※ テキスト版は画面サイズによって行の途中で改行されてしまうことがあるため、画像で表示しています。画像が読みにくい場合は、この記事の一番下のテキスト版も用意してあります。 この記事の公開後に、“和楽の道”について参考になる記事をいくつも公開していますので、参考記事として紹介したいと思います。
【 参考記事 】
以前より、サイトタイトルの“和楽への道”についての説明をしたいと思いながらも、たくさんの意味が重なっているだけに、なかなか上手く言葉に出来ずにいました。
今回も、概要だけでも簡単にまとめようと書き始めてみると、概要のはずがどんどん書きたいことがあふれ出し、
「本当にまとまるのかな……」
と少し不安になりながら書いていました。
そうこうしながら、軽いフロー状態で書き続けていると、ふと、
“和をもって、楽となす”
という言葉が浮かんできました。
(有名な17条憲法の「和を以て貴しとなす」が頭のどこかに残っていて、そこからインスピレーションを受けたのだと思います。)
その言葉をきっかけに、気付けば、いままで一度も詩など書いたことがない私が、詩のような文章を書いていました。
私には詩を書く技術はもちろん、それを評価する眼もありません。
ですから、公開するかどうかは正直ためらいましたが、“和楽への道”について、すべてではないまでも、その一部をそれなりに説明できていると思いましたので、思い切って公開することにしました。
今後、修正を入れたり、もう少し詳しい説明を書いたりするかもしれませんが、今回のところはこれで終わろうと思います。
“和楽への道”
楽が息吹く場には、自ずと和の種が蒔かれ、
楽が枯れた場には、不和の種が落とされる。
和がつつみこむ場では、ありのままの楽が顕現し、
不和が蔓延する場では、見せかけ楽が渇望される。
裏腹の和を取り繕って、楽を封じるでもなく、
空虚な楽を追い求めて、和を乱すのでもなく。
和をもって楽となし、楽をもって和となす。
いまそれぞれの、その道を行こう。
自らの道を歩むとき、和楽とともにあり、
他人の道を望むとき、和楽から離れ行く。
和楽の促しに任せれば、流れるまま自分へと至り、
目をそむければ、自分ではない誰かへと流される。
過ぎ去った道を頑なに行けば、昨日に縛られ、
明日に心を砕けば、期待の激流に翻弄される。
受け入れずに滞るのでもなく、
離れたままで漂うのでもなく。
ともにあることで導かれ、導きによってともにある。
いまそれぞれの、その道を行こう。