人生で迷った時、あなたはどうやって進む方向を決めますか……? たったひとつの選択が、人生を変えてしまうということがよくあります。
そんな大切な選択を、いったいどうやって決めればいいのでしょうか?
今回は、“
あなたにとっての理想の方向”を見つける方法について考えてみたいと思います。
あなたに与えられた選択肢は……
ではここで、少し考えてみてください。
あなたがこれからとることのできる行動には、いったいどんなものがあるでしょうか?
目を閉じる、伸びをする、深呼吸をする、食事にする、寝る、海に行く、ふと思い浮かんだ誰かに電話をかけてみる、突然踊りだす……etc。
本当にその行動をしたいのか? / したくないのか?
できるのか? / 現実的には難しいのか?
そういったことは一旦わきに置いておくこととして、
可能性だけを考えるとすれば、あなたの行動には360°、それこそ無限の選択肢が用意されていると言えます。
人生は選択の連続
そして私たちは、いついかなるときも休むことなく、それらの無限の可能性の中から、なにかしらの可能性を選んで行動しています。
じゃあ、何もしないでボーっとしているときは……? そんな疑問もあるかもしれませんが、そんな時は「何もしないでボーっとする」ことを選んでいるのです。
そんな風にして私たちは、無限の可能性の中から、ひとつの可能性を選ぶということを繰り返しながら、人生をつくりあげていきます。
それは、
決して悩んでいる時や、迷っているときだけのことではありません。
人生は、いつでも選択の連続なのです。
無限の選択肢に含まれる可能性
ところで、そうやって次々とやってくる選択の1つ1つに注目すると、360°無限の可能性のなかでも、もっとも理想的な方向――
あなたの人生に幸せや充実感を与え、ムリをせずに自然体のままで生きられる方向――が間違いなく存在しているはずです。
“ありのままの自分”で生きられる方向。
自分自身の本質ともっとも調和した方向、ムリや不自然さ・ぎこちなさを生じさせない方向。 そんな風に言ってもいいでしょう。
たとえ、その方向がどちらなのかわからなかったとしても――。
その先にはどんな現実が待っているのか想像することもできなかったとしても――。
無限の可能性のなかには、必ず、その中でもっとも理想的な現実につながる選択肢が含まれているはずなのです。
これは、誰にも否定することはできないでしょう。
ひとりの例外もなく、その人に与えられた選択肢の中には、最善のものが含まれるはずです。
そして、ここで思い出していただきたいのは、
▶ “あなたが本当に満たされて生きることは、他の誰かを満たすことにもつながる” ということです。
なにが言いたいのかといえば
、無限の可能性の中には、あなたにとっても、あなた以外の誰かにとっても、この社会、人類、地球、宇宙にとってさえも、もっとも理想の現実とつながる道――和楽の道――が含まれているということです。
使命を見つける、天命を生きる……。
難しいことを言う人もいますが、それって結局は、こういうことなのではないかと私は思っています。
【 参考記事 】
理想と現実の狭間
無限の可能性の中には、自分自身のためにも、他の誰かのためにも理想の選択肢が含まれているということはわかりました。
しかし、次々とやってくる選択の瞬間に、無限の選択肢の中から理想の選択を選び続けるというのは、並大抵のことではありません。
私たちが現実に選ぶ方向は、もっとも理想的な方向とはズレをもっていることがほとんどなのです。
そして、そのズレが小さければ理想に近い毎日を過ごすことができ、ズレが大きければ、その分だけ望まない体験をすることになります。
理想の方向を見つける方法
では、いったいどうやってどうやって理想の方向を見つければいいのでしょうか……?
私たちが、なにかを選ぶとき、よく使うのは
思考の力です。
しかし、
頭で考えながら選んでいたのでは、とても間に合いそうもありません。
なにせ、選択肢は無限大。
たった1つの選択でさえも、私たちの思考の力だけで、最高の選択を選び出すことは至難の業でしょう。
しかも、選択の瞬間は、次から次へとやってきます。
理性や論理の力だけで、理想の選択肢を選び出すことは不可能に近いと言えるでしょう。
そもそも、少し考えてわかるようなものなら、既に誰もが理想の方向を見つけているはずです。
そうだとすれば、こんな記事は誰にも読まれることはないでしょう。
では、いったいどうすればいいのでしょうか?
その答えは簡単には見つかりそうもありません……。
と思いきや、答えは既に書かれている!?
しかし、簡単ではないにせよ、少しでも理想に近い方向を見つけるために役立つ方法がないわけではありません。
それどころか、そんな方法の中の1つは、実はすでにこの記事の中に書かれています。
「思考の力」のことではありません。
(もちろん「思考の力」も、それだけでは頼りないことは既に書いた通りですが、役に立つ力のひとつではあるでしょう。しかし、いま私が言いたいのはそのことではありません。) どうですか?
何のことをいっているのかわかりましたか……?
迷ったときの道しるべ。それは……
もったいぶっていても仕方がないの、答えを書いてしまいましょう。
先ほど、
理想の方向から外れれば、ズレた分だけ望まない体験をすることになると書きました。
これを逆手にとれば、
望まない体験をした分だけ理想からズレているのだ と逆算することができます。
そうです。
あなたが味わった“望まない体験”は、あなたが、あなたにとっての理想からズレていることを知らせるメッセージなのです。
“望まない体験”こそが、理想の方向を教えてくれる“道しるべ”なのです。 よく使われる例えではありますが、
闇がなければ光を認識することはできません。
快適な部屋から一度も出たことがない人は、暑さや寒さを知ることはできません。
人間万事塞翁が馬。禍福は糾える縄の如し。 理想から外れることによって、自分にとっての理想を知ることができるということもあるのです。 あなたの感覚を味わってみてください
あなたが、
いま感じていることを深く味わってみてください。
他の誰かの価値基準ではなく、あなた自身の曇りない感覚で味わってみてください。
誰かの価値基準によって見つけることができるのは、“誰かにとっての理想”でしかありません。
あなた自身の感覚を味わう。
それが、あなたにとっての理想の方向を見つけることへとつながります。
しかし、それは簡単なことではありません。
なぜならば、
“望まない体験”を味わうなんて、文字通り楽なことではないからです。
こんな記事を書いている私自身だって、難しさを感じています。
ついつい、本当は“望まない体験”をしているのにもかかわらず、
“望まない体験”をしているのを気づかないふりをしてみたり、
“これを望んでいたんだ”と自己正当化をしてみたり、
誤魔化すように“見せかけの楽”に心奪われて現実逃避をしてみたり、
それが誰かのための自己犠牲なんだと
“和を取り繕って”自分を納得させてみたり……。
そんな風にして、“望まない体験”と真正面から向き合うことから逃げてしまうこともあるでしょう。
しかしもし、あなたが
感じることを恐れ、目を向けることを拒み、感覚を抑圧するのなら、いつまでたってもあなたの理想は見えぬまま。
望まない体験は、ただの嫌な経験として終わることになります。
実は、私が度々“
小さな一歩”を踏み出そうと言っているのには、そんな意味も含まれています。
小さな一歩を踏み出せば、たとえその方向が理想からズレていたとしても、そのズレから理想を知ることにつながるからです。
また、その一歩が小さいものであれば、
理想からのズレによって生まれる“望まない体験”も小さくなるでしょう。
不思議な矛盾
しかし、よく考えてみると、すこし不思議な感じがします。
360°無限の可能性の中には、もっとも理想的な方向がある。
けれどもその一方で、理想の方向から外れることが、理想の道を見つけることへとつながることもある。 …………。
ということは、
すべての道が理想の道ということはできないでしょうか。
結局のところ、人生に失敗はないのかもしれません。
先ほど、“小さな一歩”を踏み出すことをお勧めしました。
しかし、
“大きな一歩”を踏み出して、激しい感情の振れ幅を味わうことも決して悪いことではないかもしれません。
それによって、
より早く理想の方向を知ることができるかもしれません。
同様に、
“一歩も踏み出すことなく”現状維持を続けることで感じる感覚を味わうことが役に立つこともあるでしょう。
もちろん、
“小さな一歩”をたくさん踏み出すことも、また然りです。
大きな視点から見れば、すべての道が理想の道。 どんな選択も、あなたの意志次第で、理想の道へとつなげることができる――。 人生とは、案外そんなものなのかもしれません。
<補足> もちろん、望まない体験から理想の方向が見えたとしても、その理想の方向に進むのが難しいということもあるでしょう。
このことについては、とてもひとつの記事にまとめられるような話ではありませんので、これからも様々な記事で少しずつ考えていければと思っています。
また、過去の記事や、公開中の物語「
真実の人生」なども参考になると思いますので、よろしければ参考にしてみてください。
また、最後に蛇足ではありますが、今回の記事では、もう3年以上前のことになりますが、2011年の4月に仲間内で行った勉強会(?)向けにつくった資料に少し手を加えた画像を多数転用してみました。
そのため、今回の記事では、いつもより視覚的にわかりやすくなったかな?と思っているのですがいかがでしょうか?
視覚化しやすいテーマ / しにくいテーマがありますし、それなりに手間もかかりますので、どこまで対応できるかはわかりませんが、今後はビジュアル面にももう少し気を使った記事を書いていければと思っています。