道のうち、どちらか1つを選ばなければなければならなかったとします。


まず1つ目は、あなたが、親しい身近な人とも、世間とも温かい人間関係を結んでいるような人生です。

あなたは、両親と、子供と、妻や夫と……。

あなたの身近にいるすべての人と、お互いを尊重し合い、思いやりを持った温かい人間関係を結んでいたとします。

あなたの仕事や、学校での勉強結果は、誰かの役に立っているという実感があり、あなたは多くの感謝や称賛を受け取っています。

そして、その結果として、あなたは、経済的な豊かさも享受しています。

もし、あなたの人生がそんなものだったとしたら、あなたの人生に対する満足度はどんなものになるでしょうか?


一方で、もし、あなたがこれらの人たちと、顔を合わせるのも嫌なくらいのギスギスした関係を結んでいたとしたらどうでしょう?

朝起きて、家族を顔を合わせるのも嫌で、お互いに相手に遭遇しないように、タイミングを探り探り部屋を出ていきます。

学校や会社に向かう道でも、「また今日もアイツと会わなきゃいけないのか……」、「今日は、いったいどんな嫌味を言われるんだろう」と思うと気分が沈んできます。

職場では、あなたの倫理観に反する仕事でも、「これは仕事なんだから仕方ない」と割り切って片付けなければなりません。

その上、そうやって必死に稼いだお金のうち何割かが、税金として強制的に国に徴収されていきますが、そのお金が本当に必要なことに使われているのかは疑問でなりません。

実に、あなたの数カ月分の給与にあたる金額を徴収されながらも、その使い道に納得できないでいるのです。

あるいは、あなたが学生だったとしたら、毎日、自分が得意でも好きでも才能があるわけでもない勉強に多くの時間が取られていることに不満を持っているかもしれません。

もし、あなたがこのような気持で生きていたとしたら、あなたの人生に対する満足度は、どのようなものになるでしょうか?


さてさて。2つの状況について考えてもらいました。

あなたなら、この2つの状況のうち、どちらの人生を歩みたいでしょうか?

私なら、間違いなく前者を選びますが、あなたの答えを強制するつもりはありません。


今、私があなたにお伝えしたいことは、どちらの人生が素晴らしいのかを説得することではありません。

私がお伝えしたいのは、あなたがどちらの人生を望むにせよ、あなたの望みに少しでも近い人生をつくっていくためには“人間関係”の構造について考えることが役に立つだろうということです。


ちょっと振り返って頂きたいのですが、今、想像してもらった場面は、すべて「人との関係性」がテーマでした。


もちろん、一言で人間関係と言っても、そこには親子関係、夫婦関係、友人関係などのプライベートな関係に始まり、職場の同僚や学校のクラスメートとの関係のようなパブリックな関係まで色々な人間関係が存在しています。

さらには、例えば「仕事」というのは、社会や世の中との関係性なしには成り立たないでしょう。

普段、あまり意識していなかったとしても、私たちの生活は政治や行政の影響を受けており、深い関係を結んでいます。

その意味では、社会や世の中との関係性も、私たちにとって重要な「(広い意味での)人間関係」の一種だと言えるでしょう。

ですから、私たちの人生は、人間関係の質に大きく左右されていると言っても過言ではないのです。

例えば、退職理由のNo.1を調査すると、それは「給与」でも「労働条件」でもなく、「人間関係」だったと言う話はよく耳にします[※1]

だから、人間関係についての理解を深めることは、私たちが、自分が望む人生をつくっていくための重要な道具になるはずです。

そこで、今回から何回かの記事に分けて、この“人間関係の構造”について考えてみたいと思います。

とはいっても、今回のシリーズでは直接的に役立つテクニック的な要素にはあまり触れられないと思います。

その代わりに、人間関係の根底にある「原理原則」や「法則性」を探求してみたいと思います。

このシリーズを読んでも、すぐに役立つ小技的な知識は得ることは出来ないでしょう。

しかし、表面的なテクニックの代わりに、人と人との関係性に潜む法則を知ることが出来ます。

それは、「あなたが望むレベルの関係性」をつくっていくための、1つの重要な「指針」となるでしょう。

この記事は、正直、読む人を選びます。

今回のシリーズは、内容が、学校の教科書のようになってしまいました。

ですから、興味がない人にとっては、何の面白みもない、小難しい理屈にしか見えないでしょう。

そんな場合には、今回のシリーズは気にせずスルーしてしまってください。

しかし、読む人によっては、このシリーズは、大きな「希望」と「指針」になるだろうと信じています。

この記事が、一人でも多くの「必要としている人」に届くことを願っています。

では、そろそろ本題に入って行きましょう。

人間関係の構造 ― 4つの秩序レベル

というわけで、さっそく人間関係の構造について考えていきたいのですが、その前に前置きがいくつかあります。

今回のシリーズでは、この人間関係の構造を4つのレベルに分類[※2]して考えています。

その4つのレベルのことを、これからは、次の4つのように呼ぶことにします。

【 秩序1.0 】
【 秩序2.0 】
【 秩序3.0 】
【 秩序4.0 】

これだけでは、何の事だかわかりませんね……。

もう少し詳しく考えていきましょう。

私たちが人間関係を結ぶ時、その関係性が「わたしとあなた」のような個人的なものであっても、「わたしと勤め先の会社」、「わたしと日本社会」のような公のものであったとしても、そこには、私たちが結ぶ関係性の“場”を支配する“秩序”が生まれます。

この秩序を4つのレベルについて基本的な部分を理解することが、今回のシリーズの目的です。


【 追記 】
▶ 4つの秩序について、一通りの記事が公開できましたので、リンクを張っておきます。

【 参考記事 】

では、この“秩序”というものはいったい何なのでしょうか?
“秩序”というものについて考えていくにあたって、まず最初に、このシリーズでは、“秩序”という言葉をどのような意味で使うのかを明らかにしておきましょう。

と、その前に。

これから、ちょっと硬い言葉を使うので、イメージしにくかったり、抵抗があったりすれば、次のように考えていただいても問題ありません。


◆ 秩序のイメージ ◆
秩序とは、「その人間関係って、どんな感じなの?」という質問に対する答え。


これは、簡単ですよね?

例えば、「新しく入ったサークルの人間関係ってどんな感じなの?」という質問への答えが、「和気あいあいとしてるよ」だったとしたら、そのサークルは「和気あいあいとした“秩序”」をつくっているということです。

あるいは、「職場の人間関係どんな感じ?」という質問に対する答えが、「ギスギスしてるよ」だったら、その職場の秩序は「ギスギスしたもの」だと言えるでしょう。

これを、あえて、「それらしい言い方」に言い換えると、次のようになります。


◆ 秩序の定義 ◆
集団において、集団を構成する複数の個の関係性によってつくられる法則性


こちらについても言葉の通りなのですが、イメージしにくければ、先ほどの「「その人間関係って、どんな感じなの?」という質問に対する答え。 」というイメージで“秩序”という言葉をとらえていただいて問題ありません。


先ほども説明したように、このシリーズでは、この“秩序”のレベルについて考えていきます。

今回の記事では、まず、【 秩序1.0 】について考えていきましょう。



※2 決して、この分類方法が唯一の分類方法だと言いたいわけではありません。ある角度から人間関係を見たときに見える、分類方法の1つだと理解して頂ければと思います。また、現時点で公開できる内容は、荒削りな仮説レベルの分類で、これからどんどん磨きあげていきたい内容だということも明記しておきます。つまり、このシリーズで書く内容は、今後、どんどんアップグレードされて変化していくだろいうということです。

また、【 秩序1.0 】~【 秩序4.0 】までの分類自体は私が考案したものですが、その内容の大部分は、多くの先人の思想からインスピレーションを受けたものだということも明記しておきたいと思います。

その中でも特に大きな影響を受けているのは、天外伺郎さんの思想だと思います。

【 参考記事 】

また、今さら感はありますが、流行(していた)の「 ○○ 2.0 」などの表現に乗っかってみたいと思います。

ソフトウェアなどのバージョン表記では、この「2.0」の2はメジャーバージョンを、0はマイナーバージョンを表していて、「2.0」が少し進化すると「2.1」、「2.2」となっていき、大きな進化があったときに「2.2」が「3.0」になったりします。

これから説明する秩序レベルの中にも、例えば、【 秩序1.1 】とか【 秩序1.6 】というように区別した方がよい秩序もたくさん登場してくると思います。

しかし、当サイトでは、複雑にしすぎないために、特に断りがない限り、これらをすべてひっくるめて【 秩序1.0 】と呼ぼうと思います。

つまり、【 秩序1.0 】と書いてある場合、【 秩序1.1 】も【 秩序1.6 】も含む、【 秩序1.x 】のような意味で理解していただければともいます。

また、それぞれのレベルの秩序は、必ずしも単独で存在するものでもありません。

例えば、ある集団の秩序レベルを分析してみたところ、【 秩序1.0 】成分が15%、【 秩序2.0 】成分が40%、【 秩序3.0 】成分が……。

という感じで、それぞれのレベルの秩序が同居しているということがあり得るのです。

これについては、別の記事でもう少し詳しく書くつもりですが、混乱がないように、最初に少しだけ触れておきます。

秩序1.0 ― 弱肉強食

まず最初に紹介する秩序は、「弱肉強食」の秩序です。




この秩序は、「力によって、他者をコントロールする関係性」の中でつくりだされます。

例えば、力の強いライオンが、力の弱いシマウマの肉を食べることによって命をつなぐという場面を考えてみてください。

これは、力によって相手の命を終わらせるということですから、ある意味では、究極の「力によるコントロール」だと言えます。

そのことが、「良い」とか「悪い」という話ではありません。

単純に、そのような場を支配している法則性(摂理)のことを、【 秩序1.0 】と呼ぶのだと説明したいのです。


人間社会では、例えば、強国が他国を蹂躙するような戦争がその最たるものでしょう。

戦争は、まさに、力づくで相手に言うことを聞かせる(相手をコントロールする)という発想です。

また、【 秩序1.0 】の関係というのは、「国」と「国」というような大きな集団だけでなく、個人レベルでも同じことが起こることがあります。

例えば、ドラえもんのジャイアンが、腕力で、スネ夫やのび太に言うことを聞かせている時、その場を支配している秩序は【 秩序1.0 】ということになります。

ちなみに、全てがそうだと言うつもりはありませんが、学校という場は、ちょっと間違えると、簡単にこのレベルの秩序に陥ってしまうことが少なくないように感じています……。


独裁者が、その強大な権力で国民を意のままにコントロールすることも、このレベルの秩序でしょう。

あるいは、産業革命当時のイギリスでの資本家と労働者のような関係も、おおむね【 秩序1.0 】の関係といえるでしょう。

当時のイギリスでは、資本家と労働者の力関係は、圧倒的に資本家有利だったため、労働者たちは劣悪な環境での長時間労働を受け入れるしかなかったといいます。

ちょっと信じられない数字ですが、マンチェスターやリバプールのようなイギリスの都市では、労働者たちの平均寿命は15~19歳だったそうです。


労働者は家庭を離れて工場へ働きに出かけねばならない。ところがいまや生産の場となった工場内では、労働者は騒音と不衛生な環境のなかで、時計の示す時刻と監督者の厳格な規律と服従のもと、1日14、15時間に及ぶ長時間労働を強いられた。

[ 中略 ]

ところで労働者は、職場における長時間労働と劣悪な生活条件のなかで、肉体の磨滅と生命の短縮を強いられた。1830年代末、マンチェスター、リバプールなど工業都市における労働者階級の平均寿命は、15~19歳という信じられないほどの低さであった。他方、農村に住む地主階級の平均寿命は50~52歳で、都市労働者階級とは大きな開きがあった。労働者階級の高い死亡率の原因は、主として赤痢、チフス、結核、コレラ、しょうこう熱など非衛生的環境に由来する伝染病のほか、とくに乳幼児の高い死亡率が平均寿命を引き下げたからである。

コトバンク「産業革命」の項目(小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) 2017年4月20日に引用)


ここまでで説明した例は、「腕力によるコントロール」、「お金によるコントロール」というような、比較的わかりやすい「力」によるコントロールでしたが、もう少し巧妙な「力」によるコントロールもあり得ます。

例えば、ある人の“観念のプログラム”を書き換えることができれば、その人の行動を、ある程度コントロールすることができます。

詳しくは、下の参考記事を読んでみてください。

【 参考記事 】

極端な例としては、危険な宗教団体をイメージしてみてください。

もし、信者たちに、「教祖様の言うことは絶対だ」という“観念”を植え付けることができれば、教祖様の言葉一つで、信者たちの行動をコントロールすることができます。

あるいは、「敵対している別の宗教団体を攻撃すれば天国に行ける」という“観念”をプログラミングすれば、教祖様がイチイチ指示をださなくても、信者たちが自発的に敵対する団体を攻撃してくれるかもしれません。

簡単に言ってしまえば、「洗脳」ですね。


宗教団体の例ですと、少し極端なので、もう少し身近な例を考えてみましょう。

例えば、テレビ番組の内容に大きな影響力を持っている人が、何かしらの新しい商品を流行らせたいと思っていたとします。

CMを出すというのも一つの方法ですが、例えば、こんなことをしてみたらどうでしょうか?

自分が影響力を与えられる綺麗な女優さんとあらかじめ口裏を合わせておいて、「こういうのをスマートに使いこなしている人を見ると、つい『素敵だな』って思っちゃいますよね」などと公の場でコメントしてもらいます。

あるいは、バラエティ番組でイジられ役のお笑い芸人に古い製品を持たせて、「お前には、ソレが似合ってるよ」とイジったりするかもしれません。

いわゆる「ステマ(ステルス・マーケティング)」ですが、このような光景を、繰り返し、繰り返し、お茶の間に届け続けたらどうでしょう?

いつの間にか、人々は「古い製品を持っているのは、ダサい。恥ずかしい。人に見られたくない。」、「新製品を持っているのは、カッコいい。自慢になる。人に見せたい。」というような“観念”を持つようになるのではないでしょうか。

例えば上の例なら、世の男たち(の一部)は、「こういうのを持っていると、女性に素敵って思われるのかな?」と勘違いして、その新製品を買ってしまうかもしれません。

もちろん、女優さんの発言を素直に信じ込んでしまう、ちょっと「お人よし」な感じの人はそんなに多くはないと思います。

しかし、そういうシーンを繰り返し繰り返し見せつけられることによって、「そんなわけない」と思う気持ちもありながらも、心のどこかで「××(古い製品)を使っているのを見られたら、ダサいって思われるのかな~」とか、「そんなに高くないし、○○(新製品)を買ってもいいかな」と思ってしまうことは、誰にでもあることだと思います。

また、本人は影響を受けなくても、周りの人たちが影響を受けて、世の中の風潮が「××(古い製品)を使っている人はダサい」という方向に傾けば、ステマの影響を直接的には受けていなかった人でも、世間体のために仕方なく新しい製品を買うかもしれません。

あるいは、対象顧客が小・中学生くらいの製品だったら、古い製品を使っている子供たちは、「こんな物を持って学校になんて行けない!みんなに見られたらバカにされる!」と言って、新製品を買ってくれるように、必死に親を説得するかもしれません。

こうなれば、あとは放っておいても、一定の割合の人たちは新製品を求めて行列をつくってくれるでしょう。

このように、“観念”をプログラミングする力も、立派な「人をコントロールする力」の1つとなるのです。

観念操作の能力に長けた人が、裏からこっそり、人々を操っているような状態も、【 秩序1.0 】と言えるでしょう。


他にも、探してみれば、「他者をコントロールできる力」は色々あります。

例えば、「弱みを握って『バラされたくなければ、言うことを聞け!』と脅してみる」とか、「自分の“女”を武器にして、男を手玉に取る」などなど、考え始めたらキリがありません。

こういった関係も、「強者が弱者をコントロールする」という関係性が成り立っていますので【 秩序1.0 】と言えるでしょう。

これだけ例をあげれば、おおよそ、【 秩序1.0 】のイメージが見えてきたでしょう。

では次に、もう少し【 秩序1.0 】を掘り下げて、その特徴を探っていきましょう。

【 “和楽の道”が発行する無料メール講座 】

【 秩序1.0 】の成立条件

【 秩序1.0 】の特徴として、まずは、【 秩序1.0 】が成り立つ条件を考えてみようと思います。

【 秩序1.0 】が成立するためには、いったいどんな条件が必要でしょうか?

まず、【 秩序1.0 】が成り立つために絶対的に必要なのは、「強者」と「弱者」の存在です。

当たり前のことですが、弱肉強食の関係性をつくるためには、コントロールする側の「強者」と、コントロールされる側の「弱者」が存在する必要があります。

どちらか一方だけでは、弱肉強食の関係は成り立ちません。

そして、この「強い」「弱い」というのは、単純な腕力のことだけを言っているのではなく、「人をコントロールする力」全般だということは、すでに書いたとおりです。

では、「強者」と「弱者」さえ存在すれば、【 秩序1.0 】が出現するのでしょうか?

これは、必ずしもそうだとは言い切れません。

明確な「強い者」と「弱い者」が存在していたとしても、例えば「強者」が「弱者」の意見を尊重して大切に扱っていたりしたらどうでしょう?

これは力で他者をコントロールする関係ではありませんから、【 秩序1.0 】とは言えないでしょう。

つまり、【 秩序1.0 】が成立するためには、次の二つの条件が必要になるのです。


【 秩序1.0 】 の成立条件
  • 他者をコントロールする意図が存在し、実行に移されていること
  • 強者と弱者が存在すること

秩序維持の方向性

では、このようにして成立した【 秩序1.0 】を維持していこうと思ったら、どのような方向性の努力で、秩序を維持していくことになるでしょうか?

まず思いつくのは、強者が、自分の「強者としての立場」を確固たるものとして固めようとする方向性ですね。

そのために、例えば、自分に権力を集中させてみたり、弱者が力をつけないように抑えつけたりするでしょう。

例えば、独裁国家であれば、「強者」である独裁者に歯向かう可能性のある部下や、知識人などを粛清したり、弾圧したりするかもしれません。

あるいは、「独裁者」を褒め称える神話をつくり、その独裁者が国を治めることの正当性を人々に信じさせようとするかもしれません。

これは、人々の“観念”をプログラミングするということで、一種の洗脳ですね。

国よりも、もう少し小さい規模で、会社組織について考えてみましょう。

ワンマン経営者という「強者」が統治する企業では、経営者の周りをイエスマンで固めることで、経営者の地位を安泰にしようとするかもしれません。

逆らう者には、見せしめとして、絶対に達成できない業務目標が課されたり、僻地への転勤を命じられたりということもあるでしょう。

「ワンマン経営者」を「ワンマン部長」や「ワンマン課長」と置き換えたとしても、同じようなことが言えるでしょう。

あるいは、家族関係においてさえ、「強者」である親が、子供が親に依存するように仕向けることで、「強者」の立場を守り続けようとするかもしれません。

いずれにしても、【 秩序1.0 】レベルの秩序維持の方向性は、「強者」と「弱者」の立場の固定化にあるわけです。

ルールのあり方

それは、ルールのようなものが存在したとしても同じことです。

なぜならば、たとえルールが存在したとしても、【 秩序1.0 】のレベルでつくられるルールは、強者のためにつくられるルールに過ぎないからです。

例えば、「独裁者を批判するような言動をしたら、収容所で強制労働させる」という法律(ルール)がつくられるかもしれません。

次回の記事でもう少し詳しく触れますが、イギリスの「団結禁止法」なども、このレベルのルールに当てはまるでしょう。

なぜならば、「弱者」である労働者たちが団結することを禁止することで、強者の地位を保とうという方向性のルールだからです。

豊臣秀吉が出した「刀狩令」なども、兵農分離を進め、農民(弱者)の力を抑えつけようという方向性ですね。

【 秩序1.0 】の世界では、ルールは「強者が弱者を管理するためのツール」として存在するのです。

自由度

そういうわけなので、【 秩序1.0 】の世界は、恐怖・抑圧・無知などに支配された不自由な世界になりがちです。

ただし、それは支配される「弱者」側の話であって、頂点に君臨する「強者」にとっては限りなく自由な世界とも言えます。

何をしたって咎められることはありませんし、人々に、好き勝手な命令を下すことも出来ます。

【 秩序1.0 】の世界は、圧倒的に自由な「強者」と、理不尽なまでに不自由な「弱者」をうみだすのです。

柔軟性・変化のスピード

次に、【 秩序1.0 】の「柔軟性」や「変化のスピード」について考えてみましょう。

これは、ちょっと説明しないとわかりにくいですね。

例えば、【 秩序1.0 】が支配する世界に、大規模な事故、自然災害、外敵の出現などが起こったとします。

そんな時に、どれだけ柔軟でスピーディーに、その変化に対応していけるのかということが、この項目です。

結論から言ってしまうと、【 秩序1.0 】の「柔軟性」や「変化のスピード」は、そんなに悪くはありません。

正確には、「強者」次第ということになります。

どういうことかと言えば、「強者」が決断してしまいさえすれば、トップダウンで命令を強制できるので、それなりのスピードで柔軟に変化していくことが出来るのです。

ただし、「強者」が決断しなければ物事は何も変わりませんし、「強者」が間違えた決断をすれば「間違った方向」に全力で突き進むことになります。

例をあげて説明しましょう。

例えば、独裁制を布くある国のある化学工場で大きな事故が起こったとしましょう。

その工場からは、危険な化学物質が流出してしまいました。

そんな時、【 秩序1.0 】のレベルでは、独裁者が周辺の住民を逃がす決断をすれば、簡単に周辺住民を逃がすことが出来ます

軍を派遣して、銃口を住民に突きつけながら、避難することを強要すれば逆らえる住民などほとんどいないはずです。

一方で、今回の記事では詳しくは説明しませんが、別の秩序レベルでは、避難がスムーズに進まない可能性もあります。

例えば、その化学工場のそばで農業を営む団体が、「風評被害」を拡大することになるので、あまり大規模な避難計画は立てないでくれ!とプレッシャーをかけてくるかもしれません。

あるいは、その化学工場を所有している企業が、賠償金額の拡大を恐れて、普段から研究費を渡して子飼いにしている研究者たちに命じて、「今回の事故の被害は大したことはありません!安全です!冷静に対処してください!」という大合唱をさせるかもしれません。

このように、【 秩序1.0 】ではない秩序レベルでは、指導的な立場の人が「大規模な避難」を望んだとしても、必ずしもそれをスムーズに実行に移すことが出来ないことがあるのです。(結果として、本来は必要だった避難が遅れることもあるでしょう。)

しかし、【 秩序1.0 】のレベルでは、「強者」の望みは比較的スムーズに実行されます。

たとえ、実際の被害が軽微で「大規模な避難」という判断が間違っていたとしても、【 秩序1.0 】の世界では、マスコミに「独裁者の決断が風評被害を拡大させた!」などと叩かれる心配はないからです。

もし、そんな番組をつくるような者が居れば、彼は、収容所にでも送られてしまうことになるでしょう。

(それが良いとか悪いとかの話しをしたいのではなく、【 秩序1.0 】とは、そのような秩序なのだと説明したいのです。)

これは、会社組織も同じことで、ワンマン社長が支配する会社では、社長の意向は、周囲のイエスマンたちが必死になって強制しようとします。

親子関係だって、子供が親に依存しきっている関係では、子供は口答えすることも出来ずに親に従うことになります。

このように、【 秩序1.0 】の世界では、「強者」の判断次第で、それなりのスピードで柔軟な変化をすることが出来ます。

ただし、「強者」が変化を望まなければ、変化を起こすことは絶望的に難しいですし、間違った方向性の変化を望んだ場合には、変な方向に全力疾走してしまいます。

雰囲気

では次に、このような【 秩序1.0 】が支配する集団がどんな雰囲気に包まれることになるのか考えてみましょう。

まず、【 秩序1.0 】が支配する集団には、恐怖や抑圧の雰囲気が漂っているでしょう。

これは、説明するまでもありませんね?

独裁者に脅える「弱者」たちは、多くの場合、恐怖心から支配されているわけです。

その雰囲気は、どんなものになるでしょうか?

やっている本人たちも好きでやっているわけではないと思うので、例にするのは申し訳ないのですが、例えば、 北朝鮮のマスゲームのような雰囲気が典型的でしょう。

何百、何千もの人々がつくりだす、一糸乱れぬ完璧な秩序。

でも、そこで見られるのは、一人ひとりの輝きを失った、まるでロボットのような機械的な秩序です。

満面の笑みを浮かべていても、目だけは笑っていません。


他にも例えば、資本家(会社)の言いなりになるしかない労働者たちは、「どんなに嫌でも、この会社を追い出されたら生きていけない」と恐怖しているでしょう。

弱みを握られ「バラされたくなかったら言うことを聞け」と脅されている人も、当然、秘密をバラされることを恐れています。

このように、【 秩序1.0 】の雰囲気を象徴する1つのキーワードは「恐怖」や「抑圧」になります。


しかし、このような光景は、【 秩序1.0 】の中でも比較的単純なレベルで見られる光景です。

【 秩序1.0 】が、もう少し巧妙になってくると、恐怖や抑圧の雰囲気は見えにくくなって来ます。

例えば、上で、【 秩序1.0 】の例として、“観念のプログラム”を書き換えてしまうという方法を紹介しました。

このような洗脳的な方法で支配されている人々(弱者)は、必ずしも、恐怖心から支配されているわけではありません。

例えば、本人が「よかれ」と思ってしている行動が、実は「強者」によって埋め込まれた“観念”のプログラムによって「良いことだ」と思い込まされていることだってあり得るのです。

ここまで巧妙になってくると、その雰囲気も千差万別になってきますので、ここでは簡単に、「自分を失った人々」とだけ表現しておきましょう。

どの場合にも共通しているのは、「弱者」は自分の“意志”を発揮できず、誰かにコントロールされているということです。

まとめ

では、最後にまとめです。
今回の記事書いてきた内容を、簡単に振り返ってみましょう。


【 秩序1.0 】とは?
  • 「強者」が「弱者」をコントロールするような関係性
  • ただし、ここで言う「強い」「弱い」という言葉は、「他者をコントロールする力の強さ」を表わす。

【 秩序1.0 】の成立条件
  • 他者をコントロールする意図が存在し、実行に移されていること
  • 強者と弱者が存在すること

秩序維持の方向性(【 秩序1.0 】)
  • 「強者」と「弱者」の立場の固定化

【 秩序1.0 】のルールのあり方
  • 「強者」が「弱者」を管理するためのツール

【 秩序1.0 】の自由度
  • 圧倒的に自由な「強者」と、理不尽なまでに不自由な「弱者」

【 秩序1.0 】の柔軟性・変化のスピード
  • 「強者」が決断した方向への変化は比較的スムーズに起こる
  • 「強者」が変化を望まない場合には、変化を起こすことは非常に難しい
  • また、「強者」が選んだ方向性が間違っていても、歯止めが効かずに突進してしまう

【 秩序1.0 】の雰囲気
典型的な雰囲気 : 恐怖、抑圧、無力感、無知、自分を失った人々、洗脳
ひとことで言えば : コントロール


次回予告
次回は、【 秩序2.0 】について考えていきます。

秩序2.0 ― 綱引きの均衡


warakunomichi