同じ人生なら、後悔しないような人生を送りたい! おそらく誰もが、人生の最期に後悔するような人生ではなく、幸せに満たされた最期を迎えられるような人生を送りたいと思っているでしょう。
『
死に出会うとき、あなたは何を後悔するのだろうか?』という記事では、人生の総決算といってもいい死を迎える瞬間に、多くの人が後悔することについて書きました。
そして、そんな後悔を避けるためのポイントは、今すぐに“
小さな一歩”を踏み出すことにあるということを書きました。
今回は、このことについてもう少し詳しく書いてみたいと思います。
後悔しない生き方の秘訣――“小さな一歩”とは?
ではまず最初に、この“小さな一歩”の意味をもう少し詳しく説明しておきましょう。
私が、この“小さな一歩”という言葉を使うとき、その意味は、
安心して踏み出せる範囲の小さな一歩を、素早く踏み出す というような意味になります。
しかし、このように書くと、例えば、
- “安心して踏み出せる範囲”なんて弱気なことを言っていないで、大きな一歩を目指した方がいいのでは?
- あまり焦らないで、しっかりと時間をかけて十分な準備をしてから一歩を踏み出したほうがいいのでは?
というような反論があるかもしれません。
まずは、これらの疑問に答えることから始めてみましょう。
“大きな一歩”と“小さな一歩”
例えば、あるところに自然食のカフェを開きたいと思っている人がいたとしましょう。
彼が、その夢に向かって踏み出せる“大きな一歩”や“小さな一歩”にはどのようなものがあるでしょうか?
画像:“PhoTones Works #2378” by Takuma Kimura 例えば、今の仕事を辞め、大きな借金をして、店を開業するなどという場合は、大きな一歩に当てはまるでしょう。
もし、この“大きな一歩”を踏み出したとしたら、彼はどうなるでしょうか?
もちろん、その店の経営が上手くいけば何の問題もありません。
しかし、カフェといえば飲食業の中でも特に経営が難しいと言われています。
場合によっては、予定していたような利益が出ないということもあるでしょう。というよりもむしろ、そのような場合がほとんどかもしれません。
店は赤字で続ければ続けるほどお金が出て行く一方。それにも関わらず、借金の返済日だけは定期的にやってくる……。
そんな想像もしたくないような状態に陥ってしまうということもあるかもしれません。
そして最悪の場合には、店も、今の生活も失ってしまうという可能性も否定はできません。
では彼は、大きなリスクを背負って開業するか、夢を諦めるかのどちらかを選ばなければならないのでしょうか? そんなことはありません。
最初は、“小さな一歩”から始めればいいのです。 “小さな一歩”から始めれば、失敗を恐れる必要はない
では今度は“小さな一歩”について考えてみましょう。
例えば彼は、半日くらいの時間を使ってインターネットで
「カフェを小さくスタートさせること」 について調べました。
すると、“レンタルカフェ”というサービスを見つけ、実際にそのサービスを利用することにしてみたとします。
(ちなみに、レンタルカフェというサービスは、キッチンや客席などの喫茶店に必要な一通りのスペースを、数時間とか1日の単位でレンタルできるサービスです。立地や広さで価格は変わりますが、1時間当たり数千円くらいが相場なようです。) 彼は、このレンタルカフェを使用して、週末に1日だけ店を開いてみることにしました。
もし、その結果が期待できるものであれば、定期的にレンタルカフェで店を開きながら、本格的な店をオープンするための準備をすすめればいいでしょう。
画像:“PhoTones Works #2244” by Takuma Kimura しかし逆に、もし最初の1日の結果が期待通りのものではなかったらどうでしょうか?
その場合でも、彼の生活に特に問題は起こらないでしょう。 これまで通りの収入もありますし、返済しなければならない借金があるわけでもありません。 もちろん、準備期間+店を開いた1日という時間、そして赤字分のお金は失ってしまったように見えるかもしれません。
しかし、レンタルカフェのようなサービスを利用した1日限りの営業であれば、赤字になってしまったとしてもその額は知れています。
大きな借金をしたわけでも、これまでの仕事を辞めてしまったわけでもありません。
現在の社会で普通に生きている日本人であれば、そのくらいのことで生活に悪影響が出るということもないでしょう。
むしろ、今のところは一日だけの体験だったとしても、悪くても海外旅行よりもはるかに安い値段、多くの場合は国内旅行と同じかそれ以下の値段で、自分の夢を生きる体験ができたのですから、最初は旅行に行ったと割り切ってしまえば安いものでしょう。
画像:“ANA B767-381 (JA8368) @ UKB/RJBE” by Hideyuki KAMON
さらに言ってしまえば、失ってしまったように見える時間とお金は、通常の旅行のように「その時間を楽しむために使った」と思えば確かに消費されてしまいます。 しかし、「自分の夢を生きるための準備に使った」と考えれば、その時間とお金はただ単に投資されただけであり、いずれ回収することも出来ることに気づくでしょう。 「心の余裕」が、望み通りの人生へと導く
そしてこの準備期間を、借金を背負った後に引けない状態で過ごすのか、あるいは「旅行に行っただけ」くらいの軽い気持ちで過ごすのかには大きな違いがあります。
新しいことを始めれば想像もしていなかった問題点に出会うというのは当然のことであり、むしろ全てが順調に進むことの方が珍しいくらいのことでしょう。
それは、借金をして自分の店を開いた場合でも、レンタルカフェで1日だけの営業をしてみた場合でも同じです。
しかし、その問題点に出会うという体験を、心に余裕がある状態でするのか、心に余裕がない状態でするのかには、本当に大きな違いがあります。
心に余裕があるときに出会う問題点には、創造的で、より自分の人生を望む方向に進めるような解決策を見つけ出すことが出来るかもしれません。 そんな時、出会う問題点は、あなたをより望む人生へと導くきっかけであり、問題点というよりもむしろ改善点と言うことができるでしょう。 逆に、心に余裕がなく追い詰められた精神状態のときに出会う問題には、短絡的な視点で、将来的には自分の人生を損なうような対処をしてしまうかもしれません。 そんな時、その問題点は、あなたを理想の人生から引き離す罠になってしまったと言えるでしょう。 例えば、初めての営業日のお客さんの人数が絶望的に少なかったとしましょう。
もし借金を背負い、仕事を辞め、後に引けない状態で、精神的に追い詰められながらこんなことが起こってしまったらどうでしょう?
ほとんどの人は、焦ってしまい、冷静に対処することは難しいでしょう。人によってはパニック状態になってしまうかもしれません。
一方で、1日限りの週末の営業だったら、どうでしょう?
もちろんショックはショックでしょうが、週が空ければいつもの仕事があり、収入の心配は必要ありませんし、返済しなければいけない借金があるわけでもありません。
落ち着いて、自分が望む人生に近づく為の新しい“小さな一歩”を踏み出すことが出来ます。
例えばそれは、自分の自然食へのこだわりをブログに書いて、自然食に興味がある人とつながることかもしれません。
そして、そのような人たちとのつながりをつくったうえで、また店を開いてみるということが出来ます。
あるいは、その分野で既に有名な人に公演やワークショップの開催を頼み、その会場として自分の店を利用してもらうという手もあるでしょう。
そうすれば、既に自然食に興味を持っている人を集めることが出来ます。
他にも、創造性を働かせれば、いくらでも手はあるはずです。
(この創造性をはたらかせて人生を切り拓いていくということについては、当サイトで無料公開中の物語『真実の人生』を読んでいただくと、より深く理解していただけるのではないかと思います) 「余裕のない気持ち」が人生を損なう
重要なのは、いつでも後に引き返せる状態であれば、気持ちに余裕を持って、新しい“小さな一歩”を次々に踏み出すことができるということです。
逆に、日に日に資金が減っていく一方で、借金だけは残っているような精神的に追い詰められた状態で、このように積極的な動きがとれるだけの気持ちの余裕をもてるでしょうか?
そんなとき人は、無謀な安売りに走り、自分で自分の首を絞めるような行動をとってしまうかもしれません。
あるいは、自分がやりたいことである自然食というコンセプトに自信が持てなくなり、それを諦めてしまうかもしれません。 そして、このように「内なる情熱」を無視した生き方に舵を切るにつれて、目標を達成しても幸せが得られないばかりか、人生の最期に後悔することにすらつながってしまいます。 さらに言ってしまえば、こんな状態に陥ってしまうかもしれないというリスクと不安を感じながら、“大きな一歩”を踏み出すことができる人がどれだけいるでしょうか? 多くの人にとっては、最初から“大きな一歩”を踏み出さなければならないとすると、最初の一歩すら踏み出すことができないのではないかと思います。 もちろん、「背水の陣」を敷いて自分を奮い立たせるということも時には必要かもしれません。
しかし、無理やりやる気を引き出そうとするよりも、自分の内なる情熱から自然に湧き出るやる気に従うことの方が、より自然な人間のあり方ではないかと思います。
「セーフベース」――安心感がもたらす効果
このことについて、もう少し客観的な意見も取り入れながら考えてみましょう。
例えば、『
新しい現実の萌芽!“真実の人生”が当たり前の世界へ』という記事でも紹介した
天外伺朗さんは、著書『マネジメント革命』のなかで、次のように語っています。
ちなみに、私が読んだのはハードカバー版ですが、現在は絶版になっており、新しく文庫版が出ているようです。
この「安心感」は、人が脇目もふらずに全力疾走するときに不可欠だ。
――良い上司のひとつの条件が、安心して逆らえる人だ。上司が冷たい評価の眼で見ていると思ったら、全力疾走も冒険もできず、燃える集団もできない――
このことは「セーフベース」という概念で説明できる[※引用者注]。
たとえば、母親の膝の上の赤ちゃんは、いままで知らなかった新奇のものにさかんに興味を示す。ところが自分が完全に守られて安全だという確信が持てないときには、既知のものにしか興味を示さない。
これは成人でも同じだ。
――一般に人は、自分の立場が安全だという確信が持てないと、新奇なものや高い目標に挑戦しなくなる。結果がわかり切っている平凡な仕事しかしなくなってしまうのだ。これは、成長しようとする企業には致命的だ――
※引用者注:「ジョン・ボウルビィ『母と子のアタッチメント―心の安全基地 』二木武監訳、医歯薬出版、1933」を参照しての記載
天外伺朗著 「マネジメント革命」講談社(2006年)P.48~49より
また、天外さんの別の著書『運命の法則』には、次のように書かれています。
バブルが崩壊し、経済の低迷が長引くと、各社は一斉にリストラに走り、能力給の導入に踏み切った。
もはや会社は、従業員にとって安心して身をあずけられる存在ではなくなった。まさに日本型の経営スタイルが、ガラガラと音を立てて崩壊したのだ。
ところが不思議なことに、人事や業績の評価を精緻にすればするほど、会社全体の活力が下がってしまった、という声をよく聞く。
活性化のための施策が、まったく逆効果だったケースがかなりあるのだ。
天外伺朗著 「運命の法則」飛鳥新社,ゴマブックス(2008年)P.75~76より
このこと自体は、当サイトの以前からの読者の方であれば、特に驚くことではないでしょう。
参考記事をあげるときりがないので、ここでは特に特定の記事を紹介することはしませんが、外発的動機付けのデメリットについては記事をいくつも書いてきました。
それらを読んだ方であれば、“厳格な成果主義”、“「アメとムチ」による秩序”がどのような結果を招くのかは、容易に想像することができるでしょう。
もし興味がある場合は、
「外発的動機」タグのついた記事を一通り読んでみることをおすすめします。
しかし天外さんは、外発的動機の観点ではなく、上で紹介した「セーフベース」の観点からもこのことが説明できるといいます。
日本型経営の崩壊とともに、人々は「セーフベース」を失ってしまった。浮足立って、気持ちが萎縮し、冒険できなくなってしまったのだ。この力学が作用すると、経営者が社内を競争状態にすればするほど、その企業の活力は低下する、という図式が見える。
天外伺朗著 「運命の法則」飛鳥新社,ゴマブックス(2008年)P.77より
(ちなみに天外さんは、かつての日本型経営に見られるような、依存したがる従業員と、依存させたがる会社や上司というような低レベルの関係を推奨しているわけではありませんので、念の為補足しておきます。) 結局何が言いたいのかといえば、
“大きな一歩”を踏み出す場合に比べて、“小さな一歩”を踏み出すことの方が、気持ちに余裕を持つことが出来、自分が望む人生に向かって、より積極的に“小さな一歩”を踏み出し続けることができる ということなのです。
そうして、“小さな一歩”を踏み出すたびに見えてくる改善点に取り組んでいけば、着実に自分の店を持てる日が近づいてくるでしょう。
また、実際に起こる問題点への対応が済んでいれば、いざ自分の店を持っても、経営が上手くいかずに店を手放すことになってしまったというようなことも起こりにくいでしょう。
逆に、不安を抱えながら“大きな一歩”を踏み出しても、萎縮してしまい、創造性が低下し、「アメとムチ」の罠にかかってしまう可能性が高まってしまうのです。 “経験の力”は、想像力と言葉の限界を突破する
では次に、“大きな一歩”を急いで踏み出すのでもなく、“小さな一歩”を繰り返して踏み出すのでもなく、“十分な準備”をして“大きな一歩”を踏み出すような場合はどうなのでしょうか?
まず一ついえるのは、一度も経験のないことについて十分な準備をしようと思っても、それはとても難しいということがあります。
一度も経験のないことなのですから、
- こうすれば、ああなるだろう
- こういうことに備えて、こんな準備をしておこう
- 本に書いてあったから、こうしよう
などと、頭の中でいろいろとシミュレーションをしたり、その分野ですでに経験がある人の意見を取り入れて、準備をすることになるでしょう。
しかし、人間の想像力にも、言葉による情報伝達にも限界があります。 想像してみてください。
あなたの目の前に、生まれて初めて目にする果物と、その果物についての本10冊分にも及ぶ詳しい資料が置かれています。
そしてあなたは、この果物の味を知りたいとします。
どんなに色や形から頭で味を想像してみても、本10冊分に及ぶ資料を読んでも、その果物の本当の味を知ることは非常に難しいでしょう。
色や形から甘い味だろうと想像しても、実際に食べてみるとすっぱかったということもあるかもしれません。本には「酸味のある甘みがある」などどと書かれているかもしれませんが、そんな言葉による説明ではよくわかりません。
しかし、本を10冊読んでもわからないような味も、一口、その果物を口にしてみればすぐにわかります。
レモンを1度でも口にしたことがある人であれば、「レモンの味を想像してください」と言われれば簡単に想像することができるのです。 これが経験の力です。 画像:“Lemon” by Moyan Brenn 同じように、何かを始めようと思った時、頭の中だけでいくら想像を膨らませて完璧な準備をしたつもりになっていても、実際にやってみると、まったく想像もできなかったトラブルが発生するということがよくあります。
逆に、“十分な準備”をしている間に、“小さな一歩”を積み重ねることは、実際にやってみなければわからない経験の力を手に入れることになるのです。 そうすれば、本を10冊も読むという膨大な準備時間をかけて甘いと結論付けた果物が、実はすっぱかったというようなこともなくなります。
私たちの人生に与えられている時間は限られていますし、物事には始めるべきタイミングがあります。
“十分な準備”をするためにあまりに時間をかけてしまうと、その貴重な時間とタイミングを失ってしまいかねません。
本を10冊も読んでいるうちに、いざ果物を口にしようと思った時には、果物が腐ってしまっているということもあり得るのです。 “十分な準備”のさらなる問題点
“十分な準備”をしようとすることには、
- 実際に体験してみなければ、そもそも現実的な準備をすることは難しい
- 見当はずれな準備をするために、余計な時間やエネルギーを使ってしまい、貴重な時間とタイミングを失ってしまうことにもつながる
という問題があることはわかりました。
しかし、問題はこれだけではありません。 例えば、カフェをやりたかった彼が、“十分な準備”をして自分の店を開いたとしましょう。
資金を集め、市場調査をして、想定される客単価・回転率・原価率などをもとに損益の計画をたて、プロモーション・宣伝の戦略もしっかりと立案します。そして、求人誌にアルバイトの募集をかける戦略も練り、教育マニュアルを作成し……。
そうして彼は、忙しい普段の仕事を続けながらも、何年間もの時間をかけて“十分な準備”をして、ようやく開店にこぎつけました。
そして、幸いなことに、想像もしていなかったトラブルを乗り越えることもでき、店の経営も安定軌道に乗せることができたとしましょう。
しかし、もしそこで
「自分はカフェ経営は格好いいという幻想に憧れていただけで、本当はそんなにやりたいわけでもなかった」 ということに気づいてしまったらどうでしょう?
そんなとき、彼の貴重な何年間もの時間はどうなってしまうのでしょうか?
もちろん、ここまで極端なことは少ないと思いますので、もう少し現実的な例もあげてみましょう。
店を開いてみると、上で書いたような「自分の店にその道の第一人者を呼んで、講演やワークショップを開く」というアイディアがわいてきたとしましょう。
そして、実際にそのアイディアを試してみると、普通の店をやるよりも、共感できる人を読んでイベントを開くことのほうに情熱を感じている自分に気づくかもしれません。
ところが店は、そういうイベント開くには向いていないつくりになってしまっています。
本音では、店の改装してイベント開催に特化した店につくり変えたいところですが、それなりのお金をかけて開いたばかりの店に、また大規模に手を入れるだけの余裕はありません。 例えばこんなことであれば、起こってしまってもまったく不思議ではないでしょう。
しかしもし、レンタルカフェのようなサービスを利用して“小さな一歩”を積み重ねて、経験を重ねていたらでょうでしょう? - ただカフェ経営は格好いいという幻想に憧れていただけだったと気づいてしまう
- 本当はこんな工夫をした店を開きたかったのにと後悔する
大変な時間とお金をかけて店を開いた後に、こんな思いをする可能性も大幅に下がるでしょう。
安心して踏み出せる範囲の小さな一歩を、素早く踏み出す
とはいえ、もちろん私は準備などしないで、強引に前に進んでいった方がいいと言いたいのではありません。
私が言いたいのは、最初から“大きな一歩”を踏み出そうとして、必要以上に準備に手間や時間、お金などをかけないということです。
“小さな一歩”を踏み出す為に必要な準備は、当然しっかりとする必要があります。 特に意識した方がよいと思うのは、“小さな一歩”を踏み出しても大きな怪我をしないための準備です。 子供が自転車に乗れるようになるときのように、小さなすり傷をつくりながら前に進むことは必要なことだと思いますが、大きな怪我をしないような準備は大切です。
例えば、先ほどの果物の例でいえば、その果物が猛毒を持っていたら、味見のつもりで口にしてしまったとしたら大変なことになってしまいます。
ですから、本10冊分の資料をすべて読む必要はありませんが、毒性やアレルギーがなく人が口にしても問題がないことを確認してから口にしたほうがいいでしょう。
喫茶店の例であれば、「上手くいけば返せるかもしれない」というレベルの無謀な借金をしてしまうとか、食品衛星責任者が居ない状態で店を開いてしまうなどが当てはまるでしょう。
このような大きな怪我をしてしまわないような最低限の準備をしておくことは、とても大切なことだと思います。
無理をして“大きな一歩”を踏み出そうとするのでもなく、必要以上に時間をかけて“十分な準備”をするのでもなく、「安心して踏み出せる範囲の小さな一歩を、素早く踏み出す」ことが大切なのです。 あなたが踏み出す“小さな一歩”
今回の記事では、『
死に出会うとき、あなたは何を後悔するのだろうか?』という記事をうけて、後悔しない人生を生きるためのポイントとして“小さな一歩”について書いてきました。
画像:“Footsteps” by The Shopping Sherpa では、これをあなたの人生に当てはめたどうなるでしょうか?
あなたが、より満たされた人生を生きるためには、いま、どんな“小さな一歩”を踏み出す必要があるでしょうか? 準備ばかりに時間をかけている暇はありません。いま、“小さな一歩”を踏み出すことが大切なのです。 何も思い浮かばなければ、少しの時間を使って自分の人生について考えてみることや、ヒントになりそうな本を読んでみたり、誰かに相談してみることも立派な“小さな一歩”です。
もちろん、このサイトの他の記事を読んでみることや、『
真実の人生』を読んでみることもおすすめです。
さあ、新たな“小さな一歩”を踏み出しましょう!