「こんなはずじゃなかったのに……。」 長い時間と大変な努力を費やして、長年の夢がようやく実現した。そんな幸せなはずの瞬間に、こんな一言が脳裏をよぎりました。
「いや、そんなはずがあるわけない!!」 もし現実を認めてしまえば、これまでの努力、我慢してきたこと、犠牲にしてきたこと、それらのすべてが無駄だったということになってしまいます。
しかし、ありのままの現実を受け入れることを拒否して必死に否定しようとしてみても、現実が変わる気配はありません。
それを実現すれば幸せになれると信じて、我慢や苦労、努力を積み重ねてようやく実現してきた目標が、本当は自分を満たしてくれるものではなかった……。 photo by pakutaso.com いくら否定しようとしても否定しようのない現実を見せ付けられ、その事実を受け入れざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。
もし、
あなたの人生で、こんなことが起こってしまったら……?
達成しても満たされない目標の特徴とは?
人は誰しも、多かれ少なかれ、将来に対するビジョンを持って生きていると思います。
それは、仕事や家族といったような人生全体についてのビジョンかもしれません。あるいは、年始に立てた「その年の目標」かもしれませんし、来週旅行に行くというような具体的な計画レベルの将来像かもしれません。
そして、多くの人が、その実現の為に何かを我慢したり、努力をしたりしています。
しかし、もし努力の末にようやくそのビジョンを現実のものとしたとき、待っていたのが不幸だったとしたら……。 もし事前に分かるなら、そんな事態は絶対に避けたいと誰もが思うことでしょう。
実は、以前の記事でも教科書にした『
モチベーション3.0』の中で、次のような調査が紹介されています。今回も、この『モチベーション3.0』を教科書にしてすすめていきましょう。
毎年、約一三〇〇人がロチェスター大学を卒業し、いわゆる現実の世界へと旅立っていく。エドワード・デシとリチャード・ライアン、同僚のクリストファー・ニェミェツは、卒業予定者からサンプルとなる学生を選び、人生の目標について訊ねた。その後、追跡調査を実施し、キャリアが始まってからしばらくの間、状況を調べることにした。
[ 中略 ]
学生のなかには、デシやライアン、ニェミェツが名づけた「外発的抱負」――たとえば、金持ちになりたいとか、有名になりたいなど――つまり「利益志向型の目標」を抱く者もいた。一方、「内発的抱負」――ほかの人の人生の向上に手を貸し、自らも学び成長したい――つまり「目的志向型の目標」を持つ者もいた。この学生たちが卒業して、現実の世界へと羽ばたいてから一、二年後に、学生たちの様子を知ろうと三人の学者は足取りを追った。
「外発的抱負」を持った学生と、「内発的抱負」を持った学生とで、何か違いはあったのでしょうか?
学生時代に目的志向型の目標を持ち、それを成し遂げつつあると感じている者は、大学時代よりも大きな満足感と主観的幸福感を抱き、不安や落ち込みはきわめて低いレベルだと報告された。
「内発的抱負」を持ち、それを実現しつつある学生は、幸せな人生を送っている傾向があるようです。では、「外発的抱負」を持っていた学生はどうでしょうか?
だが、利益志向型の目標を抱いていた者の結果は、もっと複雑だった。富を蓄積したり、賞賛を得たりするなどの目標を達成した卒業生は、学生時代よりも満足感や自尊心、ポジティブな感情のレベルが増しているわけではなかった。目標を達成したにもかかわらず、以前よりも幸せになっている様子はなかった。そのうえ、利益志向型の目標を抱いていた卒業生は、不安、落ち込み、その他のネガティブな指標が“強まった”こともわかった――重ねて指摘するが、目標を達成しているにもかかわらず、である。
外に幸せを求める人生。その先に待っているものは……?
なんと「外発的抱負」を持っていた学生は、目標を達成しているにもかかわらず、あまり幸せな人生を送ることができていないというのです。 以前の記事で、お金や名声が欲しいというような外発的動機から何かの活動に取り組むと、その活動自体を楽しむことが難しくなるということについて書きました。
例えば、もともと絵を描くことが好きな子供であっても、ご褒美を目当てに絵を描くという経験をすることによって、単純に絵を書くことを楽しむことができなくなってしまうという具合です。
(詳しくは、「
「内発的動機付け」と「外発的動機付け」 小さな違いが、人生を変える」を参照してください。)
また別の記事では、これからの世の中では、その仕事自体を楽しいと感じられる仕事をすることが、結果的に経済的成功にもつながるということについても書きました。
(詳しくは、「
成功する芸術家と、成功できない芸術家。その運命をわけるものは?」を参照してください。)
もしこれらのことが事実だとすれば、どうでしょう?
やりたくもない仕事を報酬の為に仕方なくするものの、はなかなか経済的成功には繋がらない。それでも様々なものを犠牲にしながら大変な努力を積み重ねて、やっとの思いで経済的成功や社会的地位を手に入れたその時、待っていたのは幸せを感じられず心が満たされない毎日だった……。
自分の外に幸せを求める「外発的動機付け」を中心とした生き方をする人は、このような人生を送ることになってしまうかもしれないということなのです。 (もちろんこれは、仕事の場面だけに限った事ではありません。ほかに興味のある分野があれば、是非、その分野に当てはめて考えてみてください。)
「外なる幸せ」から「内なる喜び」へ
今回の記事と、最近の記事(下記リンク参照)で、内なる喜びを求める生き方と、外に幸せを求める生き方が、その人に対してどういう影響を与えるかについて書いてきました。
それらの結果は、外に幸せを求める生き方は、それらが手に入りにくくなってしまうばかりでなく、その人から幸せな人生を奪ってしまうことすらあるというものでした。
幸せな人生。それは、誰もが望むものでしょう。
しかし、現在生きている多くの人は、これらのことを知らずに、外に幸せを求めながら幸せが手に入らないと悩んでいるように思います。 私がこの記事を書いている理由のひとつは、そこにあります。
それが幸せへの道だと信じて、本当は幸せを遠ざけてしまう目標を達成するために、様々なことを犠牲にして、血の滲むような努力をしている人に、こんな考え方もあると知ってもらいたかったのです。 とはいえ、少し厳しい言い方をすれば、本人がそのことを自覚したうえで、あえて外に幸せを求める生き方をするなら、それは本人の自由であり、自己責任とも言えるかもしれません。
私がこんな記事を書いているのも、大きなお世話かもしれません。
それでも、私はこの記事を書き、公開しようと思っています。
それは、外に幸せを求める生き方は本人だけでなく、周りの人まで傷つけることになると思うからです。そして、少し大げさに聞こえるかもしれませんが、そのことが私たちの住んでいるこの地球までも傷つけることにすら繋がると思うのです。 【 参考記事 】
また、内なる喜びを中心とした生き方をしたいと思っても、外発的動機付けを中心とした現在の社会で、どうのようにすればそのような生き方に軸を移していけるのかわからないという方も多いかもしれません。
そこで、次回からは、そんな生き方の違いが、その人だけではなく、その人の周りに与える影響についてや、実際に内なる喜びに従った生き方をしていくための具体的で現実的な方法について書いていきたいと思います。