世界的大企業に長年勤め、管理職の地位にも就いていた彼が。まさか……。 今から書く出来事は、
私の知り合いの男性に実際に起こった出来事です。
(そのまま書くわけにはいかない部分は、一部修正を入れてあります。)
彼は、
少し堅実で真面目な性格の、ごくごく普通の男性でした。優秀な人ではありましたが、“変人”レベルの天才というわけでもなく、誰もが認める問題児というわけでもありません。
そう。これは、
ごくごく普通の生活を送っている、どんな人の身にも起こる可能性のあることなのです。
彼は、日本国民なら誰でも知っているどころか世界でも屈指のブランド力を持つ、ある日本のメーカーに勤めていました。彼はその会社に長年勤め、課長の職にも就いていたといいます。実態の伴わない「部下なし課長」ではなく、本来の意味での課長さんです。
彼には、技術力も新しいことを学ぶ意欲もありました。建前と現実のバランスを見ながら計画を立てることも出来れば、コミュニケーション能力や人間性にも特筆すべき問題はありません。それどころか、誰もやりたがらない面倒な仕事を自分から進んで引き受けて、全体のために貢献してくれるような方ですらありました。
(これはちょっと小耳にはさんだ程度の話ではなく、年レベルの期間にわたって、彼と一緒に仕事をしたことのある私が実際に感じたことです。)
しかし、彼は、その世界的大企業を去ることになりました。 あまり詳しいことは聞かなかったので正確なことはわかりませんが、リストラにあったであろうことは、まず間違いないと思います。
そして、その会社とは比べることも出来ないくらいの小さな会社に移ることになりました。
売り上げ規模で言えば、兆レベルの会社から、二桁億レベルの会社へと移ることになったのです。
新しい会社での立場は、
管理職どころか正規社員ですらありませんでした。
もしこれが、親会社から子会社への出向であれば、部長クラスの待遇だったかもしれません……。
そして、さらにその数年後。彼は、
その小さな会社すら、契約が更新されずに去ることになってしまいました。
本人はまだ働くことを希望していたにもかかわらずです。
しばらくして連絡を取ったときには、彼は
失業手当で暮らしていると言っていました。
繰り返しになりますが、彼は決して社会人として問題のある方ではありませんでした。
しっかりとした技術力も、新しいものを学ぶ意欲もありました。私も、彼にはとてもお世話になりました。
交渉事などもそつなくこなすコミュニケーション能力や、全体の中で必要であれば面倒な仕事でも自ら引き受ける献身性、さらには自社の工程に顧客企業が乗り込んでくるような修羅場(詳細は書けませんが、一般的によくある監査のレベルではありません)を乗り越えてきた経験もありました。
しかし、そんな彼もその企業を去ることになり、さらにその数年後には失業手当で暮らすこととなりました。
さらに言ってしまえば、彼は、私が身近に見てきた人の中でもほんの一例でしかありません。彼と同じような境遇に会った方を、私は身近に何人も見ています。
もちろん、私は、大企業に勤めてバリバリ働くことこそが人生の成功なのだと主張したいわけではありません。
それは、以前からの“和楽の道”読者の方であれば、よくご理解頂いていると思います。
しかし一方で、多くの方が、人生に経済的な安定を求めていることもまた事実です。
経済的な安定は、人生に平“和”をもたらし、“楽”しく、“和”やかに生きることを助けてくれるでしょう。
では、
いったいどうすれば、経済的な安定を手にすることができるのでしょうか? 大企業勤務も、“つぶしの効く資格”も、安定の条件には弱すぎる
大企業に長年勤め、課長職の立場にまでなるということは、以前の日本であれば、決して大出世というわけではないにしても、まさに安定の代名詞と言える、ささやかなサクセス・ストーリーの1つでした。
しかし、そんなサクセス・ストーリーに乗っかっていた人ですら、ある日を境にその安定を失ってしまうということが、今では決して珍しいことではなくなりました。
そして、そんな目に会う人は決して少ない人数ではないことも、ご存じのとおりです。
もちろん今でも、小さな企業に比べれば、大企業は相対的には安定しているようには見えますので、少しでも安定した人生を送りたいと思っている方の中には、大企業勤務を望む人も少なくないでしょう。
あるいは、安定を求めて資格取得や語学のに打ち込む人もいるかもしれません。
しかし、です。
実は、
そうやって大企業にしがみつくことや資格や語学の習得に邁進することこそが、ある意味では自分から安定から離れていくような行為なのだと言ったとしたら、あなたは驚かれるでしょうか……?
「いや、まさか……」
そんな声も聞こえてきそうですが、実はコレ。あながちウソでもないのです。
もちろん、大企業勤務や、資格や語学の習得も、経済的な安定を手にすることを助けてはくれるでしょう。
けれども、
経済的な安定の条件としては、少し弱すぎるのです。
大企業に長年勤め、管理職にも昇進し、真面目に能力を高める努力をしていた人ですら、その職を失ってしまうことがあるのは既に書いた通りです。
では、いったいどうすれば本当の安定が手に入るのでしょうか?
今回の記事では、そんなテーマについて考えてみたいと思います。
もしかしたら、
記事の途中で将来に不安を感じたり、暗い気分になってしまうこともあるかもしれませんが、それを乗り越えていくための方法についても触れていますので、是非最後までお読みください。
仕事とは何か?
ではまず最初に、「仕事」とか「働く」、「お金を稼ぐ」などといったようなことが、いったい何を意味しているのか考えてみましょう。
シンプルに書いてしまえば、これらの言葉は次のようなことを意味していると言えるでしょう。
仕事とは、誰かが必要としている価値を提供することで、その対価としてお金を受け取ること。
仰々しく書きましたが、多くの方にとって、こんなことはおそらく当たり前のことで、正直、こんなことを書かれても退屈ではないかと思います。しかし、この当たり前のことが後々重要になってきますので、もう少しお付き合い頂こうと思います。
理解が進むほどに、この当たり前のことの大切さを実感できるようになるのではないかと思います。
次に、この「価値を提供する」ということを、2つの側面に分解して考えてみましょう。
まず、第一に考えられるのは、
「価値を提供する」ためには「価値を生み出す」必要がある。
ということです。
「価値」というのは、例えば、農家の方であれば野菜をつくることが生み出している価値といえるでしょう。
あるいは、事務職の方にとっては円滑に事務処理を回すこと、開発職の方にとっては新製品を生み出すこと、マッサージ師の方にとっては患者の体を揉みほぐすことが提供している価値だといえるでしょう。
このテーマについては、「本質的に生み出している価値は何なのか?」と考え始めるともう少し深い話になってしまいます。それも大切なことではあるのですが、この記事ではそこまで探っていくことは避けようと思います。
なぜならば、この「仕事とは価値を生み出すこと」などという考えは、わざわざこんな記事を読まなくても多くの方にとって当たり前のことで、特に違和感のない考えなのではないかと思うからです。
今のところは、仕事をするということの1つの側面として「価値を生み出す」という側面があるということだけ伝わっていれば十分です。
大切でありながらも見落とされがちなのは、次のテーマです……。
大切でありながらも見落とされがちな、仕事の要素。それは……。
もったいぶっていても仕方がないので、結論を書いてしまいましょう。
生み出した価値を、必要としている人に提供すること。
これが、大切でありながらも見落とされがちな、仕事の要素です。
決してふざけて書いているわけではなので、怒らないで聞いてください。
この要素が、
経済的な安定を手にできるかどうかに大きな影響を与える、極めて重要な要素なのです。
そして、「生み出した価値を提供すること」をもう少し別の言葉に言い換えれば、次のように言えるでしょう。
あなたが生み出す価値を必要としている人に「つながる」こと。
この
「つながる」ということが、経済的な安定を手に入れることができるかどうかの極めて重要なポイントとなります。
なぜならば、
あなたが生み出す価値を必要としている人に「つながる」ことができなければ、あなたがどれだけ価値を生み出そうとも、その価値を誰にも提供することが出来ないからです。
もう少し生々しい表現をするならば、
あなたが生み出す価値にお金を払ってくれる人に「つながる」(=「お客さん」なり「雇い主」なりを見つける)ことができなければ、あなたがどれだけ素晴らしい価値を生み出そうとも、あなたのもとには一銭のお金も入ってこないということです。
例えば、
この「つながる力」があるかないかの違いが、同じように歴史に名を遺す2人の天才芸術家(=大きな価値を生み出す力を持った人)の人生を大きく変えてしまったという実例が存在しています。
もう少し具体的に言えば、
「つながる力」によって、王侯貴族のような経済的繁栄を手にすることができるか、それとも
親族の援助でようやく生活できているような経済的自立もままならない状態に陥ってしまうかの運命の分かれ道ができてしまうのです。(自立ということについては、「
自立とは何か?―10年間熟成させた“自立”の意味」で詳しく書いています。)
注目して頂きたいのは、
これは天才芸術家として歴史に名を遺すほどの、申し分のない「価値を生み出す能力」をもった人物に起きたことだということです。
詳しく書き始めると収拾がつなくなってしまうので、この2人の天才芸術家の具体的なエピソードについては、また別の機会に書こうと思います。
軽視される「つながる力」
ここで大切なことは、
天才と呼ぶにふさわしい「非常に大きな価値を生み出す能力」を持った人ですら、「価値を提供する相手につながる能力」がなければ仕事を成り立たせることが出来ないという事実です。
しかし、
この「価値を提供する相手につながる能力」はあまりにも、軽視され過ぎています。
例えば、価値を産み出すための知識を教えてくれる学校はたくさんあります。
技術者として働くための知識、法務をこなすための知識、調理師になるための知識、経理の業務を行うための知識……、それこそ書ききれないほどの種類の「価値を産み出すための知識」を教えてくれる学校が存在しています。
では、その価値を必要としている人を見つけ出し、つながる方法を教えてくれる学校が、いったいどれだけあるでしょうか? 普通の学校では、せいぜい申し訳程度に就職セミナーが開かれるくらいではないでしょうか?
例えば、大学の電気電子系学科に入学すれば、卒業までに少なくとも4年間は電気系の基礎知識を学ぶことになります。
それに対して、その電気の知識を学んだ人材を必要としていて、その人材の確保ためならば、お金を払ってもいいと考えている人(企業)につながるための方法は、どのくらいの時間をかけて学ぶのでしょうか?
普通は、せいぜい数回の就職セミナーに参加する程度なのではないでしょうか?
なぜ、大企業勤務は安定の代名詞だったのか?
どうやら、私たちの社会では
「価値を提供する能力」を高めることには積極的でも、その価値を必要としている相手に「つながる能力」を高めることに関しては少し無頓着なところがあるようです。
しかし、社会を見渡してみると、実際には多くの人が、ちゃんと自分の価値にお金を払ってくれる企業を見つけ出し、就職という形のつながりをつくっています。
多くの学生たちは「つながる力」などということはほとんど考えることもなく学生生活を送っていたにもかかわず、いったいなぜ、私たちの社会は、学校を卒業したばかりの失業者で溢れかえる様な状態に陥らずに済んでいるのでしょうか?
そして、少し前の日本であれば、大企業に入りさえすれば「一生安泰」という神話すら信じられていたのは、いったいなぜなのでしょうか?
その答えこそが、大企業が安定の代名詞となることができた重要な理由なのです。
大企業は、企業側から雇用という「つながり」をつくる相手を探し、一度出来た「つながり」を維持する意志と余裕があった。
一言でいってしまえば、これがその答えです。
もちろん、今現在、就職活動で苦労されている方や、過去に苦労した経験がある方は、「いやいや、企業側からこっちを探しに来てくれるなんてあり得ないでしょ」と思われるかもしれません。
しかしよく考えてみると、企業側が、その企業に価値を提供できる人を探してくれているのは明らかです。
もう少し、具体的に考えていきましょう。
例えば、人を探している企業は、学校に求人票を出すなり、安くないお金を払って、求人広告を出したり、求人サイトに企業ページを掲載するなどして、「
つながりのきっかけ」つくってくれています。
(人を規格品のように扱うのは好きではありませんが、あえてそのような表現を使うなら、)
企業の側で「こんなスペックの人が欲しい」と、探しに来てくれるのです。
さらに、
企業側で説明会を開き、選考の方法や日程、選考会場の手配に至るまでのすべてをお膳立てしてくれます。
応募者側がすることは、用意された書類に必要事項を記入されたり、用意された面接会場に足を運び、用意された質問(アピールのためのチャンス)を上手く活用することだけです。
(もう少し具体的に言うならば、企業側が求めているスペックを、自分が持っていることを証明すればいいということです)
これを別の言い方でいえば、
企業側と応募者側が「つながる」ための大枠での道筋は企業側が用意してくれて、応募者側はその道筋に上手く乗っていれば「つながる」ことが出来てしまうのだと言うこともできます。
ですから、(就職活動で苦労されている方も多いのでこのようなことを書くのは非常に申し訳ないのですが、)「価値を提供する相手とつながる方法」としては、就職活動は、ある意味ではとても優しい部類だとも言えるのです。
もちろん、書類選考や面接を通過するためには、その前提として、自分が「価値を生み出す能力」を持っていることを証明することは必要になります。
だから、その証明の手段として、(それが本当に価値を生み出す能力と比例するのかどうかは別として、)高い学歴を追い求めたり、厳しい部活に打ち込んだり、ボランティアなどの課外活動に参加するなどして、自分の「価値を生み出す能力」を証明しようとするでしょう。
中途採用であれば、前職での業務経験がその証明になるでしょう。
大企業の選考ともなれば、そういった自分が「価値を生み出す能力」を持っていることの強力な証拠を持った人々が集まりますから、その意味での競争は厳しいものとなるでしょう。
そして、「その証拠をいかに上手く伝えられるか?」という意味での「つながる力」は試されることになります。
しかしそれでも、必要とされる「つながる力」は、決して厳しいものではありません。
だって、考えてみてください。
もし、企業側が、私たちを探してくれなかったらどうでしょう? 【 参考記事 】
詳しくは別の記事に書こうと思いますが、
もし企業側が従業員を探しに来てくれなければ、企業側が敷いてくれたレールに上手く乗ろうという発想ではなく、自分でレールを敷いた上で、そのレールに相手の企業を上手く乗せていくことが必要になるのです。
これは、やってみればわかると思いますが、想像以上の難易度アップです。
今回の記事でご理解いただきたいことは、
企業への就職では、多くの場合、企業側からこちらを探しに来てくれることが多いということです。
ですから、
就職希望者は「つながる力」を磨くよりも、「価値を生み出す能力(があると思わせるもの)」を磨く方が効率がよいということになります。
しかし、この考え方こそが大きな落とし穴なのです。 なぜ、この考え方が大きな落とし穴になってしまうのかは後ほど触れることにして、今はもう少し、なぜ大企業勤務が安定の代名詞だったのかについて考えていきましょう。
既に書いたように、大企業を目指すには、自分が価値を生み出す能力を持っていることを証明するのが効率的です。
だから、企業に価値を生み出す能力が高いと納得してもらうための証拠を得るために、小さなころから塾に通い、受験戦争を戦う人が現れるわけです。
(実際、ある程度以上の学歴がなければ、大企業の門を叩いても門前払いに会ってしまうのが、(その良し悪しは別として)世の中の現実でしょう)
そして、そのようにして一旦、
大企業の門をくぐることが出来てしまえば、これまでの日本では、そうやって出来た「つながり」はちょっとやそっとのことでは切れませんでした。
企業には、今や死語と化しつつある
「終身雇用」を維持できるだけの余裕と意志があったのです。
だから、
そのころの日本では、「いい大学に入って、大きな会社に就職する」という方法が、安定した人生を手に入れるための王道的な人生戦略となり得たのです。
逆に言えば、それは、ひとたび価値を生み出す能力があることを納得させて大企業に入社さえしてしまえば、後は安泰だということでもありました。
だから、学校は価値を生み出すための知識を教えてさえいればよかったのです。
大企業勤務どころか、公務員すらも安泰ではない
しかし、
今や終身雇用を維持できるだけの余裕がある企業は少数に過ぎないでしょう。
そして何よりも、多くの企業では
終身雇用を守れるだけの余裕がないこと以上に、それを守ろうという意志がなくなってしまっています。
業績が悪化したと言えば、
昔に比べて遥かに簡単に、企業は人員整理に手をつけるようになりました。
本来は「再構築」という意味で、人員整理とは直接関係のない“リストラ”という言葉が、人員整理の代名詞になってしまっているほどです。
いつでも簡単に人員整理ができるようにと、正規社員の採用を絞り派遣や契約社員の比率を増やすことも、もはや普通のことになりました。
大企業よりもさらに安定したイメージが持たれている公務員ですら、決して安泰ではありません。 例えば、自分が配属された部署が民営化されるとなれば、それまでの公務員の地位がどうなるのかはわかったものではありません。
民営化というと、郵政民営化のような国論を二分する一大事をイメージされるかもしれませんが、最近では例えば、大阪市が水道事業の民営化を決定したというニュースがありました。
いい悪いは別として、国レベルでも、地方レベルでも、こういった民営化が今後も起こらないとは誰にも言いきれません。
そして、民営化が行われれば当然、利益を出さなければならなくなります。そうなれば、経営数字が厳しくなったときには人員整理という話が出てこないとも限らないでしょう。
そうです。
世界的大企業に就職をしようが、公務員になろうが、どんな人にも「冒頭の彼のような出来事」が起こる可能性があるのです。
自分でレールを敷ける人、人のレールに依存する人
ここで、さらに悪いことが起こります。
長々と説明してきた通り、「価値を生み出す力」さえ証明できれば、大企業に就職することはできてしまいます。
今でも、就職希望者の側からつながるためのレールを敷く努力をしなくても、企業の側から学生を探しに来てくれます。企業の側からレールを敷いてくれるのです。
だから、今でも、
就職希望者がすることは、企業が敷いてくれたレールの上手く乗ることだけで、「つながり」をつくるためのレールを自分で敷く力までは求められません。
そして、
ひとたび大企業の門をくぐってしまいさえすれば、「価値を提供する相手とのつながり」をつくるためのレールを敷く体験など一度もしないという人が大部分ではないかと思います。
もちろん、例えば営業部門で市場開拓をするとか、事業部門で新規事業を起こしていくなどのような仕事に携わる人は、そのような経験をするかもしれません。
しかし多くの場合は、
「価値を提供する相手とつながるためのレール」を自分で敷く経験など一度もすることなく(定年にせよ、リストラにせよ)退職の時を迎えるのではないでしょうか?
それどころか、レールを敷く以前の問題で、「自分が価値を提供している相手は誰なのだろうか?」などということを考えたことすらない人も少なくないのではないかと思います。
では、
そんな人が、ある日突然職を失うことになったとしたらいったい何が起こるのでしょうか? 答えは簡単です。
それがたとえ、優秀な人が集まる大企業の中でも
平均以上の価値を生み出す能力を持った人であったとしても、その価値を提供する相手とつながる能力がなければ、次の仕事を見つけることが難しくなってしまうのです。
多くの場合、
そんな時にできることといえば、学生時代に就職活動で経験したのと同じように求人(企業が敷いてくれたレール)を探しに行くことだけです。
もし年齢が若ければそれでもいいかもしれませんが、
年齢がある程度になってくると開かれたレールの数も減ってきます。
しかしそんな時に、もし、
レールがないところにも自分からレールを敷けるだけの「つながる力」を持っていたらどうでしょう?
新しい仕事を得るための選択肢が増えることになります。
そして、
ある程度以上の価値を生み出せるだけの能力さえ持っていれば、あとはその能力を提供する相手につながる力を持っていれば、仕事はいくらでも見つかることになるでしょう。
そんな風にしていつでも新しい仕事を見つけられる状態をつくる方が、終身雇用を維持する余裕もなければ、その意志もない大企業に必死でしがみつくよりも、よほど安定しているとは言えないでしょうか? そうです。
「価値を生み出す力」だけでなく「価値を提供する相手につながる力」を身につけることこそが、あなたの人生に強力な安定をもたらしてくれるのです。
新しいことは、難しく見えて当たり前
しかし、このようなことを書くと、画面の向こうからため息が聞こえてくるのが聞こえてくるようです。
なぜならば、「価値を提供する相手とつながるレールを自分で敷く」などということは、とても簡単なことには思えないからです。
そう思われるのは、ある意味当然のことです。
先ほども書いたように、学校で「価値を生み出す方法」を習うことはあっても、「価値を提供する相手につながる方法」を習うことはまずあり得ません。小さい頃に家で教わることもなければ、社会に出てからもそんなことを教わる人は少数でしょう。
ですから、「そんなこと言われても、どうしたらいいの?」と思ってしまうのは当たり前のことなのです。
しかし、
逆に言えば、これはチャンスでもあります。
だって、考えてみてください。
例えば、私たちの多くは当たり前のように自転車に乗れます。しかし、私たち大人が簡単に自転車に乗れるのは、子供の頃に何度も練習したからに他なりません。
では、子供の頃に自転車に触れたことがない大人に、突然自転車に乗ってくださいと言ったらどうでしょう?
最初は、自転車の運転のあまりの難しさに戸惑ってしまうのではないでしょうか?
自転車がイメージしにくければ、スキーやスノーボード、サーフィンなどを想像して頂いても結構です。
生まれて初めてこれらに取り組むとき、ぎこちなく動く自分の体に戸惑いを感じてしまうのではないでしょうか?
しかし、です。
普通の体力のある方であれば、遅い人でも、2~3日も真面目に取り組んでいれば、最初はあんなにぎこちなかった体も、だいぶスムーズに動くようになるのではないでしょうか?
そして、数週間も取り組めば、日常的な使い方であれば何不自由なく自転車を乗り回せるようになり、スキーだって恐る恐るではあっても上級者コースを滑れるようになるのではないでしょうか?
もちろん、その道のプロを目指すような場合には、幼少期からの英才教育や、何年間にもわたるトレーニングが必要になるかもしれません。
しかし、普通に使ったり、普通に楽しんだりするだけであれば、数週間か、長くても数か月の練習で十分なはずです。
そして、このことは「価値を提供する相手とつながる力」についても同じようなことが言えるのではないでしょうか?
多くの日本人(おそらくはあなたも)は、「価値を提供する相手とつながる力」などということについて、考えたことすらないのが現実ではないでしょうか。
その状態では、「価値を提供する相手とつながる力」を身につけるなどと言われても、「そんなの不可能だ!」と思われるのも当然のことです。
生まれて初めて自転車に乗った人が、初めて両足を地面から離したときに、フラフラとよろついてしまい、「本当にこんなのに乗れるのかな?」と感じるのと同じことです。
しかし、その気になって学びさえすれば、最初は想像することも出来なかった感覚がつかめてくるはずです。
その道のプロを目指すためにはある程度の才能と専門的な勉強が必要かもしれませんが、普通に使えるようになるくらいであれば、誰にでも出来ることなのです。
(しかも「つながる力」を身につけることは、自転車やスキーとは違って、体力による制約がありません。)
「つながる力」を身につける方が“楽”
もし、このような「価値を提供する相手とつながる力」を手に入れることが出来たとしたらどうでしょう?
例えば、真面目に日々の仕事に取り組み、向上心をもって新しいスキルの習得にも励んでいる人がいたとしましょう。
その仕事で必要とされるスキルを磨いたり、資格を取ったり、語学力を身につけることは、決して悪いことではありません。
しかし、
例えば会社の業績が悪化して事業縮小ということになれば、たとえ彼には何の落ち度もなかったとしても、職を失うようなことになってしまいかねないのです。
そんな時に、
次に「価値を提供する相手につながる」ことが出来なければ、いくら磨き上げた「価値を生み出す能力」を提供しようと思っても、提供する相手がいないということになってしまうのが、世の現実ではないでしょうか。
そんな現実に対して、企業や政治を批判することは簡単です。
しかし、そうやって
企業や政治が悪いのだと批判している間は、その企業や政治に依存し続けることになります。
彼らの決定に、自分の人生を左右され続けることになってしまうのです。
なぜならば、
企業や政治に責任を求め続ける限りは、企業や政治が変わらなければ自分の人生は変わらないのだと宣言するようなものだからです。
そんなことにエネルギーを使うのであれば、私は、自分が変わってしまった方が楽なのではないかと思っています。
ある程度以上の
「価値を提供する相手とつながる力」を身につけることができれば、たとえ仕事を失ってしまったとしても、新しい仕事をより簡単に見つけることができるようになるのです。
このような力を身につけることは、仕事を探して必死に歩きまわっている人の横を、自転車で楽々と追い抜かして行けるような能力を身につけることだと言ってもいいかもしれません。
あるいは、雪に足を取られながら必死に雪山を歩いている人の横を、スキーで気持ちよく滑り降りるようなものかもしれません。
そんな状態をつくることができれば、
いつ人員整理を始めるか知れたものではない企業にビクビクしながらしがみつくよりも、遥かに安定しますし、建設的で、なによりも楽です。
「つながる力」が与えてくれるのは、単なる経済的安定だけにはとどまらない
しかも、
この「つながる力」を身につけることは、実は、大企業に勤めるよりも安定するどころの話ではないのです。
今度は、不安定とされる仕事について考えてみましょう。
一般的に不安定なイメージのある仕事として、例えば、芸術の道があげられます。
高校生になった子供が「音楽で生活していく」とか、「絵の道で生きていきたい」などと言い出せば、両親の大反対に会うことも少なくないでしょう。
芸術の道といえば、不安定な人生の代名詞と言っても過言ではないでしょうから、親が心配するのも当然です。
そして、実際問題として、芸術家の生活が安定しにくいというのも事実でしょう。
しかし、そんな
不安定な芸術家の人生も、作品をつくる能力(価値を生み出す能力)に、「価値を提供する相手とつながる力」が加わると、様子が変わってきます。
なぜならば、
価値を提供する相手とつながることが出来ないばかりに作品が売れないというのが、芸術家の人生が安定しない大きな理由だからです。
詳しいことは、また別の記事にまとめる予定ですので、ここでは先に進みましょう。
【 参考記事 】
上の参考記事をお読み頂ければ、
不安定の代名詞とも言える芸術家の人生ですら、「つながる力」次第で大幅に安定するのだということがわかると思います。
一般的には不安定とされる芸術家の人生ですら、「つながる力」によって、安定に近づけることが出来るのだとすれば、世に存在するほとんどの仕事は、これまで不安定だと思われていたものであっても、「つながる力」次第で大きく安定することになるでしょう。
ということはです。
これまでは安定した生活を送りたいと思えば、大企業や公務員などの職を目指すことが典型的でした。
そして、一度、大企業勤務や公務員の地位を手に入れたら、今度はそれを手放さないようにと、必死にしがみつくのが一般的だったのではないでしょうか。
しかし、
「つながる力」を身につけれることができれば、どんな仕事であっても、いつ人員整理を始めるかわからない大企業や、いつ民営化されるかもわからない役所に勤め続けるよりも遥かに安定するということになります。
そうなれば、
もはや生活のために、「仕事なんだから」と割り切って、やりたくもない仕事を我慢してし続ける必要もなくなるのです。
上にも書いたように、企業が就職希望者を探しに来てくれるのは、確かに事実です。
しかし、その裏には「企業が求めるスペックを満たしている人材」を探しているのだという前提があります。別の言い方をすれば、「企業が求めている価値を生み出される人」を探しているということです。
ということは、
「自分からレールを敷いてつながりにいく」という選択肢がない人にとっては、仕事を手に入れようと思えば、「企業に求められる人間」になるしかないということになります。
このプレッシャーは非常に大きなもので、多くの方が、
一人前の社会人を演じるために、自分の個性を封印することを余儀なくされているのではないかと思います。
“
取り繕った和”のために、“楽”しく、“楽”に生きることを封印せざるを得ない人が現れるのです。
もちろん、それは仕方ないと思える側面があるのは事実だと思いますが、
そうやって自分に正直に生きることを封印し続ければ、やがて人生の最期を迎えるとき、激しい後悔を味わうことにもなりかねません。
【 参考記事 】
さらに言ってしまえば、企業にしがみつき続けるために、
「企業に求められる人」になろうとするあまりに、自分の良心に反すること、社会の利益という視点で考えたときに疑問に感じることをやらざるを得なくなってしまうこともあるかもしれません。
たとえば、
自分はこの会社から放り出されたら生きていけないと思いつめている人が、上司から、不正行為をするようにと指示を受けたとしたら、キッパリと断ることができるでしょうか?
会社への依存が強ければ強いほど、それは難しいことになってしまうかもしれません。
もちろん、不正行為まで極端なことは少ないかもしれませんが、自分の良心に反する指示を受けたことくらいは、企業に何年間も身を置いていれば、経験したことがない人の方が少ないかもしれません。
それは、
たとえ法には触れないグレーなことであっても、とても心の痛むことではないかと思います。
あるいは、
1つの企業に対して強く依存する人が増えれば増えるほどに、企業は簡単に「ブラック企業」に変身することができるという側面もあるでしょう。
「大企業に勤め続けることが出来れば、安定した楽な生活を送れるのではないか」という“
見せかけの楽”を追い求めるばかりに、“和を乱す”ことになってしまうということがあるのです。
「つながる力」は、あなたの人生そのものを好転させる!?
もちろん、
大企業や役所に、自分が心の底から楽しめる仕事、やる意味を感じ、使命感を持って取り組める仕事があるのであれば、その仕事に取り組むことは素晴らしいことだと思います。
けれども、もし
「つながる力」が足りないばかりに、生活を安定させるためだけに仕方なく、やりたくもない仕事をやり続ける毎日を送っているのだとしたら、
「つながる力」は、そんな人生を一変させてくれる可能性を秘めています。
あなたが「つながる力」を身につけることが出来れば、
あなたが心の底からやりたいと感じること、あなたの魂を満たしてくれること、あなたに与えられた“天与の才能”を活かすことを通して、価値を生み出し、提供することを、生活していくための仕事として成り立たせることができる可能性が見えてくるのです。
そうなれば、
あなたの仕事は、もはや生活のための努力などではなく、あなたを喜びで満たしてくれる、あなたの本質の表現する行為へと昇華するのです。
そして、
人がもっとも能力を高め、発揮することができるのは、そのように“天与の才能”を、喜びを感じながら活かす場合をおいて他にないのではないのではないでしょうか?
なぜならば、そのようなことに取り組むことは、“楽”しいし、“楽”だからです。
“和楽の道”では度々参考にしている、チクセントミハイ博士の「フロー理論」でも、「フロー(時間も忘れるほどに集中し没頭したような状態)が能力を高める」という趣旨のことが主張されていたと思います。
何が言いたいのかといえば、このようなことを仕事にすることに出来れば、
悲壮感漂う努力などすることがなくても、ただ“楽”しみながら仕事に打ち込んでいれば、“価値を生み出す能力”も自然と高まってしまうということです。
つまり、
「価値を提供する相手につながる力」を身につけて、やりたいことを仕事にすることが出来れば、自然と「価値を生み出す能力」も高まっていくということです。
そうだとすれば、
「つながる力」がなければ安定しない芸術家のような生き方も、「つながる力」があれば、好きなことをしていることがむしろ強みにすらなるはずです。
そして「価値を生み出す能力」がブランドの域にまで高まれば、「価値を提供する相手を惹きつける力」もさらに高まることでしょう。
- 価値を生み出す能力
- 価値を提供する相手につながる能力
という仕事の両輪が、相乗効果的に高め合うことになるのです。
そうなったときの安定感は、もはや大企業勤務などという肩書の比ではありません。 例えば美容師であれば、「誰でもいいから、安く綺麗にカットして欲しい」ではなく「少しくらい高くても、○○さんにカットして欲しい」と考えるお客さんの数が一定以上になれば、どこの店に勤めていようが、自分で店を開業しようが、その美容師の仕事は安定することになります。
医者であれば「あの先生に診て欲しい」、飲食店であれば「あの人の料理が食べたい」、「あの人がつくった空間でくつろぎたい」、作家であれば「あの人の本が読みたい」、塾の講師であれば「あの人の授業が受けたい」となれば、
自分の責任も権限も及ばぬところで決められた突然の事業縮小でリストラされかねない企業にしがみついているよりも遥かに安定するはずです。
もっと言ってしまえば、このことは、大企業で働くという選択をする場合にもあてはまります。
例えば、「あの人の設計した設備は、かゆい所に手が届く設計でとても使いやすい」という評判が他部門まで、あるいは他社まで響き渡っているような人であれば、たとえその人の所属する部門が縮小で人員整理ということになっても、いくらでも他の部門から声がかかるでしょう。
私はなにも、
大企業で働くことを批判したいのではなく、それがその人の喜びなのであれば、是非その選択をすべきだと思っています。
ただしその場合でも、
ただ素晴らしい設備を設計するだけよりも、「価値を提供する相手とのつながり」を安定的につくっていくことを意識しながら働いた方が、遥かに安定した生活が手に入るはずです。
なぜならば、「価値を生み出す能力」だけで「価値を提供する相手を惹きつけるブランド」を築くのは、「つながる力」も併用する場合に比べて遥かに難しいからです。
圧倒的な「価値を生み出す能力」を持った、歴史に天才として名を残す天才芸術家ですら、「つながる力」がなければ、ブランドどころか、日々の生活すらままならなくなってしまうことは既に書いた通りです。
大企業勤務。公務員、資格、語学よりも、大切なこと
ここまでお読みいただけば、この記事の最初に書いた、「大企業にしがみつくことや、安定のために資格取得を目指すことが、かえって安定から遠ざかる結果になる」という意味がおわかりなのではないかと思います。
既に書いたように、それが、あなたの“天与の才能”を活かすことであり、あなたを心の底から喜ばせてくれることであるなば、大企業勤務も素晴らしいことです。そのために必要な資格なら、取得を目指すのもいいでしょう。
しかし、
安定だけを求めて大企業にしがみついたり、興味もない資格を目指すことは、あまりお勧めできません。
なぜならば、仕方なく仕事に取り組んだり、嫌々ながらに勉強に打ち込んだりしても、あなたが“楽々”と“楽”しみながら取り組める“天与の才能”に取り組む時に比べて、「価値を生み出す能力」の伸びははるかに小さくなるはずです。
もちろん、歯を食いしばって我慢して頑張ることも、尊い努力ではあると思います。
しかし、
その努力のほんの一部でも、「つながる力」を高めるための努力にあてることができれば、人生はもっと安定するでしょう。
そして出来ることなら、
その「つながる力」を活かして、あなたの“天与の才能”を活かした仕事が出来る状況をつくる努力をすることをお勧めしたいと思います。
そうして、「価値を生み出す能力」と「価値を提供する相手につながる能力」の両輪が上手く回り始めたとき、そこには嫌々ながらも大企業にしがみつく生活などとは比べ物にならないほどの安定がまっていることでしょう。
その意味では、やりたくもない仕事をしてでも大企業に必死にしがみついたり、興味はなくとも「潰しが効く資格」の取得を目指して必死に努力することは、ある意味では、安定から遠ざかる行為だとも言えるのです。
もちろん最終的に決めるのはあなたではありますが、私は、
そんな悲壮感漂う努力をするのであれば、「つながる力」を磨き、あなたの“天与の才能”を“楽”しみながら発揮することを仕事として成り立たせるための努力をした方が、遥かに安定に近づくし、充実感もあるのではないかと思っています。
この記事を読んだだけで安易な決断はされないことをお薦めしますが、その可能性を感じて、
少しでも明るい気持ちになって頂けたらと思っています。
「明るい可能性」を現実にする力
では、その「明るい可能性」を現実のものにしていくためにはどうしたらいいのでしょうか?
そのためには、大きく分けて2つのことが必要になるでしょう。
まず1つ目は、
自分の“天与の才能”を見つけることです。
“天与の才能”というのは、時間を忘れて没頭できることや、自分はただ楽しんでいるだけなのに他の人からはすごい努力をしているように見られること、無意識のうちに熱中してしまうこと、あるいは使命や天命というような言い方をしてもいいかもしれません。
この“天与の才能”の方向と、あなたの仕事に必要とされる能力が重なったときに、あなたの能力は最大限発揮されることになるでしょう。
それが、
あなたの「価値を生み出す力」を最大化することにつながります。
そしてなによりも、
あなたの人生に、喜びや、充実感をもたらしてくれます。
そして2つ目は、
「価値を提供する相手とつながる力」を鍛えることです。
あなたの
“天与の才能”を発見したら、今度はその才能をつかて生み出した価値を必要な人に提供しなければならないのです。
それは、もちろん転職や独立のような形でもいいですし、必ずしも、そのような大きな決心のいるようなことだけでけでもありませんん。
例えば、今の勤め先で、あなたの才能を30%くらい発揮しているのだとしたら、それを50%、80%と増やしていく方法を考えるのもいいでしょう。
あなたが価値を提供している相手である「会社」や「上司」に、あなたの才能を売り込んでいけばいいのです。
そうやって、
あなたの才能(価値を生み出す力)と、価値を提供する相手である「会社」や「上司」を、「つなげて」いけばいいのです。
これが、
「価値を提供する相手とつながる力」です。
あるいは、仕事の後や休日に、副業をすることだって考えられます。
その場合にも必要になるのは、
あなたの才能(価値を生み出す力)と、価値を提供する相手である「お客さん」を、「つなげる力」となるでしょう。
そして、「価値を生み出す力」と、「価値を提供する相手とつながる力」の両輪がうまく回り始めれば、副業を本業にしてしまうこともできるでしょう。
しっかりと現実のバランスをとりながら、少しずつやってみれば、これはそんなに難しいことではありません。 では、
あなたに与えられた“天与の才能”を見つけ、“価値を提供する相手とつなげて”いくにはどうすればいいのでしょうか?
実は、そのための、誰にでもお勧め出来る方法があるのです。
それは……。
“言葉の力”を使うこと。 もちろん、これは決して唯一絶対の方法ではありません。
しかし、誰にでもお勧め出来て、しかも“言葉の力”ほど非常に強力な力を持ったものは決して多くはないでしょう。
【 参考記事 】
書き始めると長くなってしまいますので、詳しくは別の記事に譲りますが、実感すれば実感するほどに、“言葉の力”の威力には驚かされるものがあります。
ただし、注意していただきたいこともあります。
それは、
“言葉の力”は強力ゆえに、その使い方を誤れば、かえって自分の才能を見つけることを妨げ、自分の才能以外の部分にとらわれてしまったり、不要なつながりをつくりすぎてしまって、それに縛られてしまうことにもなりかねないということでう。
そして残念なことに、
“言葉の力”について書かれた本などを読んでみると、そのようなものが少なくない、……というよりも、そのようなものがほとんど、というのが現実ではないかと思います。
そのような情報には、是非、ご注意ください。
今後、“和楽の道”でも、“言葉の力”については、もう少し扱っていきたいと思っています。
“和楽の仕事”は、世界も変える!
今回の記事は、普段の記事に比べて、ずいぶんと泥臭い記事になってしまいました。
しかし、仕事というものは、多くの現代人が起きている時間のほとんどを拘束しているものですので、現代人の生活の質を高めるためには絶対に避けて通ることが出来ないテーマです。
あなたの人生を、平“和”で、“和”やかで、“楽”しいものにするためには、仕事というテーマは避けて通れないのです。
“和楽の道”の重要なテーマの一つに、「あれをとるか?これをとるか?」という対立の“綱引き”を乗り越えていくということがあります。
これまでも
“綱引き”について扱った記事はたくさん書いてきましたが、“和楽”を実現していくためには、
仕事についても「安定をとるか?やりたいことをとるか?」という“綱引き”を乗り越えて、「安定(“和”)」と「やりたいこと(“楽”)」を両立していかなければならないのです。
そのことが、あなたの人生を満たしてくれることは当然のこととして、人類の歴史にすら影響を与える歴史的事件になり得ることは、別の記事で書いた通りです。
【 参考記事 】