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イライラの原因と解消法―イライラした時は○○を見つめる

「いい加減にしろよ!もう、我慢の限界だっ!」
あなたは、あまりに怒りに手が震え、頬が、ピクッピクッ、とひきつるのを感じています。






頭の中では、なんども何度も同じ思考が堂々巡りして、イライラの感情から抜け出すことができません。

文字通り、はらわたが煮えくり返るような心境です。

そんな時、あなたの横に、ふと、あなたのイライラとは何の関係もない家族(親、配偶者、子供、兄弟、誰でもいいです)が現れました。

そして、こともあろうに、楽しそうに鼻歌を歌い始めたのです。

もちろん、家族に悪気がないのはわかっています。

しかし、たとえ無自覚であったとしても、火に油を注ぐような行動に、あなたのイライラは爆発。

「うるさいっ!!」
ついつい、大きな声を出してしまいました。

そして、少し時間がって気持ちが落ち着くころには、今度は後悔のため息が……。


……いかがでしょうか?

あなたには、こんな経験がありませんか?


そう。感情がコントロールできずに、爆発してしまった経験です。

おそらく、聖人君子でもなければ、誰でも身に覚えがある経験ではないかと思います。

多くの人が、「怒りたくもないし、イライラしたくもない」と感じています。

イライラしていれば、人間関係にも、仕事にも、健康にもよくないわけですから当然です。

しかし、そうは思っていても、実際に生活をしていると、どうしてもイライラに出会うことは避けることができません

小さいものまで含めれば、毎日のようにイライラの種に出会っている人も少なくないかもしれません。

おそらくは、あなたも、こんな記事を読んでいるのですから、きっと身に覚えがあるのだと思います。


こんなことはあまり書きたくありませんが、実は、こんな記事を書いているわたし自身も、かなり怒りっぽい性格だと思っています。

誰かの一言に腹を立て、その後、何時間もイライラし続けた経験も一度や二度ではありません。

そんな時には、何か作業をしようにも、気分転換に明るい気分になれる本を読もうにも、イライラしてまったく手がつかなくなってしまい、さらに悶々とした気分になってしまったのをよく覚えています。


しかし最近は、実感として以前ほどイライラしなくなったように感じています。

もちろん、怒る必要性を感じた時には、しっかりと怒ります。

必要な自己主張を我慢するという意味ではありません。

ですが、本来は怒る必要のないような「どーでもいいこと」に腹を立てることが減ったのです。

(と言っても、今でも「どーでもいいこと」にイライラさせられることもありますが……。それでも、以前に比べれば、雲泥の差と言っていいほどに「どーでもいいこと」に腹を立てることが減ったと思います。)


と、言うわけで、今回から何回かの記事に分けて、しょっちゅう襲ってくるイライラに苦労していた私が、そのイライラに対処するなかで学んだ対処法について書いていきたいと思います。


なぜこれほどまでに、感情をコントロールするのは難しいのでしょうか?

イライラが渦巻き、心が乱れたときに、そのイライラを鎮め、気持ちを落ち着かせるにはどうしたらいいのでしょうか?

そんなテーマについて書いていきたいと思います。

イライラが収まらないとき、驚くほどあっさりと怒りが収まるとき

では、まず最初に、少し考えてみてください。

あなたは、冒頭の例とはまったく逆に、あっという間に、大きな感情が小さくなってしまった経験はありませんか?

例えば、こんな場合です。

「なんで、あんなことに怒ってたんだろう……。」
そうやって、ついさっきまで、イライラしていたにもかかわらず、ある瞬間、さっきまでの自分がバカらしくなるほどに心がゆるんでしまったような経験です。

おそらく、誰にでも、こんな経験があるのではないでしょうか?

では、「感情の暴風雨」が吹き荒れ続ける場合と、台風一過のように、驚くほどに気持ちが落ち着く場合では、いったいどのような違いがあるのでしょうか?


それを考えるために、驚くほどに気持ちが落ち着いてしまったようなとき、何がそのきっかけになっているのかを考えてみましょう。


「なんで、あんなに怒ってたんだろう?」
そんな気分になった場面を想像してみてください。

いったいどんな時に、そんな体験をするでしょうか?

あっけないほど簡単にイライラが消えてしまうのは、どんなとき?

もちろん、そう思ったきっかけには色々なパターンがあるとは思いますが、そのうちの1つに、「誤解が解けた場合」があると思います。


例えば、あなたの大切な家族が、天寿をまっとうし、天に召され、その葬儀が開かれた場面を想像してください。

そして、葬儀に現れた親戚が、あなたに声をかけてきます。






「このたびは、誠におめでとうございました。」
「えっ……?」


言葉を失うあなた。

あたまの中が、一瞬、真っ白になったかと思うと、少し遅れて、沸々と怒りの感情がこみあげてきました。


それは、そうでしょう。

「おめでとうございます」なんて、普通の感覚であれば、大切な家族を亡くした人にかける言葉ではありません。

あなたの大切な家族が亡くなったことをお祝いするなど、許せるわけがありません。

こんな言葉をかけられてしまえば、どんなに温厚な人でも、普通は激怒してしまうのではないでしょうか?


ですが、これ。決して、あり得ない話ではないのです。

どういうことかと言うと、実は、世の中には、「葬儀を“人生の卒業式”だと捉えて、お祝いする」という価値観を持った人が居るのです。


(詳しくは、以前書いた「あなたには、この言葉が読めますか?―あなたの人生を読み解く“魔法の言葉”」の記事で紹介しています。

そちらの記事では、実際に価値観がひっくりかえるような葬儀に参加した方の体験談も紹介しているので、是非、ご覧ください。私も、その体験談を読んで、「世の中には、そこまでする人がいるのか」と驚きました。)


さてさて。

信じられない言葉を浴びせられて、怒り心頭な気分のあなた。

でも、もし、後から「天寿のまっとうをお祝いする習慣」があることを知って、お祝いの言葉が、その親戚の心を込めたものだったことがわかったらどうでしょうか?

その親戚が、「葬儀の席では、そうやって言葉をかけるのが当たり前の環境で育ってきたから、つい、失礼なことを言ってしまった。申し訳ない。」と謝罪をしてきたのです。


もちろん、そんな大きな価値観の違いは、一瞬で受け入れられるものではないかもしれません。

戸惑いもあれば、怒りの感情の残り火が、まだ燃え続けているかもしれません。

ですが、そこまで知ってしまえば、さっきまでのような、それこそ怒り狂いたくなるほどの激しい感情は収まったのではないでしょうか?


今度は、もう少し状況を変えて、想像してみてください。

例えば、もし、その親戚が、そういう文化で育ったことを、初めから知っていたらどうでしょう?

そんな場合には、もちろん違和感は感じるかもしれませんが、初めから怒りの感情を感じることはなかったかもしれません。

「あー、そうだよね。私には違和感あるけど、この人たちはそれが当たり前で育ったんだもんね。」

という具合です。


この違いは、いったいなんなのでしょうか?

簡単に言ってしまえば、それは、「自分の価値観しか知らなかったのか、相手の価値観も知っていたかの違い」と言うことができるでしょう。

この「自分の価値観しか知らない」ということは、「固定観念」や「思い込み」と言い換えてもいいでしょう。


つまり、

葬儀では、お悔やみの言葉を伝えるものだ。

という価値観(固定観念・思い込み)と、

葬儀では、お祝いの言葉を伝えるものだ。

という価値観(固定観念、思い込み)が、お互いの存在を知らぬままに出会った結果、悲劇が生まれてしまったのです。

【 “和楽の言葉”をお届けします 】

「褒めたつもりなのに、怒らせてしまった」が起こるのは、どんなとき?

もう1つ、別の例を考えてみましょう。

例えば、時代や国が変われば、まったく同じ言葉が褒め言葉にも、侮辱の言葉にもなってしまうことがあります。

よく使われる例ですが、現代の日本で、女性に向かって「太っていますね」などと言おうものなら、何が起こるかわかったものではありません。

しかし、時代や国が変われば、まったく同じ「太っていますね」というその言葉が、「美人ですね?」という褒め言葉の意味になってしまうことがあるのです。

実際、例えばインドネシアでは、女性は太っているほど美しいとされているそうです。

日本人女性がインドネシアを訪れると、日本人目線では痩せているようには見えないその女性が、「あなたは痩せすぎだからもっと食べなさい」などと言われたりするそうです。(参考記事(外部サイト)

価値観(≒固定観念≒思い込み)が違えば、ある人にとっては最上の褒め言葉が、別の人にとっては最大の侮辱になってしまうこともあるのですね。

イライラの原因―それは、思い込みや固定観念

そう考えると、怒りやイライラの原因(の少なくとも1つ)が見えてきた気がします。

そう。

それが、「価値観」であり、「固定観念」であり、「思い込み」です。

たしかに、固定観念がなければ、怒りの感情がわいてくることは、はるかに少なくなるような気がします。


例えば、遅刻しそうで急いでいる時に、電車が5分でも遅れたりすると、たいがいの人はイライラしてしまうと思います。(私も、イライラすると思います。)


でも、考えてみてください。

その怒りの感情が生まれる背景には、「電車は、時刻表通りに運行されるもの」という期待(固定観念)があるはずです。

もし、電車が1時間、2時間遅れるのが当たり前で、逆に時間通りに来ると驚いてしまうような国に住んでいたとしたら、電車が15分遅れたくらいではイライラしたりしないはずです。

むしろ、急いでいるにもかかわらず、数時間の余裕すらも持たなかった自分に反省するかもしれません。


他にも例えば、「子供とは、こうあるべきだ」、「親とは、こうあるべきだ」、「夫とは、こうあるべきだ」、「妻とは、こうあるべきだ」。

先生とは、生徒とは、学校とは、上司とは、部下とは、仕事とは、社会人とは、店員とは、お客とは、仕事とは……etc.
こういった、ありとあらゆる期待(固定観念)がなければ、それを裏切られても、怒りの感情はわいてこないはずです。

期待を裏切られてイライラしている。そのイライラを解消するには、○○を見つめる

では、そういった固定観念から生まれるイライラを鎮めるには、どうしたらいいのでしょうか?
そのために有効なのが、

怒りやイライラをうみだしている、あなたの「思い込み」を観察すること
です。

これは、色々な方が推奨している方法なので、もしかしたら聞いたことがあるかもしれません。


例えば、学校や仕事、アルバイトなどに遅刻しそうで急いでいるのに、電車が5分も遅れてしまったという例を思い出してください。






そんな時に、自分の思い込みを冷静に観察して、「電車は時間通りにやってくるのが当たり前」という固定観念をあぶり出すわけです。

そしてさらに、「なぜ、私はこれまで『電車は時間通りに来るもの』 だと思い込んでいたのだろう?」と、あぶり出された固定観念をさらに観察してみます。


すると今度は、

「だって、いつもは時間通りに来るから。」

「じゃあ、なんで、いつもは時間通りに来ていたんだろう?」(さらに観察

「それは、いつもたくさんの人が、時間通りの運転のために努力していたから。もしかして、時間通りに電車が来るのは、当たり前なんかじゃなくて、すごくありがたいことなのかも……。」

「それによく考えれば、電車の遅延なら遅延証明ももらえるし。これが車の渋滞だったら、そうはいかないもんなぁ。」


という具合に、イライラが、いつの間にか感謝に変わってしまっているかもしれません。


ここでのポイントは、自分の思い込みや固定観念を観察するということです。

ふつう、「固定観念」と言ったら、自分の小さな視点で「こうだ」と決めつけて、こり固まってしまった思い込みのことでしょう。

ですから、もし、より大きな視点から見つめることができれば、その「こり固まってしまった思考」が、柔らかく緩んで、ほぐれていくのですね。


そうやって気持ちが落ち着いて、怒りの感情の束縛から自由になることが出来れば、その後は、しばしの時間、鉄道会社で働いている人への感謝の念を抱くのも、冷静になった頭で遅刻をフォローするための作戦を考えても、あなたの自由です。

しかしそのためには、怒りの感情に囚われている状態、つまり、「こり固まった思い込み」に囚われている状態から、まずは自由にならなければなりません。

これが、思い込みや固定観念を観察することの効果です。

さあ、これで「イライラ対策」は、もう万全! ですか……?

さて。ここまで読まれて、いかがでしたでしょうか?

「なっとく、なっとく! これで、イライラの対処法は、もう十分!!」
そう感じていただけたとしたら、この記事を書いた甲斐があるというものです。


でも、本当に、これだけで十分なのでしょうか?


例えば、こんな場面を想像してみてください。

そのことを思い出しただけで、ペンでも携帯でも、そのとき手に持っていたものを壁に投げつけたくなる衝動を感じるほどに、イライラしてしまったとき――。

あなたには、冷静に自分の思い込みを観察していられるだけの心の余裕をもつことができるでしょうか?


もちろん、今回の記事の内容が間違いだと言いたいわけではありません。

とても大切なことだと思っているからこそ、こうして、この記事を書いたのです。

ですが、今回の内容が、どんなイライラにも対処できる万能薬だとも思っていません。

決して役に立たない内容ではないのですが、少なくとも私にとっては、今回の記事の内容だけでは、激しいイライラに襲われたときには太刀打ちすることができませんでした……。

そこで、次回以降の記事で、自分の思い込みや固定観念を観察する余裕もないほどにイライラしてしまったときの、「とっておきの対処法」について書いてみたいと思います。
warakunomichi